第24話 分身

 偽仙人にせせんにんからガイドを探して欲しいと頼まれた翌日、渚沙は井上潤次郎いのうえじゅんじろうに電話をかけてみることにした。本当は井上には二度と連絡を取らないつもりだったのだが……


 井上のツアーに参加し、初めてトラタ共和国に行った時のことだ。井上は現地で毎日ミーティングを行なった。その日の予定を参加者と確認するためのものだ。ツアー参加者は10人ちょっとだったので、すぐに打ち解けた。渚沙が最年少の参加者であとはみんな三十代以上の大人だ。家族みたいな感覚で仲良くなった。

 ある日、井上がシャーマンの話をしていた。全然興味がなくて内容は覚えていない。最後に渚沙が冗談で「私がシャーマンです」といったら、井上が突然怒り始めた。

「そんなことはいっちゃいけない。シャーマンなんかになっちゃだめなんだ」

 なりたいわけないでしょ。だいたいシャーマンて何なの? それすらわからないのだ。冗談であることくらい、声の調子や顔の表情で他の人は承知していただろう。だが、井上には不思議なくらい本気に聞こえたらしい。弁解の余地さえ与えなかった。井上はシャーマンとやらと、過去に苦い経験でもあるのかもしれない。渚沙は結局いわれっぱなしで黙っていた。

 渚沙を誘った蒲田かまたより子や他の参加者たちは井上のことを「先生」と呼んでいたが、渚沙にとっては先生ではない。彼らは井上の講演会に参加したからそう呼んでいるようだ。年下だからなんでもいっていいはずがないし、なんだか失礼な人である。この人とは二度と会いたくない。これきりにしよう。そう心に決めてツアーを終えて別れた。


 それなのに、仙人のせいで、再び井上に電話で連絡を取ることになってしまったのだ。これも縁なのだろう。

「渚沙ちゃんじゃないか、元気だった?」

 そんなことをつゆほども知らない井上は、ちょっと嬉しそうな声を上げた。渚沙は、些細なことを根に持っていた気がして、急に申し訳なくなった。

「あ、はい……お陰様で」

「実はさ」井上はこちらの要件も聞かずに早口で話し始めた。「シャンタムは二人いるんだ」

「そうなんですか」渚沙は抑揚のない声で答えていた。信じなかったわけではない。実際、井上の言葉を即信じた。

「……知ってたの? 」井上の声のトーンが下がる。

「いいえ、初めて聞きました」

 井上は渚沙が全然驚かないので、少し戸惑ったようだ。


 シャンタムが二人いる――それはかねてからの渚沙の強い願望だった。正確にいうと、シャンタムがこの地球に100人くらいいたらどんなにいいだろうとよく思っていた。たった一人のシャンタムの姿を求めて、何万、何十万という人が毎日聖地に群がっているのだ。彼と話をする機会さえ得られない。もしシャンタムがたくさんいたら、その中の一人と身近に接することができるだろう。


 渚沙は図書館で、若い頃のシャンタムに会った人々の体験がつづられた本を読んだ。羨ましくて仕方がなかった。まだシャンタムがそれほど知られておらず、聖地には外国人の姿がなく、現地人も少なくて静かだった頃の話だ。彼らはシャンタムと言葉を交わし、同じ車に乗って旅に出たり、食事をしたりしたという。

 渚沙はその本を読んで自分を恨んだ。何故、私はもっと早く生まれてシャンタムに出会わなかったのだろう。何故、彼らと一緒にそこにいなかったのだろう。なんて運の悪い人間なのかと何度も自分を呪った。


 シャンタムが教えている真理の本を読んでいるうちに、渚沙は少しだけトラタ共和国の古代の聖典に書かれている英知について理解できるようになった。それによると、神ならば、自分の分身を何人か作ることくらい簡単にできるはずなのだ。何といっても、全宇宙を創造したのだから、それくらい朝飯前のはずだ。だから神の生まれ変わりが二人いると聞かされても、渚沙にはああやっぱり簡単にできるんだ、と当たり前のことのように聞こえていたのである。


 この時の電話で、面白いことがもうひとつあった。

 井上が「シャンタムは二人いるんだ」といった瞬間、渚沙はこう確信していたのである。「私のシャンタムはそっちだ!」と。自分がまだ会っていないほうのシャンタムを指しているのだが、彼がどんな姿をしていて年はいくつで、どこにいるのかという情報はまったくなかった。井上はその電話で、それらについて一言も言及しなかった。渚沙も尋ねなかった。それでも、もう一人のシャンタムは、渚沙がこれから人生を共に送る人物であることを心の深いところで明白に、確かなものとして感じていた。願望でもなく、頭で考えたことでもなかった。魂が知っていたこと、と表現したらいいかもしれない。しかしながら、これからどのようにそれが実現するのかは渚沙にはまったく見当がつかなった。

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