5 伝令、ひとつの空の下
ヴィダは投げ捨ててしまった得物の片割れをうーから受け取り、それを揃えていつもの位置にしまって、さて、と呟きながら腰に手を置きテントの方に目をやった。
そのままジェノバにいろいろ尋ねれば、拗ねたような声ではあるものの返答はそれなりに返ってきた。
どうやら彼も状況を体系的に整理できるほど網羅的には知らないらしい。ならば彼がこの計画に乗った動機もきっと、真実を十分に知らされないまま十年前の残党というインパクトだけを利用して体よく編集された話に踊らされたからに過ぎないのだろう。誰かの考えそうなことだ、とヴィダは思った。
知らせると漏洩のおそれがあるから、そもそも知らせない。それはそれでひとつの選択ではあるが、そんな考え方が通用するのは代替要員が潤沢にある場合のことで、人手に限りがあるならその信頼を失うわけには絶対にいかない。だからヴィダはテントに戻りながら、ジェノバに全て話した。
「この配置を俺が提言したっての、あれぁ嘘だ。残念だけど、たぶんお前が前提にしてたとおりで援軍は予定されてない」
「だろうな。適当に国内に誘い込めって話だったんだよ。俺の受けた指示は」
ヴィダは大きなため息をついた。それがうまくいけばまだいい。だが全滅の可能性は?
「お前まだその指示従うつもりあるの?」
むっとした顔を隠しもせず、ジェノバは答えた。
「もちろん本意じゃないけど、この部隊だけで迎え撃つのも結果が見えてる。粘らず敗走させたほうが部隊の消耗は少ない」
「部隊はな」
ジェノバは右手を口元にやりながらうつむいた。そのせいで、分かってるよ、という彼の言葉はとてもくぐもっていた。
彼の家族はグライトにいる。ヴィダは肩をすくめた。
「まあそんな顔しなさんなって、できる手は尽くそうぜ。キャンプの連中は何も知らされてない?」
「把握してる範囲では。戦って死ねならまだしも、戦う前から尻尾巻いて逃げろとかそんな指示、さすがに抵抗されるだろ。陽動作戦だって言われたけど、そんな地理でも配備でもないのは俺でも分かる」
そうか、と呟いてヴィダは立ち止まり、うつむいてうなっていたが、顔を上げ大きなため息をつくと再び歩き出した。
とにかく人が足りない以上、ひとまず他所で演習中の部隊を近くまで連れてきて取り込むことが急務だ。そのためヴィダは今朝、一旦キャンプを去るに先立ち、夜明けとほぼ同時、どさくさ紛れにハト小屋を開けてきた。
そうして彼は国境警備本部までの輸送演習の伝令を、お誂え向きの追い風(もちろん誰かの仕業である)に乗せて方々に放っておいたのだが、指示に疑問を持たれてしまえば逆効果にしかならない。だからなんとか説得力を持たせるために、ヴィダは兵糧補給量の大幅改善があったからそれへの対応訓練をするのだなどという、それなりに魅力的でなおかつもっともらしい理由をつけ、中継地に食材を積ませてある。
その指示を受けた首座の家庭菜園、もとい地竜は「後方支援の内容がイレギュラー過ぎ」等とぶぅぶぅ言いながら去っていったが、あれはやる気がなければ逆に何も言わない。たぶん今頃は嫌がらせかと思うくらいのことをしているはずだ。
ヴィダがキャンプに戻ると、最初に出会った軍人は小さな紙片を持ってうろうろしていた。どうしたのかと尋ねると、その軍人は驚いた顔で(それはそうだろう。数刻前に『グライトに報告に戻る』と出て行った自分の上司が何食わぬ顔で戻ってきたのである)、よく分からない連絡がありましたと言ってその紙片をヴィダに見せた。
文面は諾の言葉のみで、発信者はわりと近場で演習中の部隊を束ねていた壮年の
潔いまでに簡明な返事は指示権限の有無を問う気さえないことも示していた。
もともと、今の演習指示に疑問か不満を持っていたのかもしれない。ヴィダはにんまりしながらその紙片を元どおりに折り畳み、ジェノバに渡した。
「いけるかもしれない」
「でもまだ一箇所だけだろ」
「一箇所動けば様子見してたとこのケツ叩きになるからさ。こっちも動かそう。五分で集めて。そこで確認するもの確認して、次の指示するから」
ふたりに紙片を渡した軍人が敬礼して走っていくのを見送り、ジェノバは小声で尋ねた。
「俺は?」
「処分は何ってこと?」
ジェノバは眉を寄せながら、少し仰け反るようにして間を空けた。ヴィダも似たような顔で両手を広げた。
「命令違反してるのは俺だし、そんなの決められるわけないでしょ」
「そうか、建前上は。ん? いや、そうだな、たぶん。そうだ。え? そうか?」
「そうなんだって。でもその、本部に報告に行くっつって出てったのに戻ってきたのはどうにか理屈こねないと格好がつかないから、そうだなあ、シュバイカーくんにはちょっと悪者になってもらうといいなあ。これからみぃんなの前で俺が話をする間、俺の隣でしょげてる役はどうよ」
ジェノバは極めて不服げな顔をしたが、大きなため息をつくとうなだれ、分かった、と返事をした。
そうしてヴィダが人を集めて情報整理をしている間に、もう二羽のハトが戻ってきた。いずれも先ほど返答のあった部隊に追従する内容だった。
展開している位置からすれば、そのうちひとつとはさほど待たずに合流できるだろう。ヴィダはそうして全ての返事(もちろん「返事がない」という返事も含め)が揃うのを待つ間も、うーから提供される国内各地やアドラ軍の情報をアップデートしながらグライトからの報せを待った。
フリッガが戻ってきたのは、部隊がふたつ国境警備隊に合流した後だった。
司令部を取り巻くキャンプが少し大きくなり混み具合を増したため、フリッガは同じような形のテントの間で散々道に迷い、どうにかヴィダのところに行き着いた。
彼女はまずこれを、と背中の荷物を解いて軍装を手渡した。次いでデュートから預かった親書。この中身をフリッガは知らないが、ヴィダは道具を使うのもまどろっこしいというかのようにその封筒を引きちぎって開き、文面に目を通して思わず呟いた。
「最高」
「なんて?」
「この後合流するオッサンに当面の総司令代行を命じたって」
フリッガは眉を寄せながら首を傾げた。ヴィダが全て自由にできるという意味ではないと理解したが——それを見透かしたかのように彼は続けた。
「現場を知ってるオッサンだからいいんだよ。俺みたいな若輩じゃこれから合流数が増えたら全部はまとめきれないし、頭に据える人間は絶対、人を使うのがうまい人のほうがいい」
「そんなものなの」
「そんなものだよ」
ふうん、と呟いたフリッガのところに、ネコが駆け寄ってきて飛びついた。アドラの軍勢と相見えるまで、後数日。
ナハティガルの粘りはあまり長くは続かなかった。
ランティスがいかにアトロポス家当主であるとはいえ、スペクトからすれば彼は、燦を保護したまま送還はおろかろくに連絡さえ寄越さず、その上隣国のテロリストを取り逃した疑惑または無能の男である。これ以上首都であるスペクトに睨まれれば、ナハティガルは国内で孤立する。
市議会からランティスへの突き上げは厳しく、彼はやむなく派兵を決裁した。
まだフリッガたちがアドラ領内を抜けきる前に、アドラの先遣隊は移動を開始していた。
ユーレ国境警備隊の配備状況についてはいくつかのルートから報告を得ている。第一陣は守りの
ランティスは第一陣の斥候部隊と同行するように、というのがスペクトからの指示であった。まだ後継者もない彼をそのような配置とすることにはさすがにナハティガル議会も難色を示したが、結局押し切られた。
スペクトはランティスに、ユーレへの便宜供与を疑っている。だからその潔白を証明して見せよという圧力に、ナハティガルは誰も抗うことができなかった。
こうして、フリッガがグライトにそあらとプレトを残し国境に向けて馬を走らせていた時点で、ランティスを含む先遣隊は後方に第一次派遣隊の本隊を少し遅れて引き連れ、国境に迫りつつあった。
ぎりぎり目をつけられない程度に進行を引き伸ばしながら、ランティスは馬の背に揺られて考える。ウェバが侵攻にこだわる理由のことだ。
名目上はいかにももっともらしいことが並べられている。しかしウェバにとってそれらが価値あるものだとは、ランティスには思えなかった。だからといって彼女の目的も皆目見当がつかない。
ただひとつ分かり切っているのは、こんなことが続けばいずれアドラの国民も、議会が掲げる目的など建前に過ぎず、彼らがウェバの傀儡でしかないことに気づくということだ。そうすれば国際社会の承認もないユーレへの侵攻という暴挙もある以上、首脳陣が国民の信頼を今ほどに維持できるとは思えない。
国祖と何の縁もゆかりもない人物が、その血胤を手にかけ、何食わぬ顔で国政を操っている——そしてそれに追従する者が我が物顔で議員席を占めている。それが民に知れたとき、火竜の主ドラクマの末裔たる我ら、我が国は、その誇りと寄る辺を失う。国の形とて同胞たる民に無能と謗られ憎まれながらずるずると地に落ち、そしていつしか崩れてゆくだろう。
ランティスは空を仰いだ。
無数に瞬く星が見える。スペクトやドロッセルに比べれば高い建物の少ないナハティガルでも、これほどの見事な星空はなかった。
ウェバの目的など知ったことか。いかなる理由であれアドラを食い潰すことを許すわけにはいかない。かといって今自分の立場は極めて微妙で——つらつらと考えごとをしながら馬を進め、明日にはいよいよ国境を視界に収めるというところでランティスは、ユーレ国境に事前情報より遥かに多い兵が結集しているとの報告を受けた。
彼が逃したふたりは、ウェバやアドラの根回しを打ち破ったらしい。
後方本隊と合流しても、これでは国境突破は予定どおりにいかない。ランティスは爛をナハティガルに差し向け、二次派兵を前倒しするよう指示するとともに、スペクトにはこれとの合流を待ちたい旨要請した。ランティスはそうしてその場に陣取り本隊の到着を待ちながら、一方で爛には帰路での寄り道も頼んでおいた。
後発隊の出立は早められることになったが、それでもその決裁は爛がランティスの要請を伝えてから三日後のことであった。
その間に爛は、ナハティガルにとどまる燦と、ランティスの元への戻りがてらドロッセルの熾にも面会した。
ドラクマがもっとも頼みとした、いにしえの三双翼の火竜の姿はいかにも勇ましい。市庁舎の屋上に降り立ち咆哮した燃え上がる真紅のその姿は、隣国との開戦を控え不安の渦巻いていたドロッセルの民を大いに勇気づけた。
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