6 蘇った記憶、だけど

 イルマさんは、私とは比較できないくらい、優れた人だった。

 実力も、人としても。


 どうして、私なんかがこんな人の体に入ってしまったんだろう?


「陣上さん?」


 突然入ってきた記憶に襲われ、そんな風にぼうっとしていると、岳都先輩が声をかけてきた。


「あ、ごめんなさい、岳都先輩。どうしましたか?」

「いや、意識ここにあらず、って感じだったから」

「あ……はい、ごめんなさい」

「いや、謝らなくていいよ。それより、ゴーロ君を離してやってくれないか?」

「あっ」


 忘れていた。私は今、しっかりゴーロ君を抱きしめていた。

 泣き止み、落ち着いたゴーロ君は、顔を赤くし、照れている。


「ごめんなさいっ!」


 私は慌てて手を離す。

 見た目は一緒だが、中身の違う私に抱きしめられるのはどういう心境なんだろうか?

 私には分からない。きっとゴーロ君にも、はっきりとは分からないだろう。


「あの、気にしないでください。僕も、安心しましたし……」

「体は、イルマさんだからね……」


 不自然な会話を私たちはする。

 それを見ていた、他の人たちがくすくすと笑いだした。

 む、と私とゴーロは顔を合わせるご、やはりおかしくなってしまい、ふっと笑いを漏らした。


 そんな感じで、皆が笑っていると、こんこんとドアが鳴った。それで、執事さんが新しいお茶を入れにいってことを思い出した。


 こほん、とイルマのお父さんが咳払いをすると、私を含め皆が一瞬で笑いをやめる。流石は公爵である。

 静かになったのを確認したイルマのお父さんは、執事さんに入室の許可を出す。


「失礼致します。お茶をお持ちしました」

「ご苦労。ガクト様、アシノ様。折角ですので、お茶を一杯飲んで行ってください」


 イルマのお父さんは、執事さんに労いの言葉をかけ、私たちにお茶に誘ってくれた。

 岳都先輩は、そんなに長居する予定は無かったように見受けられるが、親切を無下にできるはずもなく、


「では、お言葉に甘えて、一杯だけ。陣上さんもそれでいい?」

「あ、大丈夫です」


 まさか私に話がふられるとは思っていなかったので、咄嗟に大丈夫、と言ってしまった。しかし、私は早くこの場を去りたかった。

 ––––––彼らの顔を見ているのが辛かった。

 中途半端に知っているより、やはり何も知らない方が良かった、と心底思う。余計に辛くて申し訳ないという気持ちが強くなった。知らぬが仏とはよく言ったもんだ。

 知ってしまったから、彼らがどれだけ“イルマ”という人間を愛していたかが分かる。彼らの悲しみも分かる。

 もう、これ以上はないだろうという罪悪感がまた、増えてしまった。


「では、こちらへどうぞ」


 執事さんが、席に案内してくれる。

 私は、複雑な心境でそこに座った。隣には、岳都先輩が座った。


 こうして、短いお茶会が始まったのだった。


 * * *


 お茶会の会話の中で、私は『イルマさんは、どんな人だったのですか』と、アリーセにもした質問をした。

 イルマ=デューク=シュタインマイヤーという人物は、記憶の中では知っていたが、彼らの口からも聞きたかった。


 辛いけど、苦しいけど、向き合わなければならないことだから。

 私は、この世界でイルマさんの体で生きていかなければ、ならないから。


「イルマは、自分に厳しい子でした。これでもかってくらい努力をして、公爵令嬢ということをいついかなる時も忘れることはなかった……。馬鹿真面目というやつでしたよ」


 イルマのお父さんが、懐かしそうに私を見つめている。きっと、イルマさんのことを思い出しているのだろう。


「でも、意外と甘えん坊でしたよ。イルマは人に甘えるのが下手な子でした。家では姉として、外では公爵令嬢として、威厳を保たなければならなかったというのが原因でしょうね」


 イルマのお母さんは、そう話しながら、静かに涙を流した。


「そうなんですか」


 私はそう言いながら、中身の少ないカップに視線を移す。

 そこには、“陣上亜忍”の顔ではなく、“イルマ=デューク=シュタインマイヤー”の顔があった。

 ––––––私の、顔じゃない。


「アシノ様、そんなにイルマのことを気にしなくていいんですよ」


 そんな、私の心情を読み取ったのだろうか、イルマのお父さんがそんな言葉を投げかけてきた。


「え……?」

「別に、イルマの分まで頑張ろうとか、イルマみたいになろうだとか、思わなくていいんですよ。そんなに、責任を感じないでください。

 言ってしまえば、アシノ様だって、被害者なんです。ですから、アシノ様の生きたいように生きてください。そうした方が、イルマも嬉しいでしょうし、私たちも嬉しいです」


 イルマのお父さんの言葉を受けて、私はイルマのお母さんの顔を、ゴーロ君の顔を、もうひとりの弟の顔を、執事さんの顔を、アリーセの顔を見る。皆、微笑みながら頷いてくれる。

 そんな様子を見ていると、頰をほろりと何かが伝う。それが段々と目から溢れてきて、視界が歪む。


「あれ、何でだろ。ごめんなさい……」

「気にしなくて、いいですよ」


 イルマのお母さんの言葉に、さらに涙は溢れてくる。

 涙は止まることを知らずに次々と出てくる。



 しばらくの間、私は静かに泣いていた。

 そんな私を、皆は優しい目で黙って見守っていてくれた。

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