団欒

どうにか入浴を済ませ、長い髪をドライヤーで乾かし、借りた髪留めを使用して後ろで纏めて留める。

 用意された着替えを身に着け……身支度を済ませたスフィアは、明かりのついているリビングらしき部屋を覗き込む。そこには食事の配膳中らしきイレーネの姿が見えた。


「……イレーネさん、着替えましたけど、この服は……」

「あ、スフィアちゃん。ちゃんと……着れたみたいね」


 用意した衣装を着たスフィアの様子をチェックし、満足げな顔で頷く彼女。


「へ、変じゃないですか……?」

「全然そんな事無いわよ、うんうん、可愛い可愛い。部屋着で申し訳ないけれど……今日はもう外出はしないわよね?」

「あ、はい……もう暗いですし、ライオスさんにも夜一人で出歩くなって言われましたので」


 また突如あのお風呂での出来事みたいになるかもしれないと思うと、そのような気はまるで起きない。

 それに、このような格好で出歩こうとも思わない。着替えにと持ってきてくれたのは、十代前半の女の子用と思しき白いパフスリーブのワンピース。おそらく部屋着や寝間着として使うようなデザインの物だった。


 しかし……膝まである裾をはじめ、胸元や袖など各所がフリルで彩られ、女の子っぽい可愛らしい衣装はなんだか落ち着かない。


 そして、ワンピース以上に気になるのが、下腹部を覆う小さな布切れ……可愛らしいデザインのショーツだった。

 上のほうの下着はまだ、身に付けているのがキャミソールなので、丈の短いタンクトップだと思って我慢出来た。

 しかし下の方は、柔らかく肌触りの良い布地が股間にピタリと覆い被さっている感覚が、スフィアにはどうにも落ち着かず、モジモジと太ももを擦り合わせる。


 ……ピッチリと肌に張り付くのはパイロットスーツも一緒なのだけれども、向こうは全身に纏うのに対し、こちらは秘されるべき場所、ほんの僅かな面積だけなのが、余計意識してしまって駄目だった。

 そして、たった一枚の薄いワンピースを捲れば、そこはもう、そんな下着しか纏わない半裸なのだ。


 ――こんなの、下着の上に一枚布をかぶっているだけと大差無いじゃないですか……!


 スフィアは内心そう叫びながら、少し動いたら捲れてしまいそうな気がして、両手でぎゅっとワンピースの太ももの間あたりを握り締める。何故世の中の女性はこんな格好で平気なんだと、そう恨みがましく思いながら。


 ……ゲーム内でドレスを着た時には、元々が下着に至るまで全て、人に見せるために着飾っていたために気にならなかった。

 しかし先程の出来事で、スフィアは自分が今は本当に女の子の体なのだと痛感してしまっているため、激しい背徳感と羞恥心に苛まれていた。


「ほらほら、向こうで待ってる兄さんにも見てもらいましょう?」

「あ、まだ心の準備が……っ!?」


 別に、変な格好をしているわけではない。普通。女の子だからこれが普通なんだ……スフィアは必死に自分にそう言い聞かせて、どうにか気分を落ち着けて、イレーネに押されるままにライオスの居るリビングへと踏み込んだ。

 そのリビングのテーブルには、今まさに食べようとしていたのであろう、鞘ごと茹でた豆を口に含もうとする寸前のポーズのまま、驚きに動きを止めたライオスが座っていた。


「じゃーん、どう、可愛いでしょ、可愛いわよねスフィアちゃん」

「……ほう、こいつぁ……元々将来は別嬪さんになるのは間違いないとは思っていたが、なかなかどうして似合うじゃねぇか」

「あ、ありがとうございます……」


 ライオスの手放しの称賛の声に、消え入りそうな声でどうにかスフィアが返事をする。

 彼の言葉はほぼ親などから子供に向ける類の、邪な感情の介在せぬ純粋な賞賛なのだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。


「ところでイレーネ、その服は……」

「構わないわよね、そのほうが……使ってあげたほうが、あの人も喜ぶと思うし」

「……そうだな。ああ、嬢ちゃんみたいな子にやるんなら、あいつも浮かばれるな」


 二人のぎこちない様子に、スフィアは首を傾げる。

 それに、この服。保存状態は良好で清潔だけれど、結構昔の物だ。ずっと大切に保管されていたかのような……そんな気がする。


「よく、女の子用の服なんて取り扱っていましたね。ざっと見た限りではそういう店は無かったように見えたのですが……」

「そうね……十数年前に、そういう店はこの町からはほとんど全部なくなっちゃったもの」

「ああ……着るような子供も……いなくなっちまったからな。探せば少しはあるのかもしれないが、少なくとも俺は並んでいるのを見かけたことは無いな」

「では、これはどこから……」


 しかも、ローティーンの女の子向けのサイズだ。普通に考えて、この家で必要だったとは思えない。


「……その服はね、兄さんが、自分の子供が娘だって判明した時に、パニックになって買い込んできた物なのよ、まだ生まれてもないのに、十歳ちょっと位までの服買い込んでくるんだもの」

「あー、はは、そんな事もあったなぁ……今思えば、本当情けねぇ……」


 当時を思い出したのだろう、愉快そうに笑うイレーネと、ばつが悪そうに苦笑するライオス。懐かしそうに、二人が話している。


 ――そうか、これ……本当は、亡くなったライオスさんの娘さんの為の……


 スフィアは、胸が、ぎゅっと締め付けられるような感じがした。そんな大切なものを、果たして自分が借りていいのかと。


「あの、これ、やはり私が着ているべきでは……お二人の思い出の品ですし……」


 そう、スフィアが服を脱いで返そうと、ワンピースに手をかけると、その手がゴツゴツした別の手に止められた。


「いや、構わないから、是非着てやってくれ……嬢ちゃん、似合っているぞ」

「ええ。私も、兄さんも、まるで娘ができたみたいで喜んでるのだから……遠慮はしないで、ね?」

「……分かりました。お借りします」


 二人の言葉に、スフィアはいまだ逡巡は残るものの、頷いた。それを見て、二人が破顔し、二人分の手でわしわしと頭を撫でまわされる。


「それじゃ、ご飯にしましょう。ほらほら、座って座って」


 そう言って、イレーネがスフィアを座席の一つに座らせる。

 そんな彼女が、そしてそれを眺めているライオスが嬉しそうに見えて、スフィアはこれで良かったのだと安堵し、誘われるままに席に着いた。






「……あの、これは?」


 眼前に置かれたのは、白い粥。米と一緒に淡い黄色い物体……卵? が浮いている。

 それは……お粥だった。それも、白米を使い柔らかく炊き上げられた、卵粥。


 ――スフィアも良く見知っている、日本の料理だった。


「なんでも、お粥って言うらしいわ。消化にいいから、食べやすい筈よ」

「は、はい……」


 勿論スフィアは知っている。だけど、イレーネの話し方を見るに、この世界ではそれほどメジャーな食べ物ではないようだと感じた。


「なぁ、イレーネ、どうせならもっと豪華なもん食わせてやりゃあ良いだろうが」

「馬鹿言わないで、兄さん。ずっと何も食べて居なかった子に、そんないきなり重たいもの食べさせるわけないでしょ」


 二人の口論を、苦笑いしながら眺める。

 食事への関心の薄いスフィアは、二人がなぜこうも食べ物を摂取させようとするのかが不思議でならなかった。

 もっとも、こうして手間をかけて作られた暖かい食事を拒むのは気が引けるし、作ってくれたイレーネさんにも悪い。

 いまいち気乗りしないまま匙を取ったスフィアだが……ふと、鼻腔をくすぐる匂いに気がついた。


 ――柔らかく炊かれた米と、卵の甘い香り。


 それに気がついた瞬間、ずっと感じていた腹部の切なさが勢いを増して……大きな音が鳴り響いた。


「……あら、まあ」

「……ははっ」


 二人が一瞬沈黙した後、揃ってスフィアを暖かい眼差しで見つめて来る。その視線にいたたまれなさを感じたスフィアは顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。


 だが……同時に、強い欲求が湧いて来る。


 ――眼前の粥を、早く口に入れたい。


 それは、生物が当然持っているはずの――食欲。

 スフィアは初めて感じるその強烈な欲求に戸惑いながら、匙で粥を一口分掬い……口に近寄せると、甘い匂いがより強く鼻を擽り、ごくりと喉を鳴らす。


 口を開き、恐る恐るそれを口に含んだ。


「…………あ」


 まず感じたのは、ほのかな塩味。

 柔らかな米粒とふわふわな卵が舌をくすぐり、とろりとした感触が口内を蹂躙し……やがて、鳥の出汁らしき風味と旨味が、米や卵の甘みと共にふわりと広がっていく。


「……おい、しい」


 呆然と、一言だけ感想を呟くと……もう一口、匙で掬った粥を口に入れる。


 事前に食べやすい温度まで冷まされていたらしい粥が、お腹の中に落ちる。

 体の中からじんわりと広がっていく、優しく暖かな感覚。


 スフィアは気がついていなかったが、こちらの世界へと来てすでに二日目も終わろうとしている。

 その間、水と一口だけ齧った木の実以外は何も口にしていなかった体は、軽い飢餓状態にあった。その小さく華奢な体は蓄えておける養分も少ないため、尚更。


 だがそれ以上に――これは、目の前にの二人がスフィアの為に用意してくれたものなのだ。

 スフィアは知らなかった。誰かが自分のために作ってくれた食事が、これほど美味で、体以上に心が満たされる物なのだと。


 さらに、一口、口に入れた。つぅ……っと頰を伝ったのは……涙。


「美味しい……美味しいです、本当に……」


 涙を流しながら満面の笑みでそう伝え、美味しい、美味しいと食を進めるスフィアの様子をライナスは、イレーネは、暖かい眼差しで見守っていた。





 ……ちなみに。


 スフィアは、単純に、初めて食べたまともな食事に感激していた。

 ところが、ライナスはスフィアの事を「非道な実験体にされていた可哀想な少女」と誤認しており、そのライナスから事情を聞いたイレーネもまた、同様に認識していた。


 故に……スフィアの涙の意味について、お互いの間には果てしない断絶があり……二人に強い庇護欲が芽生えていた事に、スフィアは一切気がついていなかった。










 ◇


「はー、やれやれ、たまには自分の家で飲めばいいじゃねえか、あいつら……」

「ご苦労様、兄さん。お茶は要る?」

「ああ、頼む」


 ぶつぶつと愚痴りながら、ライオスがリビングへと戻ってくる。

 そんな彼に、イレーネがあらかじめ淹れてあったお茶をカップに注ぎ、眼前へと差し出す。

 夕食の食器の片付けまで既に終わり、すでに深夜の時間帯へ差し掛かっている今、穏やかな静寂が部屋を支配していた。


「ごめんなさい兄さん。お店の休みを伝えるのをお願いしてしまって」


 突然の来客もあり、結局今日は店を……表の酒場兼飯屋を開くことなどできそうになかった。

 なので、ライオスが常連客に事情を説明してきたのだが……


「こんくらい構わねぇよ。連中も最初はゴネてたが、女の子の世話でそれどころじゃねぇって言ったらすぐに渋々引き下がったからな」

「そう……皆、子供には優しいですものね」


  初夏に入り、雨季も近付いた事で大量に聞こえる、外で鳴いている蛙の合唱と、そして二人がカップを傾ける音だけが少しの間、静寂の中を流れる。


「……ところで、嬢ちゃんは居ないようだが、寝たか?」

「ええ、兄さんが出て行ってすぐにウトウトし始めたかと思ったら、あっという間にぐっすりと。よっぽど疲れているのね」

「そりゃ、まぁ……あのでっかい砂漠を突っ切って来たってんだからなぁ」

「そう……あの小さな体で。きっと、大変だったでしょうね……」


 イレーネは、先程自室のベッドに少女を寝かせるため、抱きかかえた際の腕に残った感触を思い返す。

 果たしてあの小さな体でどのような過酷な生活を送ってきたのか……女の細腕であってさえ、ほとんど苦も無く抱えることが出来るような程度の体重しか無かったことに、少女への同情を禁じ得なかった。


「ライオス兄さん……あの子のこと……」

「ああ……そうだな、あの嬢ちゃんのこと、俺ぁ、産まれて来れなかった娘に重ねてるよ」


 ライオスの娘は、十三年前の帝国の強襲の際に亡くなっている――否、生まれる事すらもできなくなった。

 突如戦火に巻き込まれた中で、必死に家族の姿を探した彼が目にしたのは……出産間近だった妻が、お腹の子供も共々、爆発によって飛散した破片に引き裂かれて血の海へと沈み、事切れていた光景。

 それを目にした時の兄の絶望は、イレーネにも計り知れなかった。


 そして……イレーネ自身も、子宝に恵まれる前に、そのライオスの妻であった女性の兄でもある、自身の夫を亡くしている。


「十三年……生きていたら、あの嬢ちゃんと同じ位だったかと思ったら、な」

「ええ……私も、あの人が生きていれば、あの子位の娘がいたかもしれないと思うと、とても放ってはおけないわ……」


 重い空気が流れ、二人揃って沈黙する。


 ……どのくらいそうしていたか。不意に、ライオスが口を開いた。


「俺は……俺はさ、あの嬢ちゃんが望むなら、嬢ちゃんをこの家に住まわせてやりたい」

「ふーん。兄さん、それだけ?」


 そのイレーネの言葉に、ライオスは見透かされている事への照れ隠しにばりばりと頭を掻く。

 が、すぐにまた真剣な表情で、口を開いた。


「…………しばらく暮らして……あの嬢ちゃんが――スフィアが良いと言うのなら……俺の娘として引き取りたいと考えている。勿論、お前が良いというのなら、だが……」

「……ふふ、私も賛成。そうなったら、色々と揃えないとね……女の子は、何かと要り様だから」

「ああ、その時は、よろしく頼む」

「はい、頼まれました」


 兄妹二人、どちらからともなく笑う。

 まるで……十三年前に失くしてしまったものが帰って来たようで、二人は今後の生活に想いを馳せるのだった――……










 ――その夜。


 一度、眠りに就いたイレーネは、何かが肩を揺さぶる感触にふと、真っ暗闇の中で目を覚ました。

 慌てて枕元のランプを点けると、そこには……苦しそうな表情を浮かべ、だらだらと汗を垂らしながら下腹を押さえている、同じベッドで穏やかな寝息を立てて眠っていたはずの少女……スフィアが蹲っていた。


「――スフィアちゃん!?」


 その尋常ではない様子に、慌てて跳び起きる。


「イレーネ、さん……助け、て……っ」

「どうしたの!? どこか、苦しいの……!?」

「わか……ん……なっ……お腹が……おかし、くて……っ」


 ――下腹から、何かが破裂して漏れそう。


 それを聞いた瞬間、彼女は一瞬安堵し……次の瞬間、必死の形相で少女を抱えて家の中を駆け抜けた。


 少女の苦しみの原因……それは……


 ……ここでは、言わないでおくことにしよう。





【後書き】

 ヴィエルジュのパイロットスーツは超高機能。着用していると、尿意等感じる間もなく処理されていました。故にスーツを脱ぐと……


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