第31話
既に日付も変わり、普段なら皆とっくに床に就いている時間。
『梟の止まり木亭』は、相変わらず軽快な音楽と賑やかな雰囲気に包まれていた。
「──戦争が終わり、王国に平和は取り戻された。でも、私にとってそれは必ずしも良いことばかりではなかった。物心ついた時からもう、私の隣には常に戦場があったんだ。私には、戦いしかなかったんだよ。だから戦いの無くなった世界での生き方なんて、私にはわからなかった。すっかり途方に暮れてしまってね。王都の裏路地で、ふらふらとやさぐれた日々を送っていたよ。だからあいつ……エーレインに声を掛けられた時も、最初はすげなく追い払ったんだ」
クラネスさんが持ってきたチーズの燻製を摘み、既に四杯目もあと僅かとなったジョッキの酒を飲みながら、その飲みっぷりに内心驚いている俺を尻目に、親方が述懐する。
学園長は当時、アーガイル魔術学園の学生で、中でもトップクラスの秀才だったそうだ。
その上当時の学園長の娘でもあり、学生ながら既に学園の仕事の一端も担っていたという、今の彼女の姿からは考えられないほどよくできた人物だったらしい。
……実に疑わしい話だ。
ともあれ、そんな学園長がある日前触れも無く親方の所へやって来て、「過酷な戦場を生き抜いてきたあなたにこそ、ぴったりの仕事があるんだけど」と、話を持ち掛けてきたそうだ。
「王立魔術学園の用務員だぞ? 『無理だ』とはっきり言ったよ。王国の未来を担う魔術士候補生達の輝かしい学園生活を支えるなんて、自分のこんな血生臭い手ではできるわけがない。私は戦い、人を傷付けることでしか、この王国を支えることはできない。だから帰ってくれと」
親方が、クラネスさんがジョッキに注いだ五杯目をグイッと飲み干す。
「プハッ……そうしたら、あいつは言ったんだ。『あなたは剣を折られたら、そこで戦いを止めちゃうの?』と。戦場を知りもしないお嬢様がと、私は言ってやった。『そんなわけないだろう。剣が折れたら盾で戦えばいい。盾が割れたら素手で戦えばいい。できる限りのこともせず諦めるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ』ってね」
「それで、学園長は何て言ったんですか?」
俺の問いに、親方は早くも空になったジョッキをカウンターに無造作に置いて答えた。
「『なら、あなたは死んだ方がマシね』と私を笑ったよ。あの時の顔は、今でもムカつくな」
さすがに少し酔いが回ったのか、親方はほんのり頬を紅潮させて、カウンターに片肘をつく。
「……でもまぁ、今となっては感謝してるよ。あいつは私に、『盾』をくれた。道を見失った私に、新たな道を示してくれたんだから。勿論、面と向かってそんなこと、言わないけどね……」
トロンとした目がなんだか色っぽくて、つい俺まで顔が赤くなってしまった。
まったくこの人は。普段からこれくらい隙を見せていれば、もう少し好印象だろうに。
でも、そうか。まさか学園長と親方の間にも、そんなエピソードがあったとは。
人に歴史あり、とはよく言ったものだな。
「……なぁ、ヒナツ」
「は、はい⁉」
いきなり親方に名前を呼ばれ、思わず声が裏返ってしまった。
勘弁してくれ。そんな色っぽい顔と声で来られたら、嫌でも意識しちゃうだろ。
「――スープを飲むにしろ、戦うにしろ……手段は、一つじゃないぞ」
…………え?
な、なんだ? 突然何の話をしているんだ?
「私が王国を支える為の道が、私の生き方が、戦いだけではなかったように、お前が魔術士になる為の道も一つではないんじゃないか? 少なくとも、あのアホや私はそう思っているがな」
「それは……どういう……?」
意味がわからず困惑する俺をよそに、親方はそれ以上何も言わず、また酒を注文し始める。
「さぁな、自分で考えろ」と突っぱね、後はもう、何も答えてはくれなかった。
※ ※ ※
明くる朝。気が付くと、俺は自室のベッドの上で横たわっていた。
既に日は高く昇っているようで、相変わらず殺風景な部屋が窓からの光に照らされている。
まだ上手く働かない頭で、俺は昨日の夜から今日の明朝までの出来事を振り返る。
えーと、確か昨日は親方と一緒に酒場に行って……別館に帰って来たのは、夜中の二時くらいだったか?
それから部屋に戻って来て……、
「そうだ、着替えてる途中で、寝落ちしちゃったんだっけか……」
俺の格好は、下は部屋着で上は脱ぎかけの作業着、そして靴下を片方履いたまま、という少々奇抜なものだった。
昨晩の自分がどれだけ眠気に襲われていたのかがよくわかる。
時計を見ると、朝の八時。
いつもなら本校舎清掃の二セット目を始めているくらいの時間だ。
この時間に部屋にいるのはなんだか新鮮だが、なにしろ今日は休日だ。誰に憚ることもない。
「…………二度寝でもするか」
そう考えて、俺が寝返りを打とうとした、その時だった。
「……フフ、おはようヒナツ」
──今、この場所では聞こえない、否、聞こえてはいけない筈のその声に、俺の背筋に戦慄が走る。
声は、俺のすぐ耳元から聞こえて来た。
「今日はお休み、でしょ? もう少し、こうしてゆっくり、しよっか?」
ゆっくりどころか一瞬で眠気もぶっ飛んだ俺は、全身の勇気を振り絞って声のする方にぎこちなく首を回す。
建付けの悪い扉の如く、今にも首元から「ギギギ」という音が出そうだった。
「ん? どーしたの?」
果たして、そこには俺の左腕を枕に隣で寝転んでいるネヴィーの姿があった。
「…………グフッ!」
「あっ、ダメだよ。逃げちゃダメ。フフフフフッ」
かつてこれほど俊敏に動いたことがあっただろうかという素早さでベッドから上体を起こし、逃げ出そうとした俺を、それ以上のスピードでネヴィーが押さえつけ、そのまま馬乗りになる。
約一秒にも満たない俺達の攻防は、ネヴィーの勝利であっさりとその幕を閉じた。
「お、お前っ……なんで俺の部屋に! どっから湧いて出た!」
なんとか拘束を解こうともがいてみるが、ネヴィーの両手と両ふとももで固定された俺の体はピクリとも動こうとしない。
くそっ、せめて寝起きじゃなかったら……!
「んーと……普通に扉から?」
「嘘吐け! 鍵掛けてあっただろ!」
「じゃあ、窓」
「『じゃあ』ってなんだ! 窓も締まってるよ!」
確かに俺は、昼間は空気を入れ替える為に窓を開けっ放しにしているが、夜帰って来てから朝部屋を出るまでの間は締めている。
二階ということを差し引いても、侵入は不可能だ。不可能な筈なのだ。
「……実は合鍵が」
「鍵は俺が持ってる一つしか無いって、親方が言ってたけど?」
これ以上は言い訳が思いつかないのか、のらりくらりと誤魔化していたネヴィーが押し黙る。
俺は溜息とともに全身の力を抜いて、天井を仰いだ。
「色々言いたいことはあるけど……取り敢えずそこ、どいてくれないか?」
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