第11話『七不思議』

 案の定、少年は一限目から撃沈していた。

 ほんと、なにしにきたんだろ……。規則的な寝息を立てる少年を横目で流して、窓を覗き込む。

 窓際の2番目。そこが翠の席だ。青々とした木々が生茂る葉を揺らすたびに、木漏れ日が窓越しに映り込んだ少年を掠める。

 特に理由はない。ただほんのちょっと気になった、それだけ。

 学校の不思議くんに興味を持つのに、それ以上の理由なんてない。

 地毛なのか、栗色を思わせる淡い茶は、無造作ながらも艶のある綺麗な髪だ。

 日当たりがいい今日は、さぞ心地良かろう。全身を羽毛でくるまれた雛鳥のような寝顔に時々、くすりと口元が綻んだ。


「……」


 少し後悔。今朝のことがまだ尾をひいているのかもしれない。

 藍はどうしているだろう。

 今朝けさはああ言っていたけど、彼女の言う通り、やはり私は彼女に嫌われてしまったのだろうか。

 だとしたら残酷だ。

 あんなことがあって、それでそのままなんて。

 嫌な考えが浮かぶのは、きっとこの天気のせいだ。翠は自分に言い聞かせる。

 いっそ雨ならもっと陰鬱な気分になれたのに。

 恨めしい気持ちを込めて、翠は晴天を睨みつけた。

 けれど無意識に笑うなんて、ずいぶん久しぶりのような気がする。

 それはひとえに彼がいるだからだろうか。

 教師たちもよっぽど少年が珍しいのか、時折意識を向かわせている。起こすなんて野暮なことはしないで、ただそこに存在することを確認をするように眺めていた。

授業が進む中、翠は教科書に視線を落としつつも、ちらりとレンに目をやった。彼は相変わらず窓際の席でうつ伏せに寝ている。起きる気配もない。

 先生たちが特に注意しないのは不思議だった。むしろ、彼がただ「そこにいる」だけで満足しているように見える。これまで誰も座らなかった席に彼がいることが、教室全体に妙な均衡をもたらしているような感覚があった。


「……不思議な人。」


 翠は小声で呟き、窓の外へ視線を移した。

 青々とした木々の間を、柔らかな風が揺らしている。時折その風が教室の中に入り込み、静寂を破るようにカーテンをふわりと揺らした。レンの髪にもそよ風が触れていた。寝息を立てる彼はどこか平穏そのもので、周囲のざわめきや関心など全く気にしていないかのようだった。

 その無防備さが、なぜか翠の心を軽くする。




 はじめはなんとなく視ているつもりだったのに、気づけばお昼になっていた。ぐっすり眠る横顔があまりにも気持ちよさそうだったから、つい気をとられてしまった。

 レンは結局、一度も起きることなく4時間目をすごしてしまったことになる。

 教師も、クラスメイトも、呆れを通り越して感心しているようだ。ふと席を眺めると、少年は席を立っていた。購買にでもいっているのだろうか。


「気になる?」

「わ」


 まただ。今度は後ろからだった。

 振り向くと、雪音がひょいと手を上げて立っていた。


「碧石さん……」

「雪音でいいよ。 それより、隣いい?」

「ああ、うん……」


 翠はこくりと小さくうなずく。

 雪音は翠の机に弁当箱を置くと、そのまま腰かけた。透明な蓋越しに、綺麗に詰められた彩り豊かな食材が見える。白ごはんに卵焼き、ミニトマト、きんぴらごぼう。絵に描いたような品揃えだ。


 いつもひとりで食べている翠にとって、誰かと一緒に食べる昼食は緊張する。


「不思議だよね、彼」


 翠はその質問に一瞬たじろぎ、戸惑った表情を見せる。


「……レンくん、だっけ?」


 控えめに聞き返すと、雪音は視線を空いた机に向ける。


「学校じゃ有名人だよ。1年の頃からね」

「有名人?」

「レン。矢墨レン、美術や芸術の世界でその名を知らぬものはいない。国内の賞を総なめし、パリで個展も開くような現代の大天才。」

「え……、ええっ?」


 唐突に言われ、翠は驚きを隠せず思わず声をあげた。というか、「矢墨」? その名前、どこかで耳にしたような……。


「まあ、そうなるよね」


 雪音は微かに笑いながら、弁当の端に残っていたミニトマトを箸でつまむ。


「でも事実だよ。あの名前、聞いたことがあるなら当然かもね。メディアには滅多に顔を出さないらしいけど、それでも探せば山のように記事がある」


「う、うそ……」 

 翠は目を丸くしたまま雪音を見つめる。信じられないような話だ。あの教室の隅で眠っている少年が、そんな華々しい経歴を持っているなんて。


「めったに学校に来ないし、来たとしてもたいていあーいう感じだしね。入学当初は結構騒がれてたよ」

「どうして、そんな人が……」

「謎だよね」


 しれっと流すように雪音は語るが、その事実が翠にはどうにも結びつかない。


「そんなだから噂もいろいろあったよ。学校の『七不思議』に数えられたり。『美術室の幽霊』の正体だとか、しまいには大神先生の隠し子説まで。」


 笑っちゃうよね。そう言って、雪音はすでにだし巻き卵を口に運んでいた。噛むたびに形のいい唇がきゅっとすぼまる。翠は突然の情報に半ば戸惑いながらも、納得するように頷いた。


「ほら、うちの学校は美術ないでしょ?」


 雪音の言葉に、翠は少し首を傾げた。


「そういえば……美術の授業って、選択にもなかったような。」

「うん。旧校舎にあった美術室も、新校舎への移転時に廃止されたらしくて。だから美術の授業そのものがなくなっちゃったんだよね。」

「うん……聞いたことはある。」


 翠が相槌を打つと、雪音はさらに続ける。


「だからうちには美術室がないはずなんだけど……旧校舎の美術室に、時々人影が現れるんだって。『人影が見える』とか、『誰かが絵を描いていたとか』、……色々噂はあるみたいだけど」

「……それが『美術室の幽霊』?」

「そう。それでその正体が、あのひとなんじゃないかなって。一時期、話題になってた」 


 雪音の視線がふと空いた机にうつる。レンの場所だ。


「どこまで本当かはわからないけれど。正式には使えない場所だから、鍵もかかっているだろうし。私も聞いただけで実際に見たことはない…けど」

「けど?」


 翠は無意識に問い返していた。雪音の言葉の終わりに滲む、何か含みのある響きが気になったのだ。

 雪音は少し視線を下げ、箸を手の中で軽く回しながら間を取る。微妙に口を閉ざしているその横顔には、ほんの少し考え込むような影があった。


「……ただ、1人だけ見たことがある人は知ってる」

「え?」


  思わぬ言葉に、翠は思わず身を乗り出した。言葉をのみ込むようにして雪音の顔を見た。

 その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。教室に戻ってくる生徒たちのざわめきが、静かな時間を埋め尽くしていった。


「あ、そろそろ時間だね」


 雪音はそれを合図に弁当箱を片付けて立ち上がる。


「じゃあ、またね」


 雪音は話は終わりだというように、自分の席に戻っていった。

 大事なところを聞きそびれてしまった気がする。

 どこか含みがある雪音の瞳は、淡々と語る中に、ほんの少しだけ揺れていた。


「……美術室の幽霊」


 翠は呟くと、自分の胸に広がる妙な違和感を手で押さえた。その感覚は静かに、けれど確実に自分を引き寄せる何かの予感だった。

 少年はまだ帰ってきていない。誰もいない空席には、淡い栗色の髪が揺れる彼の姿が、ほんの一瞬だけよぎるような気がする。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Install 名▓し @nezumico

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ