第5話 シャッターと天本社長


「もうじき、あのシャッターの衣替えなんですよ」


 翌々週、4月最後の日曜日。 

 優馬はまた、あの公園に居た。今日は栞と休みが合わず、ひとりきりだ。


 生憎いまにも降り出しそうな曇天で、ゴールデンウィーク中にも関わらず、大月陽の似顔絵屋は暇らしかった。

 優馬は公園の風景を描く陽の隣に座り、甘い缶コーヒーをちびちび舐めながら徐々に完成に近づく絵を眺めている。


 ぽつぽつと無駄話をしながらも、陽の手は止まることは無かった。


「シャッターの衣替え?」


「そう。来月からは、桜じゃなくて新緑になります」

「季節毎に描き直すの?」

「いえ……」


 

 大月陽が種明かしをしてくれた。あの桜の花は、実は白と銀色の特殊な塗料で描いたもので、照明の色を変えることによって、桜になったり、新緑の葉、紅葉や雪景色にもなるのだと。



「何それ! 凄いじゃん! 自分で考えたの?」


 目を見開いて驚く優馬に、陽は短く笑った。


「いや、そんな大したことじゃないんです。色つきのセロハンを被せてるだけなんで。桜はピンク色と薄桃色。新緑は緑と黄緑。紅葉は赤と黄色。適当に斑状に貼り合わせたのを照明に被せるだけ」


 曖昧な笑顔で肩をすくめる。

「やってることは、高校の文化祭レベルです」


「いやいやいや、凄いよ。十分凄いって。謙遜は美徳だけどさ、日本人の悪いところでもあるよ? 第一、あれを口開けて何分も眺めてた俺の立場はどうなる」


陽がフッと吹き出し、照れ隠しのように鼻の下を擦った。



「見に行く! 俺、来月になったら絶対見に行くよ。あー、でも……あそこ通る度にほとんどクルマ停まってて、絵がよく見えないんだよなぁ」

「まあ、元々工房の駐車スペースですし」


 優馬は缶コーヒーを飲み干し、空き缶を足元に置いた。


「あら。えらいクールね。オーツキ君」

「いや、別にクールとかじゃ……」


「えー、じゃぁ今から飲みに行く?」


 大月 陽は戸惑った様子で一瞬言葉を詰まらせた。


「……ちょっと、文脈が辿れないんですが」

「いいじゃん、細かい事は。もうすぐ雨降りそうだし、客もいないし? ちょっと付き合ってよ。オッサン暇なのよ」




 大月陽はどことなくくすぐったい、クスクスとこみ上げる笑いを堪える様な感覚で、夜道をひとり歩いていた。ひと雨通り過ぎたこともあり、少し熱くなった頬に夜風が気持ちよい。


 なんというか、謎の勢いに押されて飲みに付き合ってしまった。出逢って間もない人間と意気投合して飲みに行くなんて、初めての経験だった。


 高校を出て今の職場に就職し、オヤジさん達に飲みに連れて行ってもらうことは何度かあった。だが、自分ひとりの、職場とは関係のない人付き合いというのは久しぶりだ。


 少しだけ。ほんの少しだけ、自分の世界が広がった気がして、ワクワクする。陽は胸いっぱいに夜の空気を吸い込んだ。


 元々物づくりが好きだし、木工の仕事はとても楽しかった。職場の先輩達も優しくて良い人ばかりで、恵まれた環境だと思っている。仕事と絵描きづくしの毎日に、充分満足していた。


(でも、たまにはこういうのも悪くないな……)



 陽はうっすらと微笑みながら、水彩絵の具やクレパスの入った道具入れを持ち替え、ポケットから財布を取り出した。道端の自販機でスポーツドリンクを買い、ガードレールに腰掛けて一気に半分程を飲み干す。


「うめー……」

 口元を袖でぐいと拭う。


 あまり酒に強くないことは自覚していたのでセーブしながら飲んでいた筈なのだが、やはり少し飲み過ぎたかもしれない。楽しい酒の席だった。


 あの木暮優馬という男は、なんだか不思議な男だ。


 するりと懐に潜り込んできて、こちらに警戒感を抱かせないところがある。

 軽薄、とまではいかないが、若干お調子者っぽいように思う。だが、何故か嫌悪感は無く、話す程にずっと前からの知り合いだった様な親しみを覚えるのだ。


 元来人付き合いがあまり得意ではない陽だったが、優馬とはほとんど緊張せずに話せた。むしろ、おそらく5~6つは年上であろう優馬に対し、言葉遣いが気安くなり過ぎない様にと気を遣った程だった。



 陽は立ち上がり、またブラブラと歩き出す。

 夜桜のシャッターの写メを撮るのを忘れない様にしなければ。


「待ち受けにするから送ってくれ」と、優馬から指令を受けているのだ。


 有無を言わさぬ勢いでアドレス交換させられたが、まあ、不満は無かった。ちゃっかり奢ってもらったわけだし。それに何より、自分の絵をそこまで気に入ってくれているというのが嬉しかった。




 鼻唄混じりで家の前に差しかかると、外に出ていたオヤジさんに声を掛けられた。


「おう、陽。こんな時間に珍しいな」

「ええ、ちょっと飲んで来ました」


 へへ、と笑う陽に、良治は強面の顔をほころばせた。

 天本 木工房の社長、天本良治。陽の仕事の師匠でもあり、今は親代わりの様な存在でもある。


「楽しい酒だったみたいだな。彼女かい?」

「違いますよ、残念ながら。あの、このシャッターの絵を気に入ってくれた人で。なんか、奢ってもらっちゃった」


「おう! そうか! そりゃ良かったなぁ。良かったなぁ」


 良治は、まるで自分が褒められたかの様に顔を輝かせている。いや、自分の渾身の仕事を絶賛されても、おそらくこんな嬉しそうな顔はしないだろう。



「その人に、写メ送ってくれって頼まれたんすけど、車動かしていいっすか?」


 ポケットを探り鍵を出そうとすると、良治は「おう、呑んだ後だろ。待ってろ待ってろ!」といそいそと車に乗り込み、車を移動してくれた。


 陽が写メを撮ろうとすると、「待て、待て」と外水道にかけてあったホースを取り出す。


「さっきの雨で汚れたからな」

 真面目な顔でそう言うと、シャッターを水洗いし始めた。



「いや、そこまで……そんな汚れてなかったし」

「駄目だ駄目だ。せっかく気に入ってくれたんだろ? それにな、こうするとキラキラしてカッコ良くなるんだよ」


 強めの水流でしばらく洗い流すと、良治は得意気に「な?」と陽を見返してきた。

確かに、濡れたシャッターは瑞々しく光をはね返し、夜桜を鮮やかに浮き出させている。



 酒の酔いも手伝ってか、良治の心遣いに陽は少し目を潤ませた。

 良治と陽は、様々にアングルを調整しながら何枚も写メを撮った。




 この絵は、陽が初めて依頼を受けて描いた作品だった。


「資材倉庫のシャッターがつまんないから、なんか描いてよ」

「ゲイジュツなんてわかんないからさ、任せるわ」


 デザインを含めた木工の仕事をしているくせに、社長はわざとそんな言い方をして、全て自由に描かせてくれたのだ。仕事が終わってからの数時間と、休みの日を丸々使い、陽は1週間かけて一生懸命描き上げた。


 ギャラは、材料費と現金5万円。

 それと、オヤジさん手作りのイーゼルだった。絵を置く『受け』の部分に、陽の名前が美しく彫られていた。

 絵が完成し、ギャラとプレゼントを受け取ったたその日。嬉しくて嬉しくて、陽はイーゼルを抱いて眠ったものだ。



「おう! じゃ、早く寝ろよ。明日も早いからな」


 自分の方がはしゃぎながら写真を撮っていたくせに、急に社長の顔に戻って手を振る良治に、陽はいつもより大きな声で応えた。


「はい! おやすみなさい! オヤジさん」





______________________________________

<おまけ>


陽「優馬さん、ビールは飲むくせにコーヒーは甘口なんですね」

優馬「ブラックコーヒーとか、苦くて無理!ビール最高(^ ^)」




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