第三十一話 兄の心配
テリンの兄であるホロゾは、ヒエラスが潜伏していたと思われる小村の捜索を終え、ボロソコの街にある宿まで帰りついた
ところが、どこにもテリンの姿がない。
宿屋の主人に尋ねると、昨日の昼前に宿を跳びだしていったそうだ。
慌てたホロゾはすぐに宿をひき払い、街道を南へ走った。
テリンは、もしかするとヒエラスについてなにか糸口をつかんだのかもしれない。小村でかき集めた情報から考えると、ヒエラスがボロソコ周辺でぐずぐずしているとは考えにくい。もちろん、王都方面つまり北へ向かったという可能性もあるが、ホロゾは剣士独特の勘で、標的は南へ下ったと結論づけた。
街道を南へ急ぎながら、宿場があるたび人々から聞きとりをおこなう。
そして、テリンらしき若者が街道沿いで倒れていたという話にやっとたどり着いた。
話を聞きだした旅商人は、冗談が通じそうにないホロゾの顔を見て、なにかに魅入られたように口を開いた。
「あんさんと似た上等な服装のあんちゃんが、少し先の街道脇で倒れていやしたよ。
ええ、ええ、もちろん、あちきも助けようとしやしたぜ。
でも、どっかの兄さんが倒れてたあんちゃんを背負っていっちまったんでやすよ」
「く、詳しく教えてくれ!
その男はどんな風体だった?」
「へえ、年のころは二十四五でやすかね。
子ども連れでしたぜ?」
「子ども? どんな子だ?」
「へえ、七八歳の小僧でしたよ。
着てたものからして農民でやすね、ありゃ」
「二人のどちらかは、剣をもってなかったか? 黒い剣だ」
「いや、剣なんかは持って……そういや、小僧が菰を抱えてやした。
こんなところでいいでやすね。あちきも忙しい身なんで」
「最後に、この似顔絵を見てほしいんだが……」
「ああ、間違いありやせんや。助けた方の兄さんはこの顔でしたぜ」
「そうか。かたじけない、助かった」
ホロゾが銀貨を渡すと、旅商人が喜色を浮かべた。
話をしただけの礼としては過分な金額だ。
「こんなこたあなんでもありやせんよ。それより、もしあいつらを見つけたらあんさんに知らせやすよ」
「頼む。俺はこれから街道を南へ向かう。なにかあればそれぞれの宿場の一番大きな宿でホロゾの名前を出してくれ。連絡がつくはずだ」
「ホロゾでやすね。わかりやした。じゃ、あっちはこれで」
街道を北へ急ぐ旅商人の背中を見送りながら、ホロゾは思案顔となった。
(あいつの話からすると、テリンはヒエラスの手に落ちたにちがいない。
だが、ヤツがテリンの素性を知っているはずはないのだがな。
まあいい、とにかく今はやつに追いつくのが先だ。
テリンが無事でいてくれるといいのだが……)
ホロゾが心配していたのは、テリンが病弱であるからというだけではない。
男の身なりをさせてはいるが、ホロゾにとってテリンはたった一人の妹なのだ。
兄からどれほど反対されても、テリンは仇討の旅に同行すると言って譲らなかった。その挙句ホロゾが出した条件が、終始男の格好をすることだった。周囲に女性だとバレたら、王都へ送りかえすとも言いきかせてある。
今は、ヒエラスがテリンの正体に気づかないことに賭けるしかない。
そのためにも、一刻も早く彼に追いつかなければ……。
ホロゾの足どりは、自然と早くなるのだった。
◇
夜遅く扉を叩いた街道脇の宿屋で一泊したホロゾは、夜も明けきらぬうちにそこをたち、街道を南へ向かった。
普通の者が駆けるほどの早足で距離を稼いでいく。
その日の夕方には、街道一番の難所と言われる峠、その手前まで至った。
街道の左側に、こじんまりした茶屋がある。
ホロゾがそこへ近づくと、茶屋の縁台から二人の男が立ちあがった。
痩せた背の高い男と、背の低い小太りの男だ。
二人とも、焦げ茶色の着衣が砂ぼこりで白く汚れていた。
どちらも、疲れはてた顔をしている。
「よう、ホロゾの旦那。早かったじゃねえか」
「こんな所で会うなんてな」
この二人は、剣士仲間の伝手でホロゾが雇いいれたヒエラスを捕まえるための追っ手だ。
「他の三人はどうした?」
「三人か? ペタルもランドもキネコルも、みんなやられちまったよ」
「なんだと!? 誰にだ?」
「たぶん、あいつが旦那の言ってたヒエラスってヤツだぜ。
俺たちゃ後詰だったから、なんとか生きのびたよ」
「ヒエラスだと!?
おい、ヤツは子どもの他に誰か連れていなかったか?」
「いや、連れてなかったぜ。なあ、相棒」
「ああ、連れてたのは、わっぱ一人だぜ」
「確かだな? 若い女、いや、若者が一緒じゃなかったか?」
この二人を端から信用していないホロゾは、彼らに仕事を依頼するとき、テリンのことは伏せておいたのだ。
「知らねえなあ。
それより、この仕事なんだが、俺たちゃここで降りさせてもらうぜ。
ヒエラスってやつを見るけるまでってことだったよな。
残りの金も払ってもらえるんだろうな?」
のっぽの男が顎を上げ、見下ろすようにそう言った。
「お前ら、その男がヒエラスだと確かめたのか?」
「いいや。だが顔は人相書きの通りだし、黒い剣もつかってた。
まちがいねえよ」
「そうだぜ。残りの金を払わねえってなら、お前さんのことをヤツに教えてもいいんだぜ」
二人は腰に差した剣の柄に手を掛けている。
彼らが強気なのは、一人なら敵わなくても二人ならホロゾをなんとかできると考えているからだ。
しかし、それは賢明な判断とは言えなかった。
ホロゾが、いつもは抑えている剣気を解きはなった。
「「!!」」
剣士というのは、ある程度の腕ともなれば、向かいあっただけで相手の力量が推しはかれるものだ。
さっきまで舐めた態度をとっていた二人は、一瞬で顔色を変えた。
攻撃の意志がないことを示すため、剣の柄から手を離したいのだが、それさえできない。二人とも、声どころか出るのは脂汗だけで、ピクリとも体が動かないのだ。
キンッ
鍔鳴りの音をさせたホロゾが、立ったままの剣士二人を後にして歩きさる。
ホロゾが峠を登りにかかると、背後から茶屋を営む老婆の悲鳴が聞こえてきた。
縁台の前には、頭と胴体が離れた二人分の死体が転がっていた。
抜く手も見せぬ、達人の早業だった。
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