第二十九話 追跡
「女将さん、世話になりました」
「すっごく美味しいご飯ありがとう!」
「ああ、坊やも元気でね」
病気で伏せていた青年が起き上がれるほど元気になったので、予定通り宿をたつ。
不愛想な女将は、早朝だというのに道まで出てきて私とユトの二人旅を見送ってくれた。彼女の視線が名残惜しげにユトから離れなかったのは、なにか彼女なりの事情があるのかもしれない。
まだ本調子でないのか、青年は見送りに出てこなかった。
彼はおそらく貴族だから、平民を見送るのは儀礼に反する。
青年は、ユトと私を本当の兄弟だと思いこんでいたようだ。だから、こちらもそれを利用させてもらった。
追っ手のかかった自分と関われば、あの青年にとばっちりが及ぶかもしれない。
追っ手は一人旅の者を探しているはずだから、たまたまこうしてユトと一緒になったことで追跡をまぬがれことができるかもしれない。
とにかく、今は青年の相手までする余裕がない。体調の優れない彼を一人残していくのは心苦しいが、とにかく先を急ごう。
子供連れの旅は、ただでさえ日にちが掛かるのだから。
◇
男の人と少年が旅発つのを、物陰から見送った。
二人の姿が豆粒ほどの大きさになったところで、その後を追って早足で歩きだす。
男の人だけなら追いつけないかもしれないが、向こうは少年が一緒だ。それほど掛からず追いつけるだろう。
次の宿場町に着いたら、何食わぬ顔でたまたま一緒になったと言い訳しよう。
このまま言葉だけのお礼で済ませてしまうのでは、こちらの気持ちが収まらない。それに男性の名前も聞きそびれてしまった。
心のどこかで、パストール兄さんに雰囲気が似たあの男の人を好ましく思っていた。ぜひ、きちんとお礼がしたい。そのためにも、どうしても二人にはホロゾ兄さんと会ってもらわなくては。
女将さんの話では、次の宿場町までの方がボロソコより近いそうだ。
兄さんのことは、その町で待てばいい。きっと街道を南へ下ってくるはずだから。
………………
…………
……
怪しい男たちに気づいたのは、陽が天頂に昇る頃あいだった。
目的の二人との距離が、あまり縮まらないように歩いてきたが、その間ずっと二人の後ろを歩いている男たちの姿があった。
少年を連れていることもあり、二人の足取りは早くはない。そんな彼らを旅人が次々と追い越していくのだが、何人かの男だけはつかず離れず、二人の後を歩いている。
街道沿いの茶屋で二人が休んだ時、男たちは茶屋が見張れる木陰で一団となり、何か話しあっているようだった。その間も、一人の男がちらちらと茶屋をうかがっている。
間違いない。理由は分からないが、男たちは二人を追いかけているのだ。
どんな事情かしれないが、もう少し様子を見てから、このことを二人に知らせてあげるべきだろう。
◇
目の前には、ゆるやかな登り坂がくねくねと続いている。
ロタ街道は、ここから小高い丘を越えさらに南へと続いている。
平坦な道が多い街道で、目の前の峠は唯一の難所と言われている。
坂道を前に、少し休憩を入れることにした。
朝方宿を出てからユトは不満一つこぼさずここまで歩いてきたが、さすがに少し疲れが見える。それは狭くなった歩幅にも現れていた。
「ユト、そこの茶屋で休もうか」
「おいらまだ歩けるよ」
「それは分かってるが、私が休みたいんだよ」
「兄ちゃん、てんでだらしねえなあ。もっと足腰鍛えなきゃだめだぜ」
「うん、ユトは健脚だね」
「ケンキャクってなんだ?」
茶屋の前でそんなことを言いあってると、茶色い前掛けを着けた小柄なおばあさんが出てきた。
「いらっしゃい。休んでくかね?」
「こんにちは。ええ、お願いできますか。お茶と菓子を二人分頼みます」
「あいよ、二人分だね」
店の前に置かれた古ぼけた縁台に座ると、膝立ちになったユトが私の肩に顎を載せてきた。
「兄ちゃん、祭りでもないのにお菓子なんて食べてもいいのか?」
リーナとこの少年があの村でいかにつましく暮らしてきたか、そのことに改めて気づかされた。
「ああ、気にせず食べていいぞ」
「やったー!」
両手を天につき上げた少年は、おばあさんの手から盆を奪うとそれに顔を近づけた。二つずつ皿に盛られた菓子からは、甘い香りがしている。
「すげー!
いい匂いだ~!
ホントに食べていいんだな?」
おばあさんへの不作法をとがめたかったが、目を輝かせ、息せき切って尋ねる少年を見てしまうと、それがためらわれる。
「よく噛んで食べるんだよ」
私がそういった時には、すでに一つの皿から菓子が消えていた。
「むむ、むむむ~」
一度に二つの菓子を口に詰め込んだユトは、目を白黒させている。
「ほら、お茶を飲みなさい」
「ぷはっ、はあはあ、息ができなかった!
でも、すっごく旨かったような気がする」
「一度で口に入れるからだよ。
ゆっくり食べるともっと美味しいんだがな」
「え~、そんなあ~」
ユトは恨めしそうな目で、もう一つの皿に置かれた菓子を見ている。
指をくわえた唇の端からは、よだれが垂れていた。
「ほら、私のをあげよう」
「
「ああ、いいよ」
「でも、これ、菓子だよ」
「ああ、いいからお食べ」
「やった!」
「今度は急がず食べるんだよ」
「うん、そうする! だって、そうした方が旨いんだろ?」
茶屋のおばあさんは満面に笑みを浮かべ、しわしわの小さな手でユトの頭を撫でている。
どうやら、この少年には、人を惹きつける才があるらしい。
皿に付けられていた楊枝で茶菓子をつつくユトを見ていると、自分が追われる身であることも忘れられる気がした。
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