第二十話 潜伏

 目が覚めると、草ぶきの屋根裏が見えた。

 身体のだるさは、発熱からきたもののようだ。

 舌で触れると、唇がカサカサになっている。 

 大男の鉄球が当たった左肩、左脇腹、右太腿に痛みがある。

 その内、左わき腹の痛みは熱感を伴った鈍痛で、体を少し動かしただけで、それが鋭い痛みに変わった。

 

 首だけ起こして周囲を見まわす。

 その動きで、身体に掛けられていた干草が、かさりと動いた。

 恐らく農作業小屋だろうその場所は、半分が板敷、半分が剥きだしの地面だった。

 地面の方には、かめが二つと、小さな壺が数個あり、板敷の上には乾燥させた草がふた山と、壊れかけた木の棚があり、壁際に裏返した座卓が立てかけてある。

 人の気配はないようだ。

 私は再び、泥のような眠りに落ちた。


 ◇


 何かの匂いで目が覚める。

 香ばしい匂いは、空腹をかき立てた。

 しかし、なにより喉の渇きが耐えられないほどだった。

 起きようとしたが、おそらく高い発熱で、身体の自由が利かなかった。

 開けはなしの戸口から見える外は、薄暗くなっている。

 

 その戸口から、しばらくパタパタという音が聞こえていたが、その音が止むと、貫頭衣マチスを着た女性が入ってきた、

 この土地には珍しい、金色の髪と白い肌の女性は、その落ちついた雰囲気と目じりの小じわから、娘というには年を取っており、中年というには若いと思われた。

 化粧気がない細面には、このような場所に似つかわしくない気品があった。


「起きられたのですね」


 女性にしては低い、そして優しい声だった。

 

「ユト、あ、息子ですが、倒れている貴方を見つけたんです」


 彼女は、手にした編み皿から、何か焼いたものを取りあげ、私の口元まで持ってきた。先ほどの香ばしい匂いはそれから漂ってきたものだった。

 歯ごたえがある何かの白い肉片は、口の中にとどまり、なかなか喉を通らなかった。


「あら、ごめんなさい」


 女性は土間に降りると、隅にある甕から柄杓ひしゃくで水だろうものをすくい、戻ってきた。

 それを木の椀に注ぎ、私の口へ近づける。

 椀が口に触れた途端、私は右手で奪うようにしてそれをあおった。微かに炭の香がする水が喉を潤す。

 それを見た女性が、再び柄杓で水を汲んできた。

 注がれた椀の水を一息で飲みほす、 

 少しむせた私は、やっと喉の渇きが落ちつき、だるさに身を任せ横になった。


 横たわる私が発熱からくる寒気に震えると、女性は板敷の隅に置いた干草の束を、身体の上に掛けたしてくれた。

 

「母さん、ただ今ーっ!」


 少年らしき声がする。

 

「お帰りユト、静かにね」


 続けられた少年と女性の会話は、再び朦朧としてきた意識に溶け、消えていった。


 ◇  


 喉の渇きで目が覚める。

 辺りはまっ暗で、どこからか何かをこするような音がする。意識がはっきりすると、それが誰かの寝息だと気づいた。上半身を起こし周りを見るが、月のない夜なのか闇が濃く、どこからか聞こえてくる寝息で、他にも人がいると分かるだけだった。

 そういえば、自分は農家らしき小屋に横たわっていたはずだ。

 耳を澄ますと、寝息は二人分あった。同じ方向から聞こえてくるから、おそらく親子が並んで寝ているのだろう。


 身体の熱感はまだ少し残っているが、手足には力が戻っている。

 音を立てないよう立ちあがり、素足のまま土間に降りる。足が何かを踏んだが、その感触から、それは私が足に着けていた革巻きだろう。

 手探りでそれに足を入れ、記憶にある水甕みずがめまでゆっくり進む。

 前に出した手が、木の蓋に触れる。左右を探ると、右にもう一つの甕がある。水甕は確か、左のものだったはずだ、

 蓋の上を探ると、やはり柄杓があった。左手で蓋を持ち上げ、柄杓を中に入れる。掬った水をむさぼるように飲んだ。自分の喉が鳴る音で、寝ている二人が起きないか気になった。


 再び草の寝床に戻った私は、都で襲撃を受けてからのことを思い返していた。

 相手が誰にせよ、こちらの動きをよく調べている。そして人目が無い場所を選んで襲ってくる。

 しかも、脇道の外れにまで人を配している。

 少なくない人数が、追跡に関わっているのは間違いない。

 もし、私がラタ街道をそのまま進むか、旧街道をオイレンの町へと入っていたなら、きっと複数の追っ手が待ちうけていたことだろう。

 耳が聞こえない、いや、耳が聞こえないふりをしていた宿屋の主人が、誰かに追跡されていると気づかせてくれなければ、すでに自分の命は無かったということだ。


 これからどうすべきか、思いついたいくつかの案を検討しているうち、知らないうちに眠ってしまった。


 ◇


 次に目が覚めた時、周囲は、ただならぬ気配がしていた。

 ただ、私の上には頭まで枯草が厚く掛けられており、何が起こっているか見ることはできなかった。

 動こうとした私は、何かによって胴の辺りをぐっと押さえつけられた。


「動かないで!」


 押し殺した少年の声がする。

 間をおかず、数人の足音が聞こえた。


「おい、おめえ、こんな風体ふうてえの男を見なかったか?」


「いきなりなんだよっ!

 そんなの知るかいっ!

 とっとと出てけ!」


「てめえ、メドロさんが目を掛けてやってるからって、いい気になるなよ!」


 誰かが土間から板敷に上がったのだろう。板が軋む音がし、私の身体が少し動いた。


「やめねえかっ!

 ガキ相手にそんなことしてる間はねえぞ!

 次は、鍛冶屋のテトんとこだ!

 急げっ!」


「ちっ! しょうがねえな。

 小僧、覚えてろよ!」


 複数の荒い足音が遠ざかる。

 身体を動かそうとすると、私の脇腹に当てられていたものが、ぐっと押しつけられた。

 枯れ草の匂いが強くした。


「動かないで!」


 その声で、私は動こうとしていた身体の力を抜いた。

 間を置かず、足音がした。

 男たちの一人が戻ってきたようだ、


「おいっ!

 おめえの母親な、親分の後は俺が頂くぜ、げへへへ」


「畜生っ!」


 私の身体を抑えつけていた力が消え、鈍い音に続き、恐らく人の身体が地面に倒れる音がした。


「ガハハっ、思い知ったか!」


 再び遠ざかる足音。

 少しだけ待ち、私は干草を払いのけ、上半身を起こした。

 そこはやはり農作業小屋の中で、腹を押さえた少年が土間に倒れていた。

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