第17話 秋の想いとミートパイ。
雨の音で目が覚めた。季節はいつの間にか秋になっている。
あちこちの町や村では収穫を祝う祭りが行われていて賑やか。
これで、いくつめの町だろう。ルカは野宿をやめた。馬のトビアに乗って移動して、町や村の宿屋に泊まる。私は宿や食堂の厨房を借り、ご飯とお弁当を作って魔物退治に出掛ける。
ベルの父親の追跡は振り切ったらしい。緑の封蝋の手紙はもう届かない。
この国には魔物が多く出没する。〝黒い森〟と呼ばれる魔物が生息する一帯と国境が接している為、魔物退治の依頼は絶えることがない。
人々が恐れる魔物たちも、ルカと私で組めば、割とすぐに狩ることができる。ルカが強いことと、御神刀の力が大きい。魔物の肉を食べなくてもよくなったルカは、体の動きが良くなった。宿屋に泊まって、しっかりと睡眠を取っていることも原因だろう。
(今朝もルカの抱き枕状態ね)
別々のベッドで眠ったはずなのに、朝になると必ず同じベッドに眠っている。跳ねのけようと思わないことが不思議。
薄暗い部屋の中、徐々に目が慣れてきた。力が抜けたルカの寝顔は、整っているのに可愛いと思う。さらりとした血赤色の髪は、日中はすぐにぼさぼさになってしまう。
百日近くが過ぎて、エーミルの最期の笑顔を思い出すことがほとんど無くなった。思い出すのは、温かくて優しい笑顔ばかり。
ルカの隣で刀を振るうことが嬉しいと感じる。異世界で生きるというのは大変だけど楽しくて、素敵なことだと思う。
ルカを好きだと思うのは、まだ早いと思う気持ちもある。エーミルがいなくなって、もう、次の依存先に移るのかと、思うこともある。でも、ちょっと好きだという気持ちが私の中に間違いなくある。ルカに対する私の気持ちは複雑で、答えがでない。
エーミルの死をもっと悲しむべきだという私もいる。でも、この異世界では泣いて立ち止まることは難しい。毎日お腹は空くし、毎日寝る場所も必要で。
もしも私が歩みを止めてしまったら、きっとルカはエーミルと同じように優しく包んでくれるだろう。でも、それは私は望んでいない。優しく包まれるよりも、一緒に歩きたい。
エーミルに護られていた私は、エーミルに何も返せなかった。何もしてあげられなかった。女の子として大事にされたことがなかった私は、その状況にどっぷり浸かって夢を見るだけで気が付かなかった。今は後悔の気持ちでいっぱい。
エーミルに返せなかった分、ルカに何かを返したいと思う私は、どこかおかしいのだろうか。考えれば考える程、自分の想いがよくわからなくなってきた。
エーミルも好き。ルカも好き。同じくらい好きだというのは、不誠実なのかもしれないけれど、これが今の私の正直な心境。
そっと腕から抜け出すと、ルカが目を覚ました。
「あー、そのー。寒かったんだよ。そう、寒かった」
何故か毎朝、一緒に寝ている理由をルカが言い訳のように呟くから、私は笑いながら「おはよう」と挨拶をする。
理由なんて、どうでもいい気がしている。ルカはきっと寂しいだけなのだと思う。駆け落ちと言ったり、胸やあちこちを触ったりするけれど、すべてはきっと冗談。キスも何も求めてこないし、ただ体温を分け合うように一緒に眠っている。
ルカに好きだと告げるつもりはない。エーミルも好きだと思う半端な気持ちで告白したくないし、何よりも、ルカとの今の関係を壊したくない。……私はズルい。
「今日は狩りは無理でしょ? 干し肉でパイを焼くから、買い物に出ましょ」
すべて木で出来た窓を開ければ、外は雨。私の提案にルカが笑顔で頷いた。
朝食を食べてから買い出しに出掛けて、材料を買い込んですぐに戻る。魔女のレシピの中にはミートパイが載っていて、一度作ってみたいと思っていた。宿屋の厨房を借りる約束は泊まる際にしてある。
「その服、久しぶりだな」
厨房の隅で椅子に座ったルカが、私の姿を見て笑う。私はオールドローズ色のワンピースの袖をまくり上げ、借りたエプロンを付けている。服屋で作った服はララに預けているのに、ララが最初に選んでくれたワンピースは荷物に入れて持ち歩いている。
「肉のパイって何だ?」
「え? ミートパイって食べたことない?」
パイの中身は、乾燥トマトと玉ねぎと肉を煮込んだもの。肉は細かく切ってもいいし、薄切りでも一口大でもいいとレシピに書かれている。この国でパイという料理はなかった。
肉を煮込む横でパイ生地を作って、丸い型にセットする。元々はテリーヌに似た料理の型を買って持ち込んだ。
パイを焼くのは中学生の時以来。当時憧れていた先輩がアップルパイが好きだと聞いて、何度も練習したことを思い出す。結局、渡す当日に先輩に彼女がいることが判明して渡せなかった。最悪な思い出だとずっと思い出さないようにしていたけれど、今となっては懐かしい。
ミートパイは美味しそうな焼き目がついて焼きあがった。中身もルカに味見をしてもらっているから、きっと美味しいだろう。
「できたー!」
嬉しくなって手を小さく叩くと、ルカが真剣な表情で私を見ている。
「どうしたの?」
「……いや。いつもながら料理っていうのは、すげー手間が掛かってるなと思ってな。食うのは一瞬なのに、な」
ルカがふにゃりと眉尻を下げた。
「料理っていうのはね、誰かが美味しいって食べてくれたらそれで嬉しいものなの」
ルカが美味しいと食べてくれる度に、作って良かったと思う。レシピがなければ作れない程度の腕前でも、ルカの喜ぶ姿を見ると、自分が料理の達人になったような気分にしてくれる。
ルカにはミートパイ。自分用にはパイ生地の残りを細長く切って焼いたものに砂糖をまぶす。
「すげー美味い」
ルカがミートパイを食べるのを見ながら、私は甘いパイ生地を食べる。焼きたての温かさと砂糖の甘さが嬉しい。
「本当に魔女のレシピ様様だわー」
あちこちの町に日本料理のレシピが多数伝わっている。見本を作るという名目で食堂に乗り込んで、百近いレシピを手に入れた。未だにお菓子のレシピが無いのは残念。
これだけあるなら本にでもすればいいと思うのに、識字率は低いらしくて一般国民に広がるのは難しいだろうとルカが言う。料理人は料理の材料の単語だけしか理解していないから、写し間違いも多い。
「一般国民の識字率っていうのは重要だと思うか?」
ぺろりとワンホールのミートパイを平らげて、お茶を飲むルカがぽつりと呟く。
「そうね。私の国では、百人いたら九十九人は基本的な読み書きができるわ」
私の答えに、ルカが目を丸くする。この国では、貴族の男は必要に迫られるから識字率が高いだけで、貴族女性や一般国民の識字率は二割にも満たない。
「誰もが本を読み、自分の気持ちや考えを書いて遠くの人に伝えることができる。さまざまな知識に興味を持って学ぶこともできる。就ける職業の可能性が広がるし、中には物凄い発明をする人も現れるかもしれない。国全体が発展していくには必要不可欠なんじゃない?」
「そうか」
ルカが考え込むような表情を見せる。その表情は、どこか人の上に立つ者のようで、私は不安になった。
「突然、どうしたの?」
「いや。俺には関係ない話だな」
ルカが笑って、もう一切れとミートパイをねだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます