6話
昨日の決定で、一行は馬での移動になった。馬車の従者達は送り届ける自分達の任務を最後までやりたいと粘っていたが、結局アレクシスが一筆持たせて帰らせたのだった。
元々第一王子の命でお忍び視察行脚で馬での移動だった事も有り、荷物も少ない。エレーンも、剣と兜以外は姉からドレスやら何やら借りていたので、着替え数着。と女性の割に(かなり)少ない荷物が幸いした。
ロバートの馬に荷物をまとめ、エレーンはルーカスの後ろに乗る。アレクシスの馬には元々ロバートに持たせていた自身の荷物を積んで貰った。
心無しか朝からアレクシスの口数が少ない。が、馬を走らせ口を開くなど舌を噛めと言っている様なものだ。皆無言で道を進む。
小休止を挟み、どんどん進む。夕方に差し掛かり、辺りが暗くなった所で小川の近くで野宿になった。
「いやー、次の町まで行きたかったね。」
途中で買ったパンをかじりながら、ルーカスは皆にカップを渡す。今日は町まで無理だろうと判断して、食料を予め買っておいて正解だった。
「確かに。しかし、跳ばしたお陰で大分進んだし、明日は関所を越えてマルシュベン領の町まで行けるでしょう。エルさんには野宿させて申し訳ない。」
お茶を注ぎながら、ロバートがエレーンを見やる。
エレーンはお茶を受け取り、にっこり微笑んだ。
「いつも母の狩りに付き添って、山で野宿するので慣れっこです。長い時なんて、三日間も山に籠るんですよ?しかも、食べ物は山で採ったものだけで。それに比べて、今日は恵まれている方だわ。」
「……相変わらずエレーンちゃん頼りになるねー。本当にお嬢様なのか疑いたくなるわー。」
感心なのか何なのか。ルーカスはうんうん頷く。もうエレーンの言葉使いには突っ込んで来ない。一々突っ込みが間に合わない事を一日で悟ったのである。
「お母上は狩りが趣味で?」
「はい。母は弓の名手で、結婚する前は戦場で駆け回っていたらしいので、たまに弓の練習と称して狩りに……。」
「……そう言えば……、お母上の結婚する前の姓は何でしたかな?」
「?ノーマンですが……?」
それを聞いてロバートが笑顔で固まる。変な事を言ったのか?母の姓が何だと言うのだろう。エレーンは訝しげに様子を伺う。
「はー……、エルさんが強い訳が分かりましたよ。」
「あの、母が何か……?」
「お母上のお名前はイザベラではありませんかな?」
「はい、イザベラ・ラ・マルシュベンです。なぜ母の名を?」
ロバートは白髪を掻きなから、一口お茶を飲む。
「そうでしたか、いやはや私としたことがすっかり忘れておりました。いや、歳はとりたくないものだ。」
「?」
「イザベラ・ノーマンと言えば、北の豪族ノーマン家の令嬢で、昔西の国との戦で『戦姫』と呼ばれていた、弓の名手ですよ。確か、一度に三本の矢を放てるとかで、戦場で活躍されておりましたな。戦の後、東側に嫁いだと聞きましたが、マルシュベン家でしたか。そうでした、結婚の際も話題になっておりましたから……。」
「……通り名が良く付く一家だね。」
これは流石にルーカスにすかさず突っ込まれる。しかし、雰囲気的にはからかいも何の意図も無さそうに、只感心しただけの様だった。
「……た、確かに。」
西の戦については、昔ちらりと聞いた事があったが、通り名までは聞いて無かったので、何だか恥ずかしい。誤魔化す様にエレーンは急いで鳥の薫製を頬張った。
軽い食事も終わり、エレーンは女性の嗜み(水浴び)に一人で行ってしまった。
今日は満月から少し欠けただけの月が空で煌々と輝いて、視界は十分に明るいとは言え、蛇も野犬も出るのに……と誰か護衛に付いて行くかと男三人で多少揉めたのだが、結局何か有れば叫ぶと頑なに拒否され、剣を片手に颯爽と森の奥へと入って行った。
残された三人は焚き火を囲い、お茶を啜る。揉めた以外はひたすらに大人しいアレクシスに、ルーカスが堪らず顔を覗き込んだ。
「何か今日大人しくないですか?王子。調子狂うんだけど。」
「そうそう、どこか具合が悪いのではありませんでしょうな?我慢すると明日に響きます。薬を出しますか?」
心配する二人を余所に、アレクシスは焚き火を見つめる。青い瞳にオレンジの光がユラユラ燃えている。足を抱え込んで座る姿は、華奢な体を更に小さく見せた。
「……今日さ。」
「はい。」
「何でルーカスの馬に乗せるんだよ。俺で良いじゃん。」
「……。」
二人は黙ってアレクシスを見ていたが、合点がいったルーカスは突如大笑いした。
「あーはっはっ……はっ……何か大人しいと思ってたら、そんな事でいじけてんの?!はーっ……腹痛……もっとこう、重大な悩みとかかと思ったのに……。はーっ……。下らん。」
「……我々が居るのに、一国の王子にそんな事させる訳がないでしょう……。荷物を持たせてるのも本当はさせたく無いのですぞ?本来なら、もっと護衛も付けたかったのに、かなり譲歩したのですから、これ以上我が儘言いますな。」
これにはロバートも心底呆れた様に、額に手を当て首を振る。
「……分かっている!言ってみただけだ。」
アレクシスはばつの悪そうな顔ですっくと立ち上がる。
「あー!もう腹の立つ!ルーカス、剣の練習に付き合え。」
「はいはい。」
若者二人は広めの原っぱへと向かって行く。暫くして、金属の接触音が聞こえて来た。
「ちょっと自覚して来たかと思えば、まだまだお子様ですな……。やれやれ、先は長い。」
一人残され、ため息混じりに老紳士は独り言を呟いた。
そもそも、第一王子付きとして呼ばれたロバートであったが、兄王子自ら弟に付いてやってくれと言われ、第二王子付きとなって十余年。まだまだ手のかかりそうなアレクシスを思って、ロバートは遠い目をするのだった。
結局エレーンの叫ぶ声も無く。火の番を交代でしながら、無事に朝を迎えた。
またも一行は関所まで馬を走らせる。もちろん、エレーンはルーカスの後ろだ。
太陽が真上から少し傾く頃、ウィンチェスト領関所にたどり着いた。
馬に水を飲ませ一息つく。この町の宿屋で汗を流したい所だが、出来るだけマルシュベン領内の町に近付きたい。が、食事くらいはゆっくり出来るだろうと言うことで、馬を預けこの町唯一の食事処へ向かう。
ぞろぞろと町の奥へと向かう一行に、後ろから何やら叫ぶ声が聞こえる。
「お嬢~!!」
声を聞いて、エレーンは後ろを振り替える。それは慣れ親しんだ声だった。
今来た道から、背の高い大柄な男が走って来る。長い黒髪を後ろに一つにまとめ、一歩進む度にユラユラと馬の尻尾の様に揺れる。
「レオ!」
呼びながら、男の元へと駆け出した。何事かと残された三人も男へ注目する。
「お嬢~!!迎えに来ましたよ!」
言いながら、大男はエレーンを軽々抱き上げた。こんがりと健康的に日焼けした腕は、相当鍛えられている。何なら、エレーンとアレクシス、あるいはルーカスも入れて三人一度に抱えられそうだ。
「レオナルド!やめて、恥ずかしいからっ。」
抱えられ、腕の中でじたばたするのを笑いながらレオナルドと呼ばれた大男は見ていた。
笑えないのは残されたこちらも黒髪男(少年)だ。体格は三倍程に差があったが。
「なっ……?」
目の前で繰り広げられる展開に、言葉にもならない叫びを一瞬発したが、ぐっと堪える。声は聞こえたが、大人二人はアレクシスを無視して男の元へと向かって歩み寄った。
「これはこれは……、エレーンどのの迎えの方ですかな?」
上品な老紳士に話しかけられて、レオナルドはきょとんとした顔で、そのまますとん、とエレーンを下ろした。
「あー、はい。アリーシャ嬢の所の方達ですかい?……にしちゃあ、何かいつもの従者の感じじゃあ無いね。」
エレーンは背の高い三人に挟まれ、目線を合わせようと少しだけ跳ね、話そうと頑張ってみる。こちらも、まとめた髪が尻尾の様に上下した。
「とっとりあえず、座ってお話ししませんか??」
先程の怒りにも似た驚きも忘れて、アレクシスは可愛らしく跳ねるエレーンの髪をぼんやり眺めていた。
昼時を少し過ぎていたお陰で、食事処は貸し切り状態だったが、五人は一番奥の席へと座った。
「とりあえず、挨拶からって事で。初めまして、俺はマルシュベン第一親衛隊隊長のレオナルド・エイガスと申します。」
レオナルドは座りながらペコリと頭を下げた。エレーンはレオナルドの隣に立ち、向かい直す。
「レオナルド、こちらウェリントン国第二王子、アレクシス・レイル・エオリメンリック・ウェリントン王子殿下です。右隣が王子側役のロバート・オルク様、左隣が王子直属騎士ルーカス・ヘンベルク様です。」
説明されて、レオナルドは呆気に取られた様だ。何故王族とお付きの方々とエレーンが行動を共にしているのだろうかと、この状況に思考が付いて行かないのだろう。大きな体を乗り出して、目の前にいるエレーンの顔を覗き込む。
「はい?」
「え?だから……」
エレーンは説明が聞こえなかったのかと、慌てて説明し直そうとする。レオナルドはそれを無視して被せて話し出した。
「いやいや、え?何やってるんですか、お嬢!報せてくれないと困るでしょ?こっちだって対応とかいろいろ有るでしょ?!」
「ご、ごめんね…?」
二人の話しに割り込む様に、アレクシスはすっと手を振って静止させた。
「いや、こちらが視察を公にしていなかったのが悪い。どうかエレーンどのを責めないで欲しい。元々此方へは予定の無かった訪問だったのだ。無理を行って連れて来て貰ったのは私だ、すまない。」
まさか天下の王子殿下に謝罪の言葉を掛けられ、レオナルドは立ち上がって大きく手を振った。
「いえいえ、責めてると言うか、つい、いつもの感じ出しちゃって、こっちこそ申し訳ない!……です!いやぁ、何も連絡取って無かったもんで、ちょっと慌てました。お見苦しい所をお見せして申し訳無い!」
よほど驚いたのか、レオナルドは恐縮しきりだ。王子殿下に謝られたら王族以外、誰でも慌てるとは思うが。……砕けきったお付きの二人は例外として。
気を取り直して、一同は着席して説明を続ける。
エレーンが大会で入賞した事は、レオナルドも聞いていたらしい。剣姫のあだ名も大いに喜んだ。元々陽気な性格なのか、わいわいと話しが進む。
しかし、入城の話しを聞いた途端、雲行きが怪しくなる。発生元は勿論レオナルドだ。
「……は?お嬢、それ本気ですか?」
大男の気迫に、一気に場が凍り付いた。
「えっええ。決めたの。」
慣れているエレーンでも、急変した彼の態度に些か臆する。その間に、レオナルドは一人頭を抱えだした。何やら俯き、考えを巡らしている。変貌したレオナルドを、四人は固唾を飲んで見守った。と言うか、なんと声を掛けたら良いものなのか判断に困っていた。
「ぐあー!!やっぱり一人で行かせるんじゃないんだったぜ!!くそっ」
突然の叫びに観察していた一堂は固まる。レオナルドは頭をぐらぐら揺らしながら、何やら一人悶えている。
「あー、アリーシャ嬢だな?!あいつ俺が後でめっちゃ切れられるの分かってて……くそー!いつも何時も相談も無く…!!」
夫人掴まえてあいつ呼ばわりか。
王城組は密かに心の中で突っ込んだ。普段三人の言動はハチャメチャだと言うのに、こんな時には心一つになるものだ。
壮行しているうちに何やら落ち着いたのか、レオナルドは途端に静かになった。視線はじっと下を向いている。エレーンは心配そうに顔を覗き込んだ。
「……お嬢。」
「はっはい。」
「申し訳ねーけど、俺先に戻りますわ。」
「?!」
「大討伐が有ったから襲われる心配も無いし、それぞれの町の詰め所にも言っとく。街道の行商にも言っとくから、何か有れば用立てて下さい。お嬢の腕だし、何よりこの人達居るから大丈夫だろうし。」
この人達……同じく三人は心の中で突っ込む。
レオナルドの言動はどう取り繕ったとしても不敬なのだが、その勢いに誰も何も言わなかった。
「……三日くらいで着けそうですか?」
「ええ、四日はかからないと思う。」
「分かった。無理せず、気をつけて来て下さい。馬は関所の所ですから。宿も取っておきますから、場所はいつもの所で分かりますか?」
エレーンが頷くと、レオナルドは勢い良く立ち上がり、アレクシスに向かって深くお辞儀する。勢いで、彼の髪がふわりと舞った。
「すんません!お嬢を宜しくお願いします!」
「あ……ああ、分かった。任せろ。」
気迫に圧倒されたのか、アレクシスは随分と腑抜けた返事を半ば呆然として呟いた。返事を聞いたが早いか大男は走って出て行ってしまう。後ろ姿を見送り、直ぐにエレーンは王城組を見渡した。
「……大変、失礼しました。あの、彼に悪気は無いんです。」
それにしたってあまりの無礼な態度に、エレーンは不安げにアレクシスを伺う。
「いや、気にして無い。むしろ……。」
「?」
アレクシスは口許に手を当て、小さく肩を震わせている。何事かとエレーンが更に不安になったが、口許から手を離したその顔には、爽やかな笑みが浮かんでいた。
「あいつ良いな!面白くて。側に欲しい!」
初見の腹立ちもどこ吹く風。アレクシスは大きな目をキラキラさせている。それはまるで新しい遊びを思い付いた子供の様だ。
「「止めて下さい。」」
が、すぐに側役二人に止められたのだった。
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