レイヤー4 【5/7】

「で、でも室見さん」

 納得いかなかった。こんなふうに事前の段取りを無視されて、それでもだまって作業しなければいけないのか。誠意を持って対応しなければいけないのか。ぜんとする工兵に、だが室見は首を振ってみせた。

「どんな状況だろうとベストを尽くす。それが私達技術屋の役割よ。クライアントがどんな人間でも扱うプロトコルやパケットは変わらない。いつもと同じことをするだけ」

 ゆかに落ちたコンソールケーブルを拾い手渡してくる。こうへいあわてて新しいにケーブルをした。

 むろはぺたりと床に座り込み、ふとももにノートPCを載せた。目を閉じて深呼吸、心持ちあごを上げ唇を開く。

 息をみ見守っているととびいろの目がゆっくり開いた。顔から表情が消え上質なビスクドールのようになる。彼女は腕を持ち上げ、静かに──ピアニストが曲をかなで始める時のように、キーボードへ指先を落とした。

さくらざか、LANケーブル」

 指示に従いクロスケーブルを取り上げる。PCとルータを直結、ルータのLEDがみどりに変わる。

 室見の指が流れるようにキーボードをたたいていく。画面表示がめまぐるしく変化し、ウィンドウのメッセージが切り替わっていった。二週間前の工兵なら何をやっているかまったく分からなかっただろう。だが今ならおぼろに理解できる。コンソール接続でインタフェースのアドレスを設定、IPレベルのつうかくりつしたあと、コンフィグファイルをTFTPで転送しているのだ。これなら一行一行コンフィグを打つよりはるかに速い。

 室見は小さく息を吐き、小指ででるようにエンターキーを叩いた。

「サブミットかけたわ。いつたんリロードするから、立ち上がったらケーブル差し替えて」

 速い。

 工兵はぶるりと身体からだしんふるえを感じた。作業開始からまだ十分もたっていない。見事なぎわだった。やっぱり──室見はすごい。

 パワーランプの点滅がおさまりインタフェースランプが点灯する。ケーブルの片端をルータに挿し室見をかえりみた。

「LED、安定しましたけど」

「こっちもプロンプト来た。いいわよ、本番系につないで」

 ケーブルのもう一端を上下の機器に接続しろということだ。設定さえ間違っていなければ、これでデータが流れ出す。以前ラボルームで見せてもらった時と同じだ。pingを打ってパケットの行き来を確認できる。

 ネットワーク図を確認しながらケーブルのつなぎ先を探した。WAN側はかいせん業者の端末機器に、LAN側はファイアウォールに。

 初めての……本番かんきよう

 ごくりとつばを呑み込みコネクタを握る手に力を込める。これ、もし違うところに挿しちゃったらどうなるんだろう。つながらない……ですめばいいけど。なんかけいほうが上がったりシステムがこわれたりしないだろうか。

さくらざか、早くす」

「は、はい!」

 はじかれたように背中を伸ばしケーブルを挿す。れたLEDの点灯、100Mフルデュプレックスでリンクアップ。

 ──よし、正常。

むろさん、挿しました」

 答えを聞き終える間もなく室見がキーボードをたたき始めていた。事前に作っていたテスト項目を一つずつ消化していく。インタフェースのエラーかくにん、PPPoEのステータス確認、IPsecトンネルの状態チェック。

 彼女はモニタにせんわせたまま上唇をめた。

「IKEよし、IPsecトンネルも──上がってる。グローバルつう確認、NTP同期成功。……大丈夫そうね。あとはプライベート同士の疎通を確認すれば」

 LAN側インタフェースをソースにして対向きよてんにpingを打つのだ。これさえ終わればテストはほぼ完了、きやくかいを引き渡せる。

 だがそこまで作業を進めた時、不意に室見の顔がくもった。

「………」

 もう一度、エンターキーを叩きping。時間をおいて再度コマンドを投入する。テンキーを押してエンター。CTRL+Cでブレイク、再実行。──

 室見の表情は晴れない。彼女は顔を石のようにこわばらせていた。

「ど、どうしたんですか、室見さん」

 室見はゆっくりとかぶりを振った。

「……こない」

「……え?」

「pingのレスがない」

 予想外の答えだった。室見はけんしわを深くした。

「typo……? ……ううん、どう確認の取れたコンフィグを読み込ませてるから、そんなことないはず。……エラーで落ちているコンフィグがある? でもdiffは取ってるし……」

 つぶやきながらキーボードを叩く。機器の状態を再確認しているのか。だがさきほどグローバルアドレス同士の疎通はとれていたはずだ。VPNも確立できている以上、プライベートアドレス間の通信は行えるはずだった。

 異常に気づいたのか、顧客担当者が歩み寄ってくる。きつねが吊り上がりしんげな表情になっていた。

「……ちょっと、なんかあったの? 遅れるとか困りますよ、一時から処理が動くんですから」

「──けん項目の一つが完了してないだけです。今かくにん中ですから待っていてください」

 むろはディスプレイからせんはずさない。真剣な表情でキーボードをたたき続けている。

「確認中ってあなたね」

 詰め寄ろうとする担当者をこうへいあわててとどめた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 今試験中ですから、あとちょっとだけ時間をください。すぐ終わりますから」

「すぐ?」

「はい、……えーっと」

 資料から作業スケジュールを取り出す。確認用に確保された時間は十二時二十分から四十分。現時刻は十二時半だからまだ余裕がある。

「ほら、今この作業ですから。大丈夫です、予定通りです」

 資料を指し示す。きやく担当者はスケジュールをのぞき込んだ。めるように紙面を見たのちかいそうに身体からだを引く。

「……まぁいいですけど。頼みますよ、本当」

 鼻を鳴らしかべぎわに戻っていく。工兵はほうっと息をついた。よかった、今は室見の作業をじやしたくない。ここ二週間ずっと付き従っていたから分かる。今の彼女は明らかにおかしかった。何か想定外のことが起きている。彼女のようなベテランでもけいけんしていない事態が。

 ───。

さくらざか、ONU再起動かけて」

 息詰まるようなちんもくの中、室見が言った。

「ONU? なんですかそれ」

かいせん終端装置よ。白い箱あるでしょ。棚板に」

「ああ……はい、これですね」

 さきほどルータをつないだ箱だ。光ケーブルに注意しながら電源コードを抜く。ころいを見計らって再度接続、LEDの点灯を確認する。

「再起動しました」

「ありがと」

 ………。

 沈黙、かんばしい結果を得られていないのは室見の顔を見れば分かる。彼女はぎりっと奥歯を食いしばった。

「WAN側のケーブルをし」

「はい」

「……LAN側も」

「はい」

「ルータの電源オフオン」

「……落とします。──立ち上げました」

 じよじよに同じ作業のかえしが増えてくる。時刻は十二時四十分を過ぎ、予定のテスト時間をオーバーしつつあった。

「なんで……?」

 むろがつぶやく。大きなひとみに混乱の色がにじんでいた。

「ちょっと! ちょっとどうなってるんですか、一体。まだつながらないんですか!?」

 きやく担当者のせいひびいた。きつねの男はこうへいを押しのけ室見を見下ろした。

「状況は? 状況はどうなってるの」

 室見はせんをディスプレイに落としたまま固い調ちようで答えた。

きよてん間通信ができません。グローバルアドレス同士のつうは取れますが、LAN内のプライベートアドレスにpingが通りません」

「はぁ? なんですかそれ、拠点の通信が受けられなかったら何の意味もないでしょ。設定はちゃんとかくにんしたんですか。アドレスを打ち間違えたりとかしてるんじゃないですか」

「……アドレスは何度も確認しています。ほかの設定にも誤りはありません。元のコンフィグとぶんをとってみましたけど、違う部分はないんです」

 室見は下唇をんだ。顧客は目に見えて狼狽うろたえた。

「え? 何それ。それでどうするんですか、じゃあ」

「──切り戻しましょう。さっきの機器、持ってきてください」

「いや、……いや、それは無理。無理ですよ」

 顧客の顔からさっと血の気が引いた。

「もう一つの現場も古い機器は送り返しちゃっていて、新しい機器が届かないと午後の業務に支障をきたすんです。だいいちもう運送業者に渡しちゃってますし。取って来れないですよ」

「な……」

 工兵はあつにとられた。ここだけじゃない、別拠点の機器も玉突きで交換しようとしていたのか? しかもほぼ同時に。信じられないほどつなわたりな計画だった。

「と、とにかくなんとかしてください。おんしやにリプレースをおねがいしたんだから、ちゃんとやりとげていただかないと」

 顧客は泡を食ったようかべぎわに戻っていった。構内通話用のPHSを取り上げ何か話している。自社に報告しているのか。言葉の端々で「ベンダーがミスをして」とか、「ちゃんと確認させてるんで」と聞こえてくる。

 なんなんだ……あの人。

 はらわたが煮えくりかえる思いだった。事前の手順を無視しハイリスクな作業をさせたのはあっちじゃないか。しかも切り戻しの方法さえなくして。それを全部こちらのミスとして押しつけるつもりなのか。

 むろようをうかがう。彼女は唇をゆがめうつむいていた。PHSの時刻表示は十二時五十分、作業終了時間まであと十分しかない。

「……コンフィグをもう一度入れ直して、ぶんをとって。それで」

 室見がかすれた声でつぶやく。すべて彼女が一度試した手順だった。何か見落としを疑っているのか、それともかくにん順序を変えれば違う結果が出ると考えているのか。いずれにせよこのまま同じことをり返してもうまくいくと思えなかった。

 だが今の自分にできるアドバイスはない。こうへいはVPNのしきなど持っていないし、切り分けの方法だって全部室見から教わったものだ。自分が知っていることと言ったら初歩的なルーティングの知識、それにかいを設定する上での基本的な姿勢だけだ。──そう、余分なコンフィグを廃し、自分の理解できている設定だけ投入する。何か起きても現場で調ちよう可能な設定にする。たったそれだけ──


 ……あれ?


 何かが引っかかる。

 胸の奥になんとも言えない違和感があった。室見の教えてくれた仕事のやり方と今の状況。そのわずかな差異。かくぜつ

 ───。

 考え込んだのち、気づく。

 そうだ、……ひょっとして。

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