レイヤー3 【1/5】

 こんだくしたしきけいたいの着信音が切り裂く。

 一回、二回、三回。硬質なシグナルが脳内にだまする。放っておけばむかと思い無視していたが、呼び出し音は十回を超えても収まりそうになかった。

 仕方なくこうへいとんから手を伸ばした。あわあさの下、フローリングのゆかにジャケットとシャツ、ネクタイが脱ぎ散らかされている。工兵はシャツのポケットを探り携帯を取り出した。

「──はい、もしもし」

 眠たげな声で答える。

『あ、さくらざか?』

 低い張りのある声が耳元でひびく。この声は……えっとだれだっけ。

 工兵はまなここすり起き上がった。

「はい、そうですけど。……どちら様ですか」

『なんだよ、まだ寝惚けてるのか。おれだよ俺』

「……オレオレ……?」

『そうそう、あなたのおかあさんが事故にってだん費用でとりあえず一千万……って、なんでやねん! あ、こら切るな! ほら、俺だよ。ゼミの!』

 ああ……。ようやくおくがはっきりしてくる。大学時代の友人だった。

『ったく、一昨日おとといから全然連絡つかないんで心配してたんだぞ。メールも何回か送っただろ』

「メール……?」

 そう言えば入社以来まつたく携帯を見ていなかった。メールボックスをかくにんすると未読のアイコンがいくつか表示されている。一番古いメールはすいようの夜、今日きようは土曜日だから丸三日音信不通だったことになる。

「……ごめん、ちょっといろいろあって。連絡取れるような状況じゃなかったから。……何かあった?」

『何かって、今晩のことに決まってるだろ。出席でいいんだよな? 例の飲み会』

「例の飲み会?」

『ゼミの連中で飲もうって話してただろう? 卒業後、初飲み』

 ああ。

 そう言えばそんな話もあったっけ。卒業後最初の休日に大学時代の友人で集まりしよくようを語り合おうという企画。すっかり忘れていた。

 ──今日、今日の夜か。

 ………。

「ごめん。ちょっと無理そう。みんなによろしく言っといて。──おやすみ」

『あ、桜坂。おい、待て。待てったら』

 通話を打ち切りベッドの下に携帯を置く。われながら不義理な対応だと思ったが今はもうとにかく眠い。ぶたしやくが入り下目蓋と引き合っているようだった。

 とんを引き上げ身体からだちぢこまらせる。よし、これでじやするものはいない。せっかくの休日だ。さぁもう一眠り──

 トゥルルルルル。

 いやがらせのように固定電話が鳴り出した。

 こうへいけんのんな表情で身体を起こした。まゆしわを刻み電話をにらみつける。本棚の上でパールホワイトの受話器がピンク色のLEDをまたたかせていた。

 一体どこのだれだ。大学の知人に固定電話の番号は教えていない。レンタルDVDのえんたい──はしていないからセールスか、あるいはただの間違い電話か。

 ──くそっ……。

 けもののようにうなって工兵は布団にもぐった。頭までシーツを引き上げ耳をふさぐ。待っていればそのうち鳴りやむだろう。だが祈りもむなしく電話はけたたましい着信音をひびかせ続けた。

 二十回目の呼び出し音で工兵は飛び起きた。布団をね飛ばし、ひったくるように受話器をつかむ。まなじりり上げ押し殺した調ちようささやいた。

「はい、さくらざかです」

『あ、おにいちゃん。やっと起きた!』

 実家からだった。

 今年で中三になる妹はかんだかい声で工兵をなじった。

『もう、全然連絡つかないんだから。おかあさんに電話するよう言われてたでしょ』

 ああとうめごえを上げる。そう言えば、しゆうしよくして落ち着いたらようを教えろとか言われてたっけ。工兵はためいきを漏らした。

「仕事忙しかったからしょうがないだろ。今も寝てたところなんだから、またあとで電話するよ」

『だめ! お兄ちゃんから連絡ないとお母さん、ずっと私に電話かけろって言ってくるんだから。ちょっと待ってて。……お母さん、お兄ちゃん起きた!』

 止める間もなかった。受話器の向こうからパタパタと足音が近づいてくる。ややあって電話向こうの相手が替わった。

『工兵?』

 母の声だった。工兵はこうあきらめた。

「うん。……ごめん、ちょっと電話できなくて」

『元気でやってるの? 会社はどう?』

 思わずほんを漏らしそうになる。

 実はひどい会社に入ってしまったんだ。就活サイトはねつぞうで同期もゼロ。社長は社員のしようもうも気にせず案件を取ってくるし、OJTのせんぱいはハートマンばりのおにぐんそう。上司は過労で倒れそうだわ自分も二日目から残業続きだわ。正直いつまでもつか分からない。ていうか、そもそも使えなければ二週間で首って言われてるし、落ち着いたら次の仕事を探そうと思うんだ。──

 なんてことを告げれば、母親は間違いなく「帰ってこい」と言うだろう。ほら、やっぱり聞いたことのない会社なんてなのよ。おとうさんに言ってお店の仕事を用意してもらいましょう。

 ………。

 だからこうへいたてまえしやべるしかなかった。

「うん、まぁぼちぼちやってるよ。大変だけど大丈夫」

 母親は疑わしそうだった。だが特に問い詰めてくることもなく、話題は工兵の食生活に切り替わった。ちゃんと三食食べてる? 外食ばかりしていないでしょうね。肉だけじゃなく魚も食べるのよ。

 上京以来何度もり返されたやりとり。いつものように「うん」「はい」「気をつける」と返し母親を安心させる。母親は不安そうに『じゃあ切るけど。またよう教えてちょうだいね』と告げ電話を切ろうとした。

 だんなら工兵は「うん、じゃあ」とだけ返し受話器を置く。だがこの時ばかりはふっと心細さが勝った。

「ねぇ、働くって大変だね」

 気づけばぽつりとささやいていた。電話の向こうがちんもくする。やばい、余計なことを言ったか。あせりながらフォローの言葉を考えていると母親が言った。

 そうな、それでいてどこかおかしみを含んだ声だった。

『あたりまえじゃない、何言ってるの。みんなその大変なことをやって暮らしてるのよ』


 すっかり目が覚めてしまった。

 脱ぎ散らかした服を片づけせんたくを回す。たまった郵便物をかくにんしに行くとちよう管理人が掃除を終え引き上げるところだった。軽く頭を下げてあいさつ、ポストを開け満杯のチラシから必要な手紙を発掘する。時刻は午前十時、そろそろ日の光が強さを増し始めるころだった。

 さて、どうしようかな。

 せいきゆうしよとDMを分別しながら、ふっと思う。

 本当は昼過ぎまで寝ている予定だったから、微妙に時間がいてしまっている。家を片づけて、洗濯物を干して、それから?

 人と会う元気はない。かといって家に居続けても気がるだけだろう。

 ──飯でも食いに行くか。

 考えた末、けつろんを下す。

 外食してゲーセンでも行って、漫画を買ってきつてんで時間をつぶして。とにかく今日きよう一日だらだらと過ごそう。そうすれば仕事の疲れも幾分抜けるはずだった。

 あーあ……。

 盛大なためいきを漏らす。いくら疲れをいやしても、今日が終わり明日あしたが過ぎればまたげつようがやってくる。そして始まるごくのような一週間。もし自分があの会社にとどまり続けるならそのサイクルが何年も何十年も続くのだ。

 やっぱり、無理だ。

 絶望的な気分で独りごちる。

 昨日きのうの夜、ルータのこうちくを終わらせたしゆんかん、全身を包み込んだこうよう。あの感覚を得たときは一瞬、ほんの一瞬だけここでやっていけるかもと思った。だが続くごたごたで体内のねつは残らずぬぐい去られてしまっていた。今の自分を満たすのはどろのような疲労とけんたいかんだけだ。

 ──とにかく二週間、……あと二週間だけがんろう。

 重い足取りでに戻る。を洗いそうをかけると時間はもう昼前になっていた。せんたくものを干し外出の準備を整える。

 どこに行こうか。

 せつかくの休日だ。好きなものを腹一杯食べておきたい。何がいい? ……そうだな、久しぶりにじんぼうちようのカレー屋でも行ってみるか。スパイスのがつんと効いたチキンカレー、しゆうかつまえ、まだ時間の余裕があったころはよく友人達と通ったものだ。近くに本屋やゲーセンもあるしゆっくりするにはちようよい。

 ただ──

 神保町とちやみずは近い。つまりスルガシステムのしやおくにも接近するということだ。ちよくせんきよで徒歩十五分、二十分といったところか。駿するだいの坂を見るたび、丘上のビル群をあおぐ度、昨日一昨日おとといの悪夢がよみがえる。ひょっとしたら社員のだれかに出くわすかもしれない。あの会社、平日とか休日とか関係なさそうだしな。むろさんあたり普通に出勤してきているかも。──

(かといって、電車を乗り継いでほかはんがいに出るのもな)

 こうへいたんそくした。

 何と言っても神保町なら地下鉄で一本、十分もたたずたどりつけるのだ。わざわざ遠出して疲れに行くのも鹿鹿しかった。

 ……よし。

 けつろん、今日は神保町に行く。会社の人とは……まぁほどぐうぜんでもない限り出くわすこともないだろう。何も無人の荒野を訪れるわけじゃないのだ。混雑した繁華街で知り合いとそうぐうする可能性はゼロに近い。

 さいけいたいをポケットにねじ込み、工兵は家を出た。

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