来て当然の明日があると、誰もが疑わない。
彼もまた、そのはずだった。
だが彼に訪れた“明日”は、視界を埋め尽くす真紅の世界だった。
この物語の主人公アトラは、無垢だ。
それは善良という意味でも、強靭という意味でもない。
彼はただ、壊れてしまった世界の中で、
「まだ人間であろうとする心」だけを手放さずに立っている。
吸血鬼として生きることは、力を得ることではない。
それは、正しくあろうとするほどに、
自分が何でなくなっていくのかを突きつけられ続けることだ。
アトラは逃げない。だからこそ、壊れていく。
その過程は静かで、誠実で、そして残酷だ。
血と魔と信仰が支配する世界で、
彼が守ろうとするのは、たった一つの「人間だった感覚」。
それが最後まで残るのか、あるいは消えてしまうのか——
この物語は、その境界線を、読者の目の前でゆっくりと削っていく。
この物語は、美しい「赤」で描かれている。
赤。紅。朱。緋。真紅。カーマイン。バーミリオン。そして、ブラッドレッド。
吸血鬼として生き帰った主人公には、様々な「赤」で彩られた運命が待っていた。
その運命は、転生チートと無双に飼い慣らされた我々が、とうの昔に忘れてしまった『大いなる力には大いなる責任が伴う』もの。それ故にこの物語は、乱読耽溺を重ねてきた目の肥えた読み手や、自ら筆を執るという禁呪に手を染めた創作者たちにとって噛み応えのある作品だといえる。
その噛み応えの根本は、心情、挙措、情景の描写の細緻さ。
平易な語句を使っても、決して卑俗にはならない文章力。
いつの間にか主人公の心情にのめりこんでしまう没入感。
この話は、地下鉄に揺られながらスキマ時間に読む話じゃない。
それは、とうてい、もったいない。
夜、はちみつと少しのブランデーをカップの底に沈めた紅茶でも入れて、ゆっくり腰を据えてこそ、十全に楽しめる作品です。
俺TUEEE世界に食傷してしまった方へ、おすすめです。