第7話

 何とそこには、私がこれまでネット日記を書き換えるごとに抹消デリートされたはずの過去が、前回の改変分まで一つ残らず──つまりは、私が『NIGHTMARE』サイトの課題ゲームをクリアして異能を与えられるとともに解説役のメアが初めてアクセスしたところから、すべてにわたって書き記されていたのだ。


 しかも私自身が文中においての視点キャラたる『私』として描かれていて、すべての会話や情景描写はもちろん、私の心理描写に至るまで、詳細に書き込まれていたのだ。


「……何……これ」

『うふふふふ。どう? あなたさっき、あまりに過去改変に失敗するたびに最初からやり直すといったことを繰り返してばかりいるものだから、これではまるでゲームのセーブシステムか悪夢の無限ループみたいだとか何とか心の中で愚痴っていたようだけど、こうして小説の形で全過程を一目で見てみると、SF小説等にありがちな同じ過去の繰り返しなんかではなく、ちゃんとあくまでも「恋の過去改変日記ダイアリィ」という一編の物語を、ある一定の時系列のもとで順繰りに進行していることがわかるでしょう?』

「いやいやいや。そんなことよりも、どうしてこの『白日夢デイドリーム』の作者の人は、私の心理描写を始めとして、当事者である私自身しか知り得ない過去の出来事を、こんなにも何から何まで全部把握できているのよ? ひょっとしてこの人もあなた同様に、全知の力でも持っているわけ?」

「いいええ。実は彼もあなたと同じく、「作者」としての力──つまり、全能の力の持ち主なのであり、よって当然彼自身は全知の力はけして持ち得ないの。むしろ全知たる夢魔である私のフォローによってこそ、抹消デリートされた過去を認識し得ているのよ。すなわち彼はこの世界を悪夢の無限ループだと誤認していたあなたとは違って、本当に夢魔の支配下にあり、こそ、この小説を作成することできているわけなの』

「は? 夢を見ることで、小説を作成しているって……」

『言わば彼は夢魔である私の力によって、あなたが過去改変の力を行使するに当たっての一部始終を、過去が一つ改変されるごとに一夜の夢として毎晩睡眠中に見せられていて、目覚めた後でそれを小説としてしたためているからこそ、いくらあなたが過去改変を重ねて世界そのものを創り換えようとも、すべては改変された過去ごとに独立した夢に過ぎず、改変に合わせて記憶が抹消デリートされることなく当然すべてについて覚えていて、しかも夢の中においては自分自身があなたになりきることによって、あなたを視点としてすべてを観測していくことになり、あなたが見聞きしたことはもちろん、詳細なる心理描写に至るまで、小説としてしたためることができるって次第なのよ』

 ──っ。まさに私を中心とした、これまでの過去改変の繰り返しを夢として見ていて、それを小説化して、あまつさえこうしてネット上に公開しているですってえ⁉

『何せさっきも言ったように夢魔である私は意識を持った量子コンピュータとして、森羅万象の未来の無限の可能性を予測計算シミュレートし得るという全知の力を持っているのだから、すでに抹消デリートされた過去の世界だろうが、あなたという一個人の心理描写だろうが、いくらでも算出して夢として第三者に見せることなんかお手の物なのよ。例えばあなたが過去を可変するために日記をどういうふうに書き換える可能性があり得るのかについて、すべてのパターンを予測計算シミュレートできるのはもちろん、その書き換えによって実際に過去改変が行われた場合、それぞれどういった突発的事態が発生する可能性があり得るのかについても、すべてのパターンを事前に予測計算シミュレートできるという次第なの。……まあ、ある意味夢魔に関してのみは全知の力だけでなく、夢の中においてならいわゆる小説の世界にとっての「作者」そのままに、文字通り何でもアリの全能の力をも使えるってところかしら』

 ただでさえ神様同然の全知の力を振るえるというのに、夢の中限定とはいえ、何でも実現できる『作者』としての全能の力まで使えるなんて、まさしく最強じゃないの⁉

「……いや、ちょっと待って。それってもしかしたら、そもそもこの世界そのものが、『白日夢デイドリーム』の作者氏が見ている夢か、それを基に作成されている小説の世界に過ぎない可能性もあるってことじゃないの? あなた自身も以前言っていたでしょう? 多重的自己シンクロ状態化することによっていわゆる『作者』としての力を持つようになった者は、本人はただ単に目の前の現実の出来事をなぞって小説を書いているつもりでも、その本人こそがまさにその時点において現実世界を生み出しているようなものでもあるって」

『あら、よくそこに気がついたわね。ようやくあなたも、小説世界における量子論的思考というものが、わかってきたようじゃない』

 私が唐突に思いついたあまりにも突飛な意見を、事も無げにあっさりと認めてしまうスマホからの幼い声。

「そんな、冗談じゃないわよ。それってつまりは、私は他人が見ている夢の登場人物か、他人が創っている小説の登場人物に過ぎないってことじゃないの⁉」

 そのように堪りかねてまくし立てれば、今度はいかにもあきれ果てたかのようなため息が、手のうちのスマホから漏れ出てきた。

『……前言撤回。やっぱりあなた、全然わかっていないわ。以前小説だからこそ過去を改変できることについて説明した時に、あれほど散々言ったじゃないの? 小説家が自作の中で自分自身をモデルにして創り出した「小説家」とシンクロすることができれば、無限の多重的自己シンクロ状態を生み出せるのであり、その結果小説家は、形ある現実の存在であると同時に形なき小説の登場人物でもあるという、量子同様の二重性を持ち得ることになるゆえに、量子ならではの無限の「別の可能性としての自分」のすべてとシンクロし得る力を有することになるのだと。つまり現在すでに多重的自己シンクロ状態にあるあなたは、そもそも現実世界の存在であるとともに小説の登場人物でもあるようなものなんだけど、だからといって自分のことを小説や夢の中の虚構の存在だと決めつける必要はないの。ていうか、むしろ認めちゃ駄目なの。なぜなら量子論──特に多世界解釈量子論に基づけば、たとえ本当は小説や夢の世界であろうとも、そこに存在している者にとってはあくまでも現実世界だと見なすべきなのであり、よって今現在あなたが感じているように、現時点においてこの世界が小説や夢である可能性がいかに高かろうが、あなたにとってはあくまでも現実世界なのであって、あなた自身も自分のことをあくまでも現実の存在だと思うべきなの。──だいたいがさあ、小説の中の登場人物がみんな、自分のことを小説の登場人物だと自覚しているような小説なんて、読んでいてもちっとも感情移入できなくて、面白くも何ともないでしょうが。あなた小説家のくせに、そんなこともわからないの⁉』

 ……まったくもって、おっしゃる通りで。

 むしろ小説家としては、読者に小説を読んでいただいている間中、そこに描かれている世界がれっきとした現実世界で、登場人物たちもれっきとした現実の人間たちだと思ってもらうことにこそ、心血を注いでいるわけなんだしね。

『……まあ、返す言葉がないほど納得してもらえたようだし、この辺で私のほうは失礼させていただこうかしら。せいぜいこれからも過去改変にトライして、あなたのお望み通りの結末を手に入れられることを祈っているわ』

 その言葉を最後に、うんともすんとも言わなくなり完全に沈黙してしまう、コバルトブルーのスマートフォン。

 ……ええ、そうね。確かにあなたの長々と続いた蘊蓄解説は、大いに参考になったわ。


 そうよ、『小説の登場人物』よ。何でこんな肝心なことに、気づかなかったのかしら。


 何せ相手が小説の登場人物なら、小説家である私にとってはお手の物で、何でも思い通りにさせることができるのですからね。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……本当にすまないね、僕なんかの世話をさせたりして」

 私がベッドサイドでりんごの皮をむいていたその時、唐突にかけられるいかにも申し訳なさそうな声。


 思わず振り向けば、介護用ベッドのリクライニング機能によって上体だけをかろうじて起こしている痩せ細った青年が、眉目秀麗なる顔に自嘲気味の笑みを浮かべながら、こちらを見つめていた。


「何よ、あきらさん。いきなり改まって」

 私はむきかけのりんごとナイフをサイドテーブルへと置くや、にこやかな笑みを浮かべて問いかけた。

「いや、もちろんこれほどまでに僕のことを献身的にお世話してくれていることに対しては、感謝のしようがないほどありがたいんだけど、君は僕のことが、憎くはないのかい?」

「憎いって、私が晃さんを? 何でまた、そんなことを?」


「──だって、そうだろう!」


 私のあくまでも落ち着き払った態度がむしろ癇に障ったのか、急に大声を上げる、ベッドの上の男。

「半年前僕は君を裏切って、僕の子供を宿した浮気相手の女性と逃げようとして、車で移動中に事故に遭って、相手の女性のほうは死なせてしまって、僕のほうも命を取り留めることはできたけど、このような寝たきりの身になってしまい、しかもというのに、何で君はこんな僕を少しも断罪しようとはせず、あまつさえ他に身寄りのなかったということでこうして引き取って、何から何まで親身に世話をしてくれるんだ⁉」

 顔を真っ赤に紅潮させて唾を飛ばしながら身振り手振りで、これまで秘め続けてきた思いの丈をぶちまける青年。

 そんな最愛の人を私は微塵も躊躇することなく、優しくそっと抱きしめた。

「……?」


「馬鹿ね。そんなこと、言うまでもなくわかり切ったことじゃない。私があなたのことを、心から愛しているからよ」


「──っ」

 私の腕の中で痩せ衰えた身体が硬直し、目の前の白皙の顔が今度は別の意味で赤らんでいく。

「それに今のあなたが、過去に私に行った仕打ちに対して、罪の意識を持つ必要はないのよ。──何せあなたは記憶を失ってしまったことで、まったくの別人として生まれ変わったのですからね。これから私と今度こそ本物の愛を育んでいけば、それいいのよ」

「……こんな僕を、本当に愛してくれると言うのか?」

「ええ、もちろん」

「──ありがとう、本当にありがとう!」

 私の胸元へと身を任せ、あたかも幼子そのままに嗚咽をもらし始める青年。


 うふっ。そりゃあ愛するに決まっているでしょう。何せあなたは私の大切な、『登場人物アヤツリニンギョウ』なのですからね。


 そもそも過去を書き換えることで、交通事故を起こし憎き恋敵を殺してあなたを半身不随にしたあげくに、記憶を完全に奪い去ったのも、当然のごとく私の筋書きシナリオなのだし。

 これであなたは私に対して、秘密を持つことも二心を抱くこともなく、これからずっとただ私の意のままに振る舞っていくばかりの、人形であり続けるしかないの。


 このことに関して、私以外に真相からくりを知り得る者がいたとしたら、この世では夢魔のメアと『白日夢デイドリーム』の作者くらいのものだけど、けして文句は言わせないわ。

 何せ彼女たちも私に対して、同じことをやっているようなものなのですからね。


 そう。私は過去改変の力を与えられて、それを実際に使ったその瞬間に、短編連作小説『白日夢デイドリーム』の【ステージ3】の『恋の過去改変日記ダイアリィ』における、登場人物になってしまったようなものなのだ。


 そしてそのシナリオを──メアの言うところの、私が目指す結末に至るまでの『過程』を描いているのが、まさしく未来の無限の可能性をすべて予測計算シミュレートできる全知たる夢魔のメア自身だったのであり、つまり彼女こそがあえて何度も過去改変を失敗させて、私をこの結末へと導いた張本人なのである。

 何せ彼女にしてみたら、たった一度過去改変を行うだけであっさりとハッピーエンドを迎えてしまったんじゃ、せっかく私の一挙手一投足を観察して創り上げている『恋の過去改変日記ダイアリィ』的には、面白くも何ともないでしょうしね。

 さしずめこの幕切れ自体も含めて、彼女にとっては大満足ってところかしら。


 ふふふ。別にそうであっても、構いやしない。

 私はただ晃さんと二人だけで幸せに暮らせていけたら、それでいいのだから。


 ──そう。この小説そのままの、偽りの世界の中で。

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