第六章 溜め込んでいた仕事をしよう!

26 追い詰められた魔王様

 それは魔王城に勤務する者達が揃う午前10時のこと。魔王城4階最奥に位置する王の間では、ひと騒動起きようとしていた。



 ドワーフが硬い石を削り出し、加工して作られた玉座。座り心地が悪い上に幅も高さも長さも現魔王であるエウレカには合っていない。だがエウレカは今、その望んで座ろうとは思わない玉座に座っていた。


 肘掛けの部分に右足を乗せて玉座をベットの代わりとする。右足には添え木があてがわれ、その上から包帯がきつく巻かれている。玉座には松葉杖が立てかけてある。まだ骨折は治っていなかった。


「フェンリルよ、もう一度頼む」


 エウレカの前、玉座の真正面には白狼の姿がある。玉座とそう変わらない大きさをした白狼フェンリルは、その鼻をエウレカの腹部に突きつけた上で口を開く。熱い鼻息がエウレカに吹きかけられた。


「いいか? よく聞けよ、エウレカ。もう今月も終わりだ。月末と言えば何がある?」

「ケーちゃんの散歩、か?」

「ケルベロスの散歩は毎日やってんだろーが!」

「では、iアイtubeチューブへの投稿か?」

「それは毎週やってんだろーが! そんなことより、もっとシンプルで一番大切なことがあんだろ!」

「……怪我の経過観察か? それとも、給与の準備か?」


 予期せぬ回答ばかりを繰り返すエウレカに、フェンリルは思わずため息をついた。鋭い犬歯がエウレカの衣服を甘噛みする。


「怪我はあんたの自業自得だ。期間限定の要件だろ? 給与の準備をするためにあんた、毎月何してるよ?」

「勇者と戦う、とかか?」

「それは不定期かつ緊急事態だろーが、この大バカ野郎! 毎月してたことすら動画配信で忘れたのか?」

「う、梅干しを食べることか?」

「んなわけあるかっつーの! おい、エウレカ。あんた、一応魔王だろ? 本来の職務はどーしたよ」

「こなしておるぞ、一応」

「ほぉー。じゃあ、俺様の元に届いたこの月末書類の山はなんだろーなぁ?」


 フェンリルの赤い瞳がエウレカを睨みつけた。その右後ろ足が力強く床を蹴る。次の瞬間、紐でまとめられていない何十枚もの書類が宙を舞った。


「書類整理、人員見直し、シフト表、給与計算、その他諸々……全部中途半端で終わってんじゃねーか!」

「し、仕方なかろう。ドラゴンの動向を読んだり、勇者襲撃に応じたり……」

「それと並行してこなすのがあんたの仕事だろ! やるべき事も満足に出来ねーんじゃ、動画配信は中止にすっか。ドラゴンにも反人族派の魔族にも評判悪いもんなぁ」

「やる。今からやる、今すぐやる! だから、動画配信を辞めろなどと言わないでくれ。やっと登録者が1万人に到達しそうなのだ」

「ただのitube中毒じゃねーか!」


 フェンリルの怒声も虚しく、エウレカの視線は玉座近くに置かれているパソコンへと向かう。エウレカが動画配信を始めてからというもの、ほかの仕事が後回しになっていた。そのツケが回ってきたのだ。


 パソコンを開いてitubeを立ちあげれば、動画配信者としてはもちろん1人の視聴者として楽しむことも出来る。だがそれは許されなかった。フェンリルはエウレカの手からパソコンを奪うと呻き声を上げる。


「仕事が片付くまでitube観るの禁止な。隠れて視聴しねーように、シルクスにカメラ持たせて見張らせとくからな 」

「フェンリル、お主……」

「溜め込むあんたが悪い。次に俺様が来た時に進んでなかったら、俺様特製徹夜で追い込みコースに強制参加な」

「わかった、やる! 見張らせてよい。ちゃんとやるから、徹夜だけはやめさせてくれ」

「それはエウレカ次第だ」


 大好きなitubeを禁止され、カメラを持った魔族のメイドに監視される。少しでも仕事をサボればフェンリルからキツいお仕置きが課せられる。もっとも、全ての発端は仕事を後回しにしていたエウレカにあるのだが。エウレカは覚悟を決めるしかなかった。





 エウレカは右足を骨折したままだ。松葉杖無しで歩くことは出来ず、椅子に座る時も右足には気を遣う。試行錯誤の末に生み出した仕事をこなすための姿勢は……玉座の上に仰向けで転がるというものだった。


 気をつけて体を動かせば、背もたれを机の代わりにすることも出来る。唯一の欠点は、ずっと両腕を上げていると手が痺れてくるというもの。


「……魔王様。サボるつもりですか?」

「いやいやいや、サボってはいないぞ。足がこんななのでな、我なりに仕事をしやすい体勢というのを追求しておるのだ」

「その怪我、魔王様の自業自得なんですけどね」

「わ、わかっておる! わざわざ言わんでもよい! これ以上我のガラスのハートを傷つけんでくれ」

「でしたら、溜め込んでいた仕事を始めてください。本業を疎かにするなんて……それこそ自業自と――」

「言われんでもわかっておる!」


 エウレカが横たわる巨大な玉座。そのすぐ脇にはシルクスがカメラを片手に構えていた。後ろに生えた白い尻尾が艶めかしく動く。それだけなのに、エウレカの顔があからさまに引きつった。


「やって頂きたいことは月末書類の整頓、人事関係、報告書の作成、始末書の確認……」

「多くないか?」

「溜め込んでいたのは魔王様です。今月はエルナの破損申請もありますし、休んでいる暇はありませんよ?」

「むう。ぜ、善処しよう」

「もし今日完遂されたなら、私の奢りということで最高級の梅干しを取り寄せます」

「ホントか? よし、今すぐ取りかかろう」


 仕事量の多さに一瞬絶望に染まったエウレカの顔。だがシルクスの持ち出した「最高級の梅干し」という条件に、すぐさま太陽のような笑みを浮かべる。好物に呆気なく釣られる様は実に魔王らしくない。もはや魔王としての威厳は失せたも同然である。


「……単純ですね」

「ん? 今何か言ったか、シルクス?」

「いえ、何も。早速始めましょうか」


 シルクスがぼそりと呟いた言葉はエウレカの耳に届かない。かくして、魔王エウレカの本業が幕を開けた――。

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