死望/5

 アニメを勧めた翌日には、美星の病室にプレイヤーが設置された。私はブルーレイディスクを彼女に渡し、さてどんな感想が出てくるかなと期待しながら、一週間を過ごした(その間アニメの話は敢えて私達はしなかった)。


 そして遂に、この病院で過ごすのも残り一週間を切っていた。


 宮前看護師長以外とは上手くやっていたし、今まで派遣された現場の中でも比較的良い職場だったと思う。場所によっては偏屈な医者や、システム屋を馬鹿にしたような看護師もいたので、そのような場所と比べると天国とも言えるだろう。


「久城さーん?」


 私がいつも使うXPのパソコンで資料を纏めていると、猪狩が能天気な声で話しかけてきた。


 私は手を止めて彼に向き直る。


「どうかしましたか?」

「来週の金曜日って予定大丈夫です?」

「あぁ、私の送別会でしたっけ」

「そうっす。短い間とはいえ、久城さんにはみんな世話になったから、結構参加希望者多いんですよ」

「ありがたい限りです」


 確かに、この短い間でよく世話を焼いたとは思う。


 杜撰ずさんなセキュリティ管理に最初こそため息しか出なかったが、ひと月近く言い続ければ彼らの認識も変わってくれた。


 パソコンのパスワードを英数字記号を含めたものに変更する依頼、私用のUSBメモリを使用する危険性、怪しい受信メールの見分け方、院内のセキュリティに関する職員達の情報交換推奨。病院ということもあって、患者の個人情報については特に言うことはなかったが、それでも小言は常々言い続けた。


 今では、にパソコンを使える人々にはなっている(それでもまだ危機感は低く思えるが)。


「美星ちゃんは寂しがるでしょうね」

「ははは……どうでしょうかね。あの年代の子は、すぐに色々忘れてしまいますから」

「それはないでしょう。彼女にとっては一生の思い出になりますよ」

「……そう、ですかね」


 猪狩の言葉には、また違う意味があるのではとつい勘ぐってしまう。


「ところで、今日もお嬢様と?」

「です」


 腕時計を見ると、あと数秒で十二時を差す頃合いだった。


「あ、そういや今日は院長夫妻は外出でお昼はいないので二人きりですね」

「あぁ、そういえばそうでしたね」

「変なことしちゃ駄目ですよ」

「しませんよ。なに言ってるんですか」


 控えめなチャイムが鳴った。私はパソコンをロックすると、朝にコンビニで買っておいた昼食を持って彼女の病室に足を向けた。


「お勤めご苦労様でーす」

「そういうのは本当にやめてください」


 猪狩のからかいに、私はため息をついてナースステーションを出た。


 彼女の病室の戸をノックすると、「どうぞ」と明るい声がする。


「やぁ」


 戸を開くと、美星は私を見てにっこりと微笑んだ。


 年齢等は置いといて、この笑顔の彼女は本当に可愛らしい。


 彼女のベッドテーブルには、先週よりは量が増えた昼食と、私が貸したブルーレイディスクのパッケージが全て置かれている。おそらく全部観終わったから置いているのだろう。


「まずはご飯からかな?」

「はい」


 私は椅子と机を設置して、いつものように彼女の右手側に座った。そして「いただきます」とほぼ同時に言葉にして、互いに昼食を口に運んだ。


 それからちょっとして、美星は私をじっと見つめた。


「何だい?」

「私が言うのもおかしいですけど、久城さんて少食なんですか?」


 私は自分の昼食に目を落とす。今日は鮭のおにぎりと辛子明太子のおにぎり、そしてレタスとトマトの小さいサラダ。


 確かに、成人男性としては少ないかもしれない、が。


「お昼を食べ過ぎると眠くなるんだよ。だから最低限で済ませることにしてるんだ」

「そうなんでふか」


 ……噛んだな。


「……そうなんでふか」

「いや、笑ってあげないよ」


 美星は頬を赤く染めながら、俯いた。


「……ぷっ」


 その姿があまりにも面白くて、つい吹き出してしまう。


「結局笑うんじゃないですか」

「いや、ははは……君は本当に可愛いね」


 馬鹿な子ほどとまでは言わないが、見ていて楽しめることは確かだ。


「むー……可愛いと言われても褒められている気がしません」

「そりゃそうさ、褒めてないからね」

「もう!」


 ぷいと、美星は私から顔を背けた。


「ごめんごめん。許してくれ」

「嫌です」

「頼むよ、美星」


 言いながら私はサラダの蓋を開けた。その音に気付いた美星は背けていた顔をこちらに向け。


「信じられない! 謝りながらご飯食べるなんて!」

「腹が減っては何もできないってことだよ。さ、美星も早く食べよう。許す許さないはその後でね」

「もう……久城さんたら、もう……」


 心安らぐ穏やかな時間だった。彼女も私と同じように思ってくれれば良いのだが。


「今日はご飯が美味しく思えちゃいます」


 何か遠い昔を思い出すような、切ない声で美星は言った。


「退院したらもっとそう思えるよ。おばあ様が作るご飯はとっても美味しいから」

「ふふ……知ってますよ」


 美星も私も互いに昼食を終えると、待ってましたとでも言うようにアニメの話を始めた。


 やれ主人公がやら、ヒロインでもある女神の泣き顔が面白いやら、登場人物の女の子が全部変な方向にぶっとんだ性格で楽しいやら……と美星は嬉しそうにアニメの感想を教えくれた。


 溜まっていたもの全てを吐き出すように話す美星は、ころころと変わる表情も相まってとても可愛らしい。


「楽しんでくれて良かった」


 本心からそう思って、口から出る。


「あ……でも……」


 美星はブルーレイの一つを手に取りながら。


「生まれ変われる……なんて、羨ましいですよね」


 表情を暗くする。


「美星?」

「……屋上に行きませんか?」

「は?」

「屋上に行きましょう、って言ったんです」

「いや、ここの屋上は確か封鎖されているよね……?」

「久城さんはご存じないかもしれませんが、私、天音病院院長様の孫娘なんです」


 美星はふふん、と得意気に鼻を鳴らしながらそう言うのだが、私は彼女が本当に言いたいことが理解できなかった。けれどどこか、茶化してはいけないと思える。


「院長の孫娘だからと、そんなの通るとは思えないけど」

「宮前さんに言えば大丈夫ですよ?」


 まぁつまり、あれだ。私はこれから、宮前看護師長に頭を下げないといけないというわけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る