第31話 婚姻届

 春うららかな今日の善き日、セリカは伯爵さまの執務室で婚姻届を書いていた。


ダニエル・ラザフォードの署名の下に、セリカ・ダレニアンの名をしるす。


以前、ダレニアン伯爵家の係累簿に名前を書いた時のように、字が白く光って浮き上がった後で書類の上に落ち着いた。


立会人としてダレニアン伯爵とダルトン先生が署名をしてくださった。

二人とも心から私たちの結婚を喜んでくださっているようで、終始にこやかな笑顔だ。



「それでは、貴族郵便で王都に送ります。」


領地管理人のドレイクさんが婚姻届を手に取ると、侯爵様がそれを制した。


「いや、私がこのまま持って帰ろう。」


あら侯爵様は今日、帰る予定だったのかしら。



「ばかもん。結婚したその日に花嫁を一人で寝かせる花婿がどこにいる!」


「ダルトン先生の仰る通りです。せめて帰るのは明日にした方がよろしいかと。」


先生と伯爵様の進言に、侯爵様はしぶしぶと婚姻届をドレイクさんに渡した。



え……ちょっと待って。


まさか今日が初夜っていうこと?!


― はぁ~。

  侯爵様もたいがいだけど、セリカも鈍すぎない?


鈍いって言ったって。

そんな雰囲気はちっともなかったんだもの。

結婚式の後から一緒に暮らすものだと思うでしょう?


思わず侯爵様と見つめ合ってしまった。



「侯爵閣下、封印をお願いします。」


ドレイクさんの言葉に、二人ともハッとする。


侯爵様が封蠟ふうろうを溶かして封印すると、ドレイクさんは前と同じように光る砂で双頭の鷲を描いた。

すると外から「ブルルル」という鼻息が聞こえてきた。


もしかして、飛び竜が来たのかしら?


掃き出し窓が開かれると、そこには小人が立っていた。



ドレイクさんがすぐに封筒を持って出る。


「王宮かい?」


「ああ、書留郵便で頼むよ。」


小人は部屋の中にいるセリカたちをチラッと見てニヤリと笑った。


「手紙が喜んでるね。」


そんな謎の言葉を残すと、馬車の中の仕分け袋に手紙を放り込み、白く春霞はるがすみがかかったような飛び竜に一つむちをくれると、みるみる空高く登って行った。


「飛び竜も馬車も真っ青じゃなかった……。」


「今日の空は春霞がかかってますからね。」


ドレイクさんに当然のようにそう言われた。


― なるほど、小人の郵便馬車は空の色なのね。


いつ見ても不思議な光景だわ。




◇◇◇




 昼食をいつもの食堂ではなく、晩餐会をする時の広めの食事室でとると言う。


エバに晩餐会用のドレスを勧められた時に変だなとは思ったが、食事をする部屋が変わっていたことで確信を持った。


もしかしてこれって、内輪のお祝いの会をしてくださるのかしら?


― そうかもね~。

  ありがたいわね。


しかしウェイティングルームに入った時に、目に入ってきた人たちを見てセリカは驚きのあまり泣き出してしまった。



そこには精一杯のおしゃれをした家族がセリカを待っていた。


「父さん!母さん! カールたちも来てくれたの?!」


「綺麗だよ、セリカ。結婚おめでとう。」


「侯爵様に大切にしてもらえ。」


母さんや父さんと抱き合って、久しぶりの家族の温もりを感じた。



「ピザを作ったから食べろよ。」


「グスン……ありがと、カール。」


「おめでとう、セリカ。そのレースのドレス、とてもよく似合ってるわ。」


「ベッツィー……。」



侯爵様が泣いているセリカにハンカチを手渡してくれる。


「う…すみません。」


「いけそうか? あっちで皆、待ってる。」


「はい。大丈夫です。」


セリカはハンカチで涙をぬぐうと、背筋に力を入れて姿勢を正した。

目の前に差し出された侯爵様の腕に昨夜のように手を添える。

口の端をあげて、気合を入れて作った笑顔で侯爵様を見上げる。


そんな二人の様子をセリカの家族が微笑ましく見守っていた。



六人で食事室に入ると、ダレニアン伯爵家の人たちや先生方、執事のカースンさんや女中頭のバリーさんだけでなく大勢の屋敷で働く人たちが皆、集まってくれていた。


その人たちの温かい祝福を受けて、セリカはまた涙してしまった。


平民出の養子になって日も浅いセリカに、ここまでのお祝いをしてくださるとは思ってもみなかった。

一人一人にお礼を言いながら、セリカは徐々に結婚の実感を持ち始めていた。



「君の家族もクリスの家族も温かいな。」


ポツリと呟いた侯爵様の言葉に、今までの生い立ちを思わせる深い実感がこもっていた。


侯爵様もまさかこんなお祝いの会をしてもらえるとは思っていなかったのだろう。

何も期待していないからこそ、婚姻届を持ってすぐに王都に帰るつもりだった。



セリカは侯爵様の腕に添えた手に力を入れた。


「侯爵様、これからは私が侯爵様の家族です。ダレニアン伯爵家のような温かい家庭を作っていきましょうね。」


セリカの言葉が耳に入ると、侯爵様は目を見開いてこちらを見つめてきた。

深い青色の瞳が何かの感情に揺れているように見える。


「……そうだな。」



「おめでとう! ほら二人ともシャンパンを持って!」


セリカたちがクリストフ様にシャンパンを渡されると、伯爵さまが高らかに杯をかかげる。


「二人の幸せを祈って乾杯!」


「乾杯!!!」


それに応えて、グラスをかかげた人たちが一斉に乾杯をする。


その途端に魔法の光のシャワーが、部屋中に飛び出してきた。



「うわぁ…………。」


セリカと家族はびっくりした。

まるで夏祭りの花火の中に飛び込んだみたいだ。


貴族の乾杯って、すごいね。



一口飲むと奏子の記憶にあったシャンパンの味と同じだった。

セリカの家族は初めて飲むシャンパンに驚いていた。


「これ、顔に泡の粒がぶつかってくるよ。」


その感覚が面白いらしくて、カールが喜んでいる。


「まぁ、これはお酒でしょっ。」


「カールはそれ一杯だけよ。」


「えぇ?! 僕、ほとんど成人じゃん。」


母さんとベッツィーにお代わりを取り上げられた情けないカールの姿に、家族の笑いが弾ける。



立食パーティーでのピザの人気はすごかった。


貴族の人たちは皆、手で掴んで食べるところやとろけるチーズに絡まる様々な具材の味に驚いていた。

特に伯爵様とティムくんが仲良く一切れのピザを分け合って食べていたのがほほえましかった。


体調が万全ではないマリアンヌさんとペネロピも部屋の隅の椅子に座って参加してくれていたので、セリカはベッツィーを引っ張っていって、二人に引き合わせた。



ベッツィーはマリアンヌさんと同じ歳なので、話が合ったようだ。

ちょっと考えただけでは元伯爵家の令嬢と農家の娘の接点など全くなさそうだが、マリアンヌさんは乗馬をするぐらいなので動物や植物のことを話すといくらでも話題があったらしい。



セリカはペネロピと結婚準備のピローカバーやナフキンにする刺繍の話をしていた。


「顔にあたる所に刺繍があったら邪魔だから、ワンポイントか縁飾りなんかがいいんじゃないかしら。」


「そうよね。私は寝返りをよく打つからピローカバーは縁飾りだけのほうがいいかも。」


セリカがそう言うと、ペネロピは真っ赤になって口をつぐんだ。



「……セリカ、あの…えっと。お義母さまがパーティーの後で話があるって言ってたわ。」


「へぇ~、何だろ? バノック先生が今度、女中頭のバリーさんに頼んでリネン類の管理を教えてもらうって言ってたから、そのことかしら?」


「う…たぶん、そのぅ…、今夜のことだと思う。」


「え……。」


セリカはペネロピの顔を見つめたまま、みるみる身体中が熱くなるのを感じていた。



奏子…。

これってどうしたらいいの?


― 経験のない私に聞かないでよ。


だって、二十六歳だったんでしょ。


― 日本には、三十歳になっても童貞で処女の人なんて

  たくさんいるのよ。



まだ出会って一か月にもならないのに…。


遠くでクリストフ様やカールと談笑している侯爵様の姿をチラリと見て、セリカはもう一度ペネロピに向き直った。



「大丈夫、優しくしてくれるわ。」


ペネロピにそっと握られた手に、縋りつきたくなるセリカだった。

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