第28話 ショッピング

 曜日の八刻の鐘がダレーナの街に響いている。


セリカは馬車の窓から久しぶりに見る街並みを眺めていた。


一週間も経っていないのに、いやに懐かしく感じる。


「セリカ、今日は靴やバッグ、髪飾り等を揃えようと思ってるんですけど、何か他に買いたいものがありますか?」


水色の外出着を爽やかに着こなしているマリアンヌさんは、今日も美しい。


クリストフ様は本当に奥様に恵まれた人だな。


― そうね。

  マリアンヌさんはしっかりしてて綺麗だし、

  ペネロピは優しくて話しやすいし。



「できたらうちの、トレントの店の近くにある手芸用品店に寄りたいんですが。バノック先生がリボン刺繍用の針を欲しがっていらして。そこに行けばあるんです。」


「まぁ、それは私も欲しいわ。お義母さまやペネロピにも買っていきましょうよ。」


午後の女性だけでのお茶会があった時、バノック先生がセリカの刺した刺繍の話を持ち出してから、ダレニアン伯爵家の女性陣もリボン刺繍に興味津々だ。


リボン刺繍用の針は、セリカがハリーの家の金物店に頼んで特別に作ってもらったものだ。

近所のスミス手芸店にも置いてもらっているのだが、たぶんまだいくつか売れ残りがあると思う。


平民の間では、リボン刺繍に関して貴族の女性ほどの食いつきはなかった。

たぶん針もリボンもちょっとお高くなるからだろう。




◇◇◇




 先日、オマリー服飾店でオーダーメイドしたドレスの色に合わせて、パーティー用のバッグや靴、それに飾りなどを買い、スミス手芸店に着いたのが九刻の頃だった。


トレントの店の前を通り過ぎる時に、カールが営業中の印になる店の旗を持って出てきたのがチラリと見えた。


懐かしさに胸がギュッと絞られる。

本当はセリカも今時分はエプロンをかけて、母さんの「頑張りましょう」の声に「おうっ」と応えている頃だ。


なんだか家が遠くなっちゃったな。


― でもカールが元気そうで良かったじゃない?


そうだね。

ベッツィーと上手くやってたらいいけど…。



「お昼ご飯をトレントの店で食べましょうか? あそこは美味しいとクリスに聞いてるの。どう思う、セリカ?」


マリアンヌさんがいたずらっ子のようにキラキラと目を輝かせながら、身を乗り出すようにして外を眺めていたセリカに、そんな相談を持ち掛けてくる。


「……マリアンヌさん。」


「ご両親に元気でやっていると言って顔を見せてあげたら? たぶん心配してらっしゃると思うわ。」


ありがたい。

自分がいなくなって店がどうなっているのかずっと気になっていたのだ。



スミス手芸店に入ると、おばさんが驚いてカウンターの中から出てきた。


「まぁ珍しい。セリカじゃないの! あんた、お嫁に行ったって聞いたけど、まだこっちにいるんだね。」


「ええ。結婚式まではダレニアン伯爵様のところにお世話になってるの。こちらは伯爵様の息子さんの奥様のマリアンヌ様。」


「あ、失礼しました。いらっしゃいませ。」


「こんにちは。こちらにリボン刺繍用の針があるとセリカさんに聞いたんですが。」


「はい、ございます。町長さんのとこの奥さんや商工会議所の会頭のお嬢さんにも贔屓にしていただいてるんですよ。」


スミスさんはそんな自慢をしながら、リボンの幅に合わせた針を何本か出してきた。



「あら、この見本の刺繍も素敵ね。」


「それはセリカが作ってくれたんです。この子は小さい頃から変わったアイデアを持ってる子でね。侯爵様に見初められるのも無理はないですよ。いつかね…。」


「おばさん。」


何を言い出されるのかわかったものではないので、セリカはスミスさんの長話を遮った。


マリアンヌ様は楽しそうにそんなセリカたちの様子を見ていたが、お昼ご飯の時間のことも考えなければならない。

そのためスミスの叔母さんに話の続きを促さずに、何本もの針とリボンテープやレースなどを、短時間で選んで大量に買い込んだ。


こんなにまとめて売れることもそうそうないので、スミスさんがそちらに気を向けてくれたので助かった。


このおばさんにはセリカの小さい頃からの失敗を全部知られている。

時間に余裕がある時に、この店に知り合いを連れてきたらダメだな。




◇◇◇




 トレントの店に入ると、店中の人たちが一斉にセリカたちの方を見た。


庶民の飯屋に貴族のような服装をした人間が三人も入って来たのだ。

珍しがられても不思議はない。


母さんがセリカを見つけて嬉しそうに走り寄って来た時、隣にいたマリアンヌ様が口に手を当ててよろめいた。

後ろにいた付き人のロイスさんが、すぐにマリアンヌさんを支える。


「奥様?!」


「マリアンヌさんっ。」 


「ごめ…んなさい。なにか急に眩暈と吐き気が……。」


マリアンヌさんの顔は血の気がなくなっていて、紙のように白くなっている。


「セリカ、奥の部屋へ座布団を敷いて! 貧血が起きたんだよ。」



母さんの指示にセリカは勝手知ったる店の奥に急いで入っていき、ベッツィーがポカンとしている横をすり抜けて、宴会部屋に座布団を敷いた。


すぐに母さんが付き人のロイスさんと一緒にマリアンヌさんを連れてくる。

マリアンヌさんはぐったりと、いつかの侯爵様のように座布団の布団に寝転んだ。


「水を持ってくるからね。あんたはちゃんと奥様の様子を見てるんだよ。」


セリカは頷いて洗面器を用意しながら、マリアンヌさんの顔色を見ていた。

ロイスさんも座布団を枕のように折って、マリアンヌさんの頭の下に入れている。


「ごめんなさい。こんなことになっちゃって…。」


「いいんですよ。馬車の中じゃなくてよかったです。眩暈が収まるまでゆっくり寝ててくださいな。体調が悪い時に、私の買い物に付き合ってもらってすみません。」


「ううん。まだ大丈夫と思ってた私が悪いのよ。」


「え?」


「たぶん。いえこんなことになったのだったら確実だわね。…赤ちゃんが出来たのではないかと思うんです。」



セリカはびっくりして目を見開いた。


「赤ちゃん? まぁ、馬車なんかに乗ったらダメじゃないですかっ。振動は妊娠初期にはよくないんですよ。」


「そうなの? ティムの時には乗馬もしてたんだけど。」


……マリアンヌさんって、見かけよりたくましいのかも。



その後、少し落ち着いたマリアンヌさんと軽い食事だけをして、伯爵邸に帰って来た。


母さんたちと落ち着いて話は出来なかったが、お互いに元気な顔を見ることができて安心した。

ベッツィーもカールと上手くやっているようで、夕方には今も二人で散歩に行っているようだ。



伯爵邸に帰ってくると、付き人のロイスさんがお医者様を手配してくるというので、セリカは一緒にマリアンヌさんの三階の部屋までついて行った。


マリアンヌさんがベッドに横になったかどうかと言う時に、居間の南向きの窓が叩かれたのでびっくりした。


クリストフ様…。


ロイスさんに聞いたのだろう。

階段を使わずに一階の書斎から窓を出て、飛び上がってきたようだ。


― 飛び上がるほど嬉しいというのは、こういう時に使うの

  ね。


奏子の言葉に笑ってしまった。



セリカが窓の鍵を開けると、文字通りクリストフ様が飛び込んできた。


「ありがとう、セリカ。子どもができたんだって?!」


「奥様に直接聞いてくださいな。私は失礼しますから。」


寝室に駆け込むクリストフ様の姿を見ながら、セリカは羨ましい気持ちを抑えられなかった。


この夫婦のようにお互いを大事にし合っている関係と、自分と侯爵様のようなドライな政治バランスを考えた上での関係。

比較すると、なんだか寂しくなる。



結婚にはもう少し夢が欲しいよね。


― そうね。

  レイチェルの言ってた、ペガサスに乗った王子様までは

  望まないけどね。


奏子も二十六歳になってたのに結婚してなかったんでしょ?


― 前世も今生もロマンスには縁がないのかも。


セリカと奏子は二人揃ってため息をついたのだった。

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