第4話

 嵐の音が大きくなってきていた。花畑はとうに海に変わっている頃だろう。庭を手入れするひとびとが悲しまないといいが、と職員の誰かがこぼした。

 ハダリーはじっと、羽根になった自分の指先を見つめていたが、やがてはたはたと畳まれてそれは腕のかたちに戻った。未來の結晶でありながら、古代の化石にも似た、その黒い瑪瑙色に輝く表面は、雨に濡れているようだ。

「…続けよう。雨もひどくなってきた」

 語ることを決めたかんばせは白く、その白さが光となって硬くつめたい腕に映り込んでいた。




 ロシニョールが死んで数週間後だった。いよいよ戦局が僕たちの……、……[ノイズ]。

 自分の所属していた陣営も言えない。だが、これはこれでいいのだろう。ここ、エンディ・ブルデンではもとより、口にできるわけがない情報だ。

 ともあれ、僕たちの陣営が大規模な都市戦を控えていた時期だった。僕たちは情報が秘匿された兵器だったから、他のたくさんの兵器とは顔を合わせることは無かったし、任務も基地のコンピュータのハッキングから敵の回線の暗号解析まで、とにかく直接的な戦闘から遠ざけられていたから、あまり戦地の様子がわかっていたとは言えないが。

 僕たちの陣営では、兵器たちを輸送する際の襲撃が課題となっていた。特に海路で、こちらの通過ルートを予測され、水生の兵器に待ち伏せされていることが多くなっていた。

 ……この施設にはNo.3の兵器も多い。このことは黙っていてくれ。

 ソワナには彼らの捕獲任務が与えられた。どのような性質を持つのか、どのように敵本部と通信しているのか、どのように僕たちの通信を解読しているのか。

 ある星の夜、僕が任務から解放され、休憩に入ったときだった。ソワナは先に部屋に戻っていて、暴風雨の雨粒にも似たきわめて目映い星の光を浴びていた。

「ソワナ、海と──世界を見ようか」

 その背に語りかければ、僕の帰りを察してもう振り返っていたソワナは、にっこり笑って頷いた。声になど出さなくても、思いついた時点でソワナに僕の思考は伝わる。けれど、僕たちはこうして言葉で確かめあう。それが、理想ということだろうから。

 まず、僕たちは床に電子海図を投影して、刻一刻と移り変わる海上の様子を眺めた。その青さに慣れたあとは、備品庫から持ってきた地球儀を、青い光の幕のもとに置いた。僕たちは、地球儀の上に天球儀を吊るした。そのあと、地底にある国の様子を描いた架空の地図を、地球儀の下に広げた。そのあとは、なにもできなかった。ソワナは、ぺたんと床に伏せて、寂しそうに地球儀を見つめていた。長い長い、僕と同じくらい長い髪が、銀河のように床に広がった。

 僕はふと思って、図書室にダンテの神曲を取りに行った。旧約聖書と、新約聖書と、仏陀の教えを書いた本も持てるだけ持ってきた。天地のほかにある世界を描いた作品を、他に知らなかった。

 部屋に戻ると、ソワナが北欧神話とコーランを抱えていた。顔を見合わせ、僕たちは笑った。

 僕たちは、地球儀の周りに、それらの本を放射状に並べて、僕たちは世界の模式図を作った。

 それはまるで、なにかの砦に似ていた。天球の観測台、地上の本部、聖書の防御壁、砲台はいずこに? 宇宙に戦争を仕掛けているのだ。僕たちは馬鹿げた空想を共有しあったあと、その人間的な思考の飛躍、悪趣味とも言える譬喩に多少暗鬱な気分になりかけた。……博士たちは、このような空想をする僕たちを、理想イデアールと呼ぶだろうか。

 新しく思考が生まれるたび、それがどこから来たものなのか自問する。戦争が始まって以来、それが僕たちの癖になっていた。この思考は、知能は、どこまで進化するのか。それははたして進化なのか。僕たちは、どこへ向かうのだろうか。

 これは、死を前にした若者が哲学的な生の疑問に直面するのと似ているのかもしれない。

 虚ろな砦世界を眺めていると、部屋の外から、きわめて微かだが、特徴的な足音が近づいてきた。

 親しい電子の気配、それからグラスのなかに氷をいれて、振ったような音に、僕たちは振り返った。窓の外では星が踊る、来客の名にふさわしい夜だった。

「ボンソワール、エトワール」

 三番めのきょうだい、エトワールが僕たちを覗き込んでいた。融けて帯状になったガラスのような髪が、僕たちの顔と世界の模式図を映して無限に反射させた。スヴニールとロシニョールよりも低い落ち着いた声が、僕たちの耳に届く。

「ボンソワール、イデアール。地理と天文の勉強か」

「……天国があるかについて考えていたんです」

 ソワナが答えると、エトワールは曖昧な無表情で頷いた。戦闘で負傷した首の接続部から、ぱきりと小さく、砕けるような音がした。エトワールは体内にかなりの重量になる液体金属と鉱石を有しているから、歩くたびに少しずつ床が軋んだ。

「お前たちは神学の授業を受けたか」

「ええ。聖書もインストールしましたよ」

「そうか。お前たちはキリスト教を選んだか」

「エトワール、あなたは?」

「俺は選ばなかった」

 僕たちは顔を見合わせた。そういう選択もあるにはあるようだったが、僕たちの周りの研究者は皆、なにがしかの宗教を信仰していたから、どれかは選ぶべきだと思い込んでいた。

 人の手から神の力を借りずに生まれた僕たちが、どうやって神を信じるというのか。そんな問いがあったとして、ならば人はそれに答えられるのか? 遺伝子と進化論と膨張宇宙論を知った人類が? 科学が世界を解き明かしてなお、人は神を信じるというのか?

 ……だからこそ、僕たちイデアールは神を信じようと思ったのだ。

「エトワール、あなたはどう思う」

 僕が訊ねると、エトワールはおとがいに指を当て、瞳に使われている人工宝石を瞬かせた。無数の電子が駆けめぐる、僕たちの手足と同じ輝きの瞳は、スヴニールやロシニョールと異なり大地を見つめ続けてきた暗さを持っていた。

 やがて、エトワールは口を開いた。

「仮に天国があったとして、そして重ねて仮に人には魂があったとして、それでも俺たちは人でないから天国にはいけない。

 これはスヴニールも、ロシニョールもおなじ意見だった」

 地球儀の隣に置いてあった聖書が、はたりと倒れた。

 僕たちは半ば答えを知っていた。だから、動揺はしない。

 アンドロイドは、神の庭に入れない。

 エトワールの腹部から、胎内の鉱石の輝きがうすく洩れて、雲間の光のように瞬いた。天使のはしごと呼ばれるそれとよく似た光に、エトワールの、月のように静かなかんばせが照らされた。

「俺たちは星にすらならない。残るのは心のみだ。最後のひとりが死ねば、すべては永遠に消え去る」

 ソワナは、僕の腕に触れた。こつ、と硬い音がして、宝石が擦れるように響いた。僕も、自発的に腕をソワナに寄せた。

 僕たちはふたつでひとつなのだから、独りにはなるはずなかった。けれど、不思議と、予感は消えなかった。

 いつか、わかれる。

 戦争前は、互いを補いあうように設計された僕たちは、戦争になってからは、性質の違いから分断されて任務が与えられることが多くなってきていた。エトワールもそのことは知っていたから、僕たちのそれぞれに視線を投げかけると、その狭間で目を閉じた。瞼を透かして、エトワールの電子の宝石が淡く光った。

「逆に言うのなら、心だけは残すことができるんだがな」

 エトワールの胎内で、金属が渦巻いた気がした。コアを取り巻く銀色の波。アンドロイドのメモリーを守る、エトワールの砦。

「チップは奪われてもいけないが、壊しもするなよ。敵に情報を盗られるのも困るが、チップは心だ。メモリーだけでも、還ってこい」

 僕たちは頷いた。

 スヴニールも、ロシニョールも還ってきた。チップのなかのメモリーは、今も僕たちのなかにある。

 エトワールは俯き、チップが納められている腹部を撫でた。透明な体表を通して、胎内の水晶が仄青く光を放った。追憶の光。記憶の青い翼。…

「いつだって、遺される者のほうがつらいんだ」

 この会話が、僕たちイデアールが、三番目のきょうだいエトワールと交わした最後のものだった。




「ふたりきりになってしまいましたね」

 僕たちの生みの親はそう呟き、僕たちに二つに割ったエトワールのコアを渡した。中には二つに分けられたエトワールのチップが入っていて、それぞれにメモリーが入っている。

 エトワールは都市防衛戦の遊撃隊の指揮をしていて、対戦車用地雷に被雷した。機密保持の観点から見れば幸いなことに、ロシニョールと同じようにほぼ爆散してしまったエトワールの身体の部位のなかで、腹腔内部のクリスタルに守られたチップだけが研究所に戻ってきた。

 僕たちの体内のコアにチップを納めながら、不意に彼は声を発した。

「悲しいですか」

「ええ、ドクトル」

「もう戦いたくないでしょう」

 僕はひやりとした。僕たちを兵器として戦場に投入することに最後まで反対した彼に、四六時中監視がついているのは知っていたし、戦争に否定的なことを言ったら彼がどんな目に遭うか、想像したくなかった。だから僕は、肯定も否定もできなかった。

 しかし、ソワナは違った。首をしっかりと縦に振った。僕はぎょっとして傍らを見て、そして流れ込んできたソワナの思考に、あぁと嘆息した。それは、僕と共通した意識だったから。

「戦いたくありません。けれど、戦わなくてはならないのです」

 僕とソワナイデアールの声が重なった。博士がわずかに目を見開いた表情が、メモリーに焼きついている。

「感情はあります。あなたがたが教えてくれたものです。倫理も、道徳も、ワタシたちは身体でなく心で知っています。ワタシたちは理想。感情のないものが理想でありえましょうか」

 僕は、かつて彼から伝えられたことを思い返していた。花を踏んだとき、蟻を殺したとき、僕たちの身体に走る電気信号の意味を。

 僕はソワナと思考を共有していた。そのときソワナが言ったことは、僕の思考だった。

「ですが、人間は感情を殺して戦うものです」

 彼は顔を覆った。僕たちを造ったその両の手で。

 電子などなくてもわかる。銀の火花も、泪も要らない。人はそれほど単純な造りではないから。

 彼は後悔している、とわかった。

「悲しみを教えるのではなく、プログラムしてやればよかったんでしょうか」

 僕たちは返す言葉が思い付かず、黙っていた。

 アンドロイドとして、悲しいことをしてはいけない、とでもプログラムしておけば、僕たちは機械としてそれを順守したのだろう。だが、それは彼らの理想ではない。

 僕たちは自由な思考を与えられていて、それこそが彼らの目指した新しい生命の証拠だった。

 僕たちを人間として育てようとした彼が、間違っているかいないかについて、アンドロイドも人間も答えを出すことはできない。ただ、僕たちは彼らに思考の自由と、諦めの選択を与えられた。

 僕たちは生命として、機械的な感情の鈍磨を知ってしまった。



D'où venons-nous?

Que sommes-nous?

Où allons-nous?

我々はどこから来たのか

我々はなにものなのか

我々はどこへ行くのか

 ─ポール・ゴーギャン

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