23、対峙――驚愕
―――
「何だよ、急に彼氏連れてくるって。昨日は友達だって言ってたくせにさ。」
拗ねたような口調になってるのが自分でもわかって、透はそっと妹から目を逸らした。
「だって急に会わせてくれって…。それに彼氏じゃないから。」
「彼氏じゃなかったら何だよ。家族に会わせてくれっていうのはそういう事じゃないのか、普通。」
「さぁ、私もよくわかんないんだよね。とにかく会いたい、真実を知らなければいけないとか何とか言って…」
「真実?何だそれは?」
「だからわかんないんだってば!」
大声を上げて片手を振り上げる春香を、透は脇にあったクッションで避けた。
「危ないなぁ~!暴力反対!」
「お兄ちゃんが変な事言うからでしょ!」
「あの~…」
「は、はいっ!」
兄妹仲良く喧嘩をしていると突然声が降ってきて、二人は飛び上がった。
「面会の方がいらっしゃってますが…」
二人が振り向くとそこには看護師と一人の男が立っていた。春香は慌てて兄から離れると、その男に向かって微笑みかけた。
「福島さん、どうぞ。あ、兄です。」
「どうも。佐伯といいます。いつも春香がお世話になって。」
「いえ、妹さんには助けてもらってばっかりで…。あ、これどうぞ。」
男は持っていた紙袋を少し上げて透に見せる。ちらっと見えたマークには見覚えがあった。
『あぁ、そうか。いつも葉菜ちゃんが持ってきてくれるのと同じ店か。』
なんて余計な事を考えていると春香が肘でつついてくる。何かと思って顔を上げると、恐い目をした妹と目が合った。
「あ、あぁ…。ありがとう。わざわざ悪いね。そんな気を遣わなくても良かったのに。」
「いいえ。こんな物で許される問題ではないと思ったのですが……」
「え…?」
「福島さん?どうしたんですか?」
その紙袋をベッド脇のテーブルに置くと、その男は一歩前に進み出して口を開いた。
「申し遅れました。私は…須田章介と申します。」
「…え…?」
「須田…?…っ!」
透と春香の目が見開く。そして微動だに出来ない二人を他所にその男――須田章介は淡々と語り始めた。
「十年前、貴方を刺したのはこの私です。あの時は本当に…申し訳ありませんでした。十年経った今でもこうして苦しませてしまっていたとは気づかず、自分は刑務所を出てのうのうと暮らしていました。偶然とはいえ、妹の春香さんにまで関わってしまって…本当に何度謝っても足りないくらい私の罪は……」
「そんな事はどうでもいい!」
「…お兄ちゃん…」
章介の言葉を遮って自分の大声が病室に響き渡るのを、透はどこか遠くで見つめてるような変な感覚で眺めていた。
まるで自分の体が幽体離脱でもしたかのような妙な違和感。隣の春香の手の感触で一瞬現実に戻りかけたが、もう一人の自分の暴走は止まらなかった。
「偶然だって?本当はあんたがわざと春香に近づいたんじゃないのか?俺を見張る為に。」
「そんなっ!」
「俺が変な気起こして自分に仕返しにくるんじゃないかと想像して恐くなったんだ。それで俺たちの事を調べてこの街に来たんだ。違うか?」
「違います!私は…」
「残念だが俺はお前の事など忘れてたよ、今の今まで。」
「…え?」
「そりゃ、初めのうちは恨んださ。殺したい程憎んだ。だけど俺の周りには良い人たちばかりだ。葉菜ちゃんや叔父さん、叔母さん。この病院の人たち。もちろんお前もな。」
「お兄ちゃん…」
春香を見ると目に涙を溜めている。透は妹に向かって微笑んだ。
「そんな人たちが俺を支えてくれた。だから負の感情なんかどっかに消えたよ。足が動かない事は悔しいけれど、その原因となったあの事件の事はどんなに考えたって取り返しがつかない。もしも1分早かったら、弁当なんて買いに行かなかったら…。そんな事を百万回後悔しても過去は覆せないんだ。だったら足が動かない事を理由に逃げてないで、前を向いていこうって頑張ってんだ。お前の事なんて恨む暇なんかなかったんだよ。」
吐き棄てるように言うと、章介は一瞬体をびくつかせた。
そしてそっと顔を上げると春香の方を見た。
「本当にすみませんでした。貴女に会わなければこんな思いさせないで済んだのに…」
「………」
春香は黙っている。透はやっと理性が戻ってきたみたいで、心配そうに妹の顔を覗き込んだ。
「…ないで…」
「え?」
「そんな事言わないで!」
「前園さん…」
「だって私たちが出会えたのは時田さんがいたからでしょ?時田さんと過ごした時間まで否定するの?私は貴方と出会った事、後悔しない。したくない。」
毅然とそう言い切る妹が誇らしく思える。もう立派な大人だ。自分で考えてちゃんと前に進んでいける。
もう保護者は必要ない。そう心の中で呟いて透は一人微笑んだ。
「貴方があの事件の犯人だって知って正直ビックリした。私の大切なお兄ちゃんをこんなに苦しませた帳本人が本気で好きになった人だなんて、自分の運命を恨んだ。でも…きっと出会う運命だったんだと思う。例え貴方がもっと極悪人で、弱虫で優柔不断で何も出来ないろくでもない男だったとしても。」
「………」
最後の方は笑いながらだったけれど、春香なりの葛藤があってそれでも絞り出した彼女の本音だった。
憎んでないと言ったら嘘になる。恨んで恨んで、それこそ夢の中で顔も知らない犯人を兄の代わりに殺した事もあった。何度も何度もこの醜い感情をぶつけた。兄には言えなかったけれど……
でも目の前の彼―本当の名前は須田章介といった―は、本人が言う通り弱虫で優柔不断かも知れない。あんな事件を起こしたくらいだからカッとなりやすいタイプかも知れない。
だけど本当の彼はきっと、自分が見てきた彼なのだと信じたい。
自分が好きになった人を、そして何より自分の心を信じてみたい。
自分で選んだ道を後悔しないように生きていきたい。兄のように……
「私は福島研次さんが好きでした。だけど今は…須田章介さんと一緒に生きていきたいです。」
「…!」
真っ直ぐ章介を見つめながら言った春香の姿が眩しく見える。
窓の外から入ってくるキラキラした太陽の光が反射して、まるで虹のように綺麗に見えた。
「……っ!」
「あ、福島さん!…じゃなかった…須田さん!」
思わずといった様子で病室を出ていく章介を、春香は追いかけようとした。
だが一歩踏み出したところで戸惑った顔で透を見る。
「……大丈夫だから。行ってやれ。」
そう言うと、春香は章介を追いかけて行った。
「やれやれ…」
呆れたように呟いた顔は、意に反して優しいものだった……
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