15、手紙――溢れる涙


 福島さんへ


 今まで色々とお世話になりましたね。たまたまとはいえ助けて頂いて、本当に親切な人だなと感じました。

 それに私の我が儘で毎日のように来てくれて、こんな年寄りの話し相手になってくれて嬉しかったです。


 主人と私の間に子どもは残念ながら恵まれませんでしたが、毎日来てくれる貴方の事をいつしか本当の息子のように思っていました。

 主人と私と貴方の三人で、今までの人生を生きてきたような錯覚を起こした事もあります。おかしいでしょう?そんな過去はどこを探してもないのに……

 でも私はそんな幸せな夢を貴方の中に見ていたのです。


 今日、主人が亡くなったと聞きました。

 あの人がもう長くない事は薄々わかってはいましたが、心の支えを失った今の私にはもう生きる気力が無くなってしまいました。


 肺に腫瘍がある事は、実はわかっていました。検査をしてしばらくした頃から前園さんの様子がおかしかったので怪しんでいたのですが、その内『あぁ、どこかに腫瘍でもあるのかな』と思い至りました。


 でもその腫瘍が悪性なのかどうかという事はもはや私には関係ありません。あの人を失った私にはもう、生きる意味がないのです。いつかはあの人を追いかけて自分も旅立つのだろうと覚悟しています。


 私たち二人が今消えてしまえば、私たちの血を受け継ぐ者はいません。けれど貴方には私の意志を伝えたいと思い、こうして手紙を遺す事にしたのです。


 いつか話しましたね。主人の浮気の話。


 ちゃんと自分の所に帰ってきてくれるだろうと平気な顔をしながらも、実は内心ドキドキしていました。

 このまま離れていかれたら、私は一体どうすればいいのだろうと。

 本当に私はあの人がいなかったら何も出来ない情けない人間だったのです。


 貴方は私の話を聞いて感心していたみたいでしたが、実際はこんな事を考えていたのですよ。貴方の前では見栄を張ったのかも知れませんね。


 結局主人は帰ってきてくれましたが、やっぱり最初は許せなかった。でもそんな感情は一緒に暮らしていく内に綺麗に浄化されました。

 だからこそ貴方に話そうという気になったのかも知れません。


 回りくどくなってしまいましたが結局何が言いたかったかというと、『人を愛する』『大切な人の事を信じる』という事を忘れないで欲しいという事です。


 人を愛する事で愛される喜びを知る。信頼関係を築く事で、また別の誰かを信じられる。


 貴方は私の息子のような存在だから、早く大切な人を見つけて幸せになって欲しい。

 そしてお互いに愛し、信じながらずっと一緒に歩いていって欲しい。


 時には憎み合う事もあるでしょう。けれど憎しみだけでは愛は生まれないから、同じくらい愛し合いなさい。


 私たちのように…なんて恥ずかしいですね。


 私はもうすぐあの人の元へ旅立ちます。何も怖くない。むしろ幸せいっぱいです。


 ちょっと出遅れたけど、きっと向こうでまた逢えるでしょう。


 貴方がこの世でたった一人の大切な人と出逢えるよう、願うばかりです。

 長々と綴りましたが、最期に伝えたい事は一言。



『ありがとう、さよなら。また逢える日まで』







―――


 ポタッと白い紙に雫が落ち、インクが滲む。

 最初は一滴だったのが、次々にそれは増えていった。

 研次は慌ててその手紙を封筒にしまい、自分の瞳からとめどなく流れ落ちる涙を拭った。


「時田さん……」

 一言呟き、部屋の窓から見える星空を眺めた。

 点々と光る星たちの間に紛れ、短い間だったが彼女と過ごした楽しかった思い出が蘇ってきた。


 ふとテーブルに置いたきぬからの手紙に視線を移す。

 手紙の中には自分の事を本当の息子のように思っていたと書かれていた。


 実は研次の方も、少なからず本当の母親に抱くような気持ちをきぬに対して持っていた。


 父は研次が生まれてまもなく病気で亡くなったと聞いたし、一人で育ててくれた母も亡くなった。


 どこか懐かしく切なくなるような気持ちを、きぬと会って話す度に感じていた。

 まさかきぬの方も同じように感じてくれていたとは……


「一番大切な人…か。」

 空中を見つめながら彼女の最後の願いを口にする。


 その時見つめた先に前園春香の姿が浮かんだが、研次は気づかないフリをした……



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