第9話 メンチカツ と 師匠

◇9◇


「……あっ、アニキ! コッチですよっ!」

「アニキ、ここっすよぉ!」

「アニキ!」

「……待たせたな?」


 待ち合わせ場所に向かって早足で歩いていた俺。そんな視界の先に、三人の姿が映し出される。

 事情が事情なだけに俺の方から頼んでいたことだとは言え。

 三人の姿を見つけて少しだけ心に安心感が芽生えていたのだろう。俺は微笑みを浮かべながら三人に近づいていた。

 そんな俺に最初に気づいた歩が俺に手を振りながら声をかける。いや、気づいているから……。

 歩の声で気づいたのだろう。翔と透も振り返る。そして大声で俺を呼んでいた。

 とりあえず周囲を見回したけど人影がないことに安心していた俺。

 ……うーん。だけど、なんで小豆やあまねるを含んだ俺の周りの人間は、俺が気づいているのにアピールをするのだろう。もしや、向こうが針の穴が目立たない視界……な、訳はないよな? こいつら三人だけなら納得できるのだが、可愛い妹を卑下ひげすることは万死ばんしに値する行為だからさ。きっと、違うのだろう。

 とは言え、俺の方から来てもらったのだからと特に言及げんきゅうすることもせず、苦笑いを浮かべながら近づいて声をかける俺なのであった。


「……わざわざ来てもらって、本当にすまない……」


 三人に対峙たいじした俺は頭を下げて謝罪をする。一応ケジメをつけないと先に進まないからな。


「なぁに、言ってんすか? そんなの当たり前っすよ?」

「……歩……」

「俺達は昔も今もアニキの親衛隊っすからね……」

「……翔……」

「アニキの一大事には真っ先にけつけますよ」

「……透……」


 そんな俺の謝罪に、それぞれが当たり前だと言わんばかりの表情で、俺に嬉しい言葉を返してくれていた。

 親衛隊。それは少年ギャング時代の名残なごり。

 当時の三人は文字通り、チームのリーダーである俺の親衛隊だった。

 時に俺の壁役として。時に自分の正義をつらぬく為に俺の拳として。俺と一緒に幾度いくどとなく修羅場をくぐり抜けてきた三人。

 チームが大きくなっても、「ここぞ」と言う時に俺が信頼して背中を預けていたのは三人だけだった。

 

 時は流れ……チームを脱退した現在。それでも、昔と変わらずに俺をしたってくれていることへ感謝の意味を含ませ、微笑みながら三人を眺めていた俺。


「……まぁ、俺達がもっと早く情報を手に入れられたら、こんな事態にはならなかったんすけど……」

「ふっ。……わざわざ来てもらって、本当にありがとう」


 だけど透が表情を一変させ、申し訳なさそうに言葉を繋いでいた。そんな透の言葉に反応して他の二人も同じような表情を浮かべて俺を見つめる。

 だけど、小豆の一番近くにいた俺が妹の異変に気づいてやれなかったのが原因だ。こんな事態をまねいてしまったのは俺のせい。透達の責任なんかじゃない。

 とは言え、こんな場所で押し問答をしても何も解決しないし、時間もない。そして、そもそも今ここで伝えるのは別の言葉なのだろうと判断した俺。

 だから俺は笑みをこぼして、そして三人に向かって礼を伝えるのだった。


「……うっす!」

「……よし、それじゃあ……向かうとするか? ……」


 きっと三人には俺の礼の意味が通じたのだろう。

 俺の礼を受けた透は表情をゆるめて元気よく返事をする。他の二人も同じように表情を緩めていた。

 そんな三人を眺めてから、俺は三人に声をかけてきびすを返す。そして目的地まで歩き出すのだった。


 俺の声かけに、三人からの返事はなかった。歩き出してから振り返ることもしていない。

 だけど、俺には確かに伝わっている。背中を包む、後ろを歩く三人の気概きがい

 心強い安心感と、どんな試練だって乗り越えられそうな力強さ。

 声や言葉に出さなくても、たとえ姿が見えなくても――

 何年も一緒に行動してきた。幾度となく修羅場を乗り越えてきた。幾度となく、安心して背中を預けてきた。

 そんな見えない時間の濃さが教えてくれた、俺にとっての『家族』のような、もう一つのきずなの形。

 そんな、俺達にしか理解できないだろう――絆の深さを互いに感じながら、一歩一歩進んでいく俺達なのであった。



「……さて、と……」


 呼び出された廃屋工場はいおくこうじょうの前に到着した俺達。廃屋工場だけに扉は開放されている。特に入り口付近には誰もいないようだ。

 まぁ、別にアジトって訳ではないからな。俺を呼び出すのが目的なんだろうし。

 とにかく入り口の前に下っ端したっぱ辺りが待機していて「なぁんだぁ、てめぇ?」とかメンチ切られても……なんか無性むしょうにメンチカツが食べたくなったぞ?


「……腹が減っては戦はできぬ! ……ですぞ、殿?」

「んぉ? ……ぉぉ……ふむ、よきにはからえ、皆の衆……い、いやいや、かたじけない……馳走ちそうになろう」

御意ぎょい……」


 そんな風に考えていた俺だったが。

 ガンを飛ばす……まぁ、相手をにらむって意味である「メンチを切る」って言葉を脳内で再生した途端。

 俺の腹が「メンチカツを食わせろ!」と願望を飛ばし始めていた。いや、ですから腹なんだから引っ込んでいてくださいってば……。

 そんな俺の腹の願望を聞き入れたのだろうか。うん、しっかりと透達にも聞こえていたと思うから。

 真剣な表情で俺を見えた透は、手に持っていた紙袋を差し出しながら言葉を紡いでいた。なにゆえ時代劇調?

 差し出された紙袋の中をのぞくと揚げたてのメンチカツ。

 そう言えば、さっき商店街を抜けようとしていた時。透が「すみません……すぐに追いつくので先に行ってください」って言いながら離脱していたんだけど。

 一度戻り、肉屋でメンチカツを買っていたのだろう。

 まぁ、別に透がエスパーだと言うことではなく……チームに在籍していた当時、修羅場に対峙する際。

「相手のメンチに勝つ」って験担げんかつぎで、直前に俺が率先して食べていたことを覚えていたのだろう。うむ……欠食児童だって部分の方が大きいのかも知れないけどね。

 差し出された袋を見つめて感謝の笑みを溢した俺は、透の口調に釣られて時代劇調で言葉を返そうとしていた。

 だけど恵んでもらうのにえらそうだと判断した俺は、苦笑いを浮かべて言い直してから受け取る。

「よきにはからう」のは俺の方だもんな。しかも皆の衆じゃなくて透だけだし。

 そんな俺にうやうやしく頭を下げてメンチカツを献上けんじょうする透なのだった。


 俺が袋の中からアツアツのメンチカツを取り出すと、俺にならうように翔と歩がメンチカツを取り出す。

 俺達が取ったことで最後に透がメンチカツを取り出していた。

 全員に行き渡ったことを確認すると、俺はメンチカツを持ち上げて言葉を紡ぐ。


「――めんめんメーンチめーんといこう!」

「――いやいや、アニキ……それ、思いっきり語呂ごろが悪いっす……」

「……それもそうだな? ……」


 だけど俺の言葉を受けた三人が、見事に昭和的なズッコケをかます。そして体勢を戻した歩が苦笑いを浮かべて苦言くげんを申し立てていた。俺達は全員、平成生まれなんですけどね。

 そう、俺の言った言葉は、本来ドーナツなのである。


 アニメ制作会社で働くヒロイン達が繰り広げる『働く女の子シリーズ』の第二弾として放映されたアニメ作品。

 制作会社が納品する際、映像業界の用語で白い箱に入ったビデオテープを『白箱しろばこ』と呼んでいるそうだ。

 そこから由来されているタイトルのアニメ作品。


 その作品の主人公である彼女と、高校時代のアニメーション同好会のメンバーがドーナツを片手に円陣を組んで、け声とともにドーナツを持ち上げて士気しきを高める。そんな名台詞なのである。

 いや、メンチじゃなくてドーナツだけど。

 ……確かにドーナツだから成立するのであって、メンチじゃ意味がわからないね。「めーんといこう!」って「どこ行くの?」って感じだし。 

 駄菓子菓子……いや、手に持っているのはメンチカツだが。このメンチカツの名前は『めんめんメンチ』と言う。


 まぁ、アニメを観た俺が肉屋の親父さんに提案したんだけどさ。作品内のドーナツの名前が『どんどんドーナツ』だったから。

 ……あぁ、いや、俺に影響力なんて皆無かいむだから相手にすらしてもらえなかったんだけど。

 ほら? 俺には絶大な影響力のあるアニオタの妹がいるのですよ。

 つまり、その話を聞いた妹が肉屋に乗り込んで「めんめんメンチください!」と注文をしていた訳だ。

 すると、俺の時には完全に無視をしていた親父さんは……それが当たり前のようにメンチカツのメニュー札を取って『めんめんメンチ』と書き直していたらしい。

 そして顔をほころばせながら「めんめんメンチ……採用!」とか言い放っていたそうだ。まぁ、いつものことなんで気にしていないがな。

 だから俺の台詞も実は間違いではないのだが。

 語呂はともかく、意味としては成立しないので苦笑いを浮かべて歩の言葉に賛同していたのだった。

 

 冷めても美味しいのだが、せっかくの揚げたてのメンチカツ。とは言え、俺は猫舌なので本当のアツアツだと食べられないから少し冷ましていたんだけど。

 ほどよく冷めたことを確認してから無言でほおばる俺。そんな俺を眺めていた三人もメンチカツを頬ばっていた。

 少しの間、腹を満たすことに集中する俺達。

 ……うん。やっぱり、入り口の前から下っ端が立っていなくて正解だったな。こんな暢気のんきに腹ごしらえなんて無理だろうし。 

 それ以前に呼び出された立場としては警戒けいかいされても面倒だし、時間の無駄なので助かったのだった。


「……ふぅ。それじゃあ、そろそろ入るか……」


 食べ終えて、腹とやる気が満ちあふれた俺は、三人に向かって中に入ることを伝える。

 同じように食べ終えた三人は無言で力強くうなずいていた。

 三人の頷きに頷きを返した俺は踵を返して入り口へと向き直る。

 さてと、いよいよだな。本当のクライマックスの始まりだ。

 ここから先は何が起きるか……未確認で進行形ってことだろう。だからこそ、この一歩は重要なんだと思う。なぜならば――

「何事も最初が肝心です」なのだから!


 ――ホントあぁもう、えっとどうしよ? 


 ……どうにもなりませんよね、知っています。とまどいはありますし、確かにメンチカツは美味しかったので絶賛ぜっさん脳内において味を妄想中ではありますが。 

 残念ながら肉屋の親父さんからメンチカツのレシピなんて教わっていないので、ため息まじりにっているメンチカツと妄想の中に小豆への恋心は入っていないと思われます。さてと気にせず進行しましょうかね。


 気持ちを切り替えて入り口を一瞬だけ睨んだ俺は、後ろを振り向かずに左手をズボンのポケットに突っ込んで一歩踏み出す。同時に右手を軽く持ち上げて「パチン」と指を鳴らすと――


「さぁて……授業を始めますかね? ……」


 大胆不敵な笑みを浮かべて言葉を紡いでいたのだった。

 俺の言動は、某電波な教師が主人公のアニメ作品。その主人公の決め台詞みたいなもの。

 正確には課外授業のようなものだけど、生徒達の間違った行動に対して正しく導いていく。

 教師だけあって――生徒を更正させる。正しい道を教えるって意味で『授業』と言っているのだろう。

 だから本来ならば、生徒である俺が使うべき台詞ではないのかも知れないが……正しい道を教えるって意味では間違いではないのだろうと、俺も彼の言葉を引用したのである。

 

「ご武運を……」


 そんな俺の背中に翔の言葉のブーストが降り注ぐ。だから俺は親父を真似して、振り返らずにスッと右腕を上げて激励げきれいを返す。

 その直後、三人の足音が遠ざかるのが鼓膜を伝ってくるのだった。

 今回呼び出されたのは俺一人。それなのに四人で現れたら、相手の神経を逆撫でる可能性だってあるんだ。

 だから三人には裏手に回ってもらって待機していてもらい、いざって時に突入してもらう算段をしていた。


「……よし、入るか……」


 三人の足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、俺は中へと入っていくのだった。 



 吹き抜けの二階部分なのだろう。大き目の窓から差し込む太陽の光によって、それなりに明るさを保つ工場の中。

 とは言え、視線の先は衝立ついたてさえぎられている。つまり、まだ俺にも相手にも姿が見えていない状態だ。

 別に即座におそってくることもないだろう。俺は警戒することなく歩みを止めず、迂回うかいして衝立を横切り、奥へと進むのだった。


「……」

「……んぉ? なぁんだぁ、てめぇ?」

「……」


 迂回をした先に数名のフダツキが映し出される。

 俺に気づいた連中の一人が俺の予想通りにメンチを切りながら、想定内の言葉を紡いでいた。まぁ、お腹はふくれているから大丈夫だし、相手にするのは馬鹿らしいよな?


「シカトしてんじゃねぇぞ、コラァ!」

「余裕ぶっこいてんじゃねぇや、オラァ!」

「ブルッちまって声も出ないんかぁ、ワレェ?」

「……」


 俺が何も反応しなかったことがかんさわったのだろうか。他の連中も声を張り上げ言葉を突きつけてきた。

 いや、シカトはしていないぞ? ……『しかと』貴殿きでんの言の葉は聞き入れておる。

 余裕もぶっこいてなどおらん。……ただ満腹で眠いだけでござる。

 そもそもブルって声が出ないのではござらん。――単純に相手にしたくないのでそうろう……。


 なお、シカトとは無視をするってこと。

 花札の十月の絵柄である鹿。つまり『鹿のとう』が略された言葉らしい。

 絵柄の鹿が横を向いていることから『そっぽを向く、無視をする』って意味で使われていた賭博師とばくしの隠語なのだとか。

 そして、ブルッちまうとはブルブルと震える。恐怖しているって意味だと思う。

 まぁ、ある意味ブルッちまったのかもな? あまりにもテンプレな台詞のオンパレードに。

 

 本当、ラノベやアニメで使われるテンプレとは奥ばった、隠された部分に面白さが詰め込まれているから安心して楽しめるので好きなのだが。

 こんな場面のテンプレは奥に何もない、薄っぺらい台詞でしかないから面白くないのである。

 ……ほら、こんなことを考えていたから天ぷら食べたくなっちまったじゃねぇか!


「……」

「おぅ? ブルッちまってんのにガン飛ばしてんじゃねぇよ!」

「ママのおっぱいでも飲みたいんでちゅかぁ?」

「生意気なガキだなぁ? シメるぞ?」


 そんな怒りを視線に込めて撃ち続けているのに、まったく気づかずいまだに俺を威嚇いかくする連中。

 いや、俺はガンを飛ばしているのではなく「天ぷら食べたい」って願望を飛ばしただけ。

 そして、飲ませてくれるなら飲みたいところだが俺の母親二人に口走ったが最後……俺が飲めるのは死水しにみずくらいだろう。いやいや、あの二人のことだ。


「だったら、さっさと小豆と既成事実きせいじじつを作りなさいよ? そうすれば子供の分さえ残しておけば残りは自由に飲めるじゃないの……きっと、あの子なら喜んで飲ませてくれると思うわよ?」


 なんて言葉が返ってくるに違いない。って、おい!

 しかし残念ながら、母親の言葉を完全否定できない我が妹。まぁ、俺の完全な欲望なのかも知れないが。

 うむ……どの道、俺死亡でしかないんだよな。まぁ、当分の間は牛さんのおっぱいで我慢がまんしておくか。

 そして、ガキと言ってはいるんだがな。たぶん年は大して変わらないと思うぞ? 俺が童顔なだけで。

 それよりも、シメるのは『お前らの減らず口』にしてほしいところだな。


 まぁ、駆逐されるべき巨人を相手にする方が馬鹿なんだろうな。反省反省。

 俺としては、こんな連中にブルッちまうような生活を中学時代には送っていないからさ。本当に暇だったのである。

 これから本番だって言うのに、あまりに心が震えない連中を相手にしているので自演乙して心の中で時代劇調に口走って、心を震わしていたくらいだから……。

 さすがに、これ以上こんな連中を相手にするなんて時間の無駄だからと、冷静に説明しようとしていた俺。


「えっと、俺は――」

「お待ちしておりました……豚足?」


 だけど俺の言葉をさえぎり、連中の背後から現れた師匠……もとい、メイドさんが俺に声をかけてきた。

 きっと連中の大声で俺が来たことに気づいたのだろう。

 と言うよりも自分で命名しておいて、小首をかしげて人差し指を頬に軽く添えながら「キョトン」とした表情で「豚足?」なんて疑問形で聞いてこないでください。可愛いので「ブヒブヒ」と鳴きたくなるじゃないですか!

 ……許可さえいただければ、すぐにでも「ブヒブヒ」と鳴いてごらんにいれましょう! まぁ、「キモイ!」だろうから、絶対に許可してくれないのでしょうが……ブヒ。


 いや、それ以前に、このメイドさん……可愛い。ではなくて! うむ、可愛いのは紛れもないマギーさんですがね。

 小柄な身長に、明るめのハニーブラウンなボブカットの女の子。そしてメイドさん。更に彼女の声で紡がれる「豚足」と言う言葉。

 ――うーん。これで彼女の名前が『よしの』だったら、俺が彼女を師匠と呼ぶことに疑問をはさ余地よちはないんだよなぁ。

 こんなことを考えている俺の目の前で、彼女は一度軽く頭を下げてから言葉を繋いでいた。


「……申し遅れました。私、雪乃お嬢様のメイドであります――『染井そめい 愛乃よしの』と申します」


 ――はい、決定! 彼女は師匠でありました!


「――し、失礼いたしました、師匠! 自分、霧ヶ峰善哉と申しますっ!」


 彼女の自己紹介を聞いて、思わず自分も直立不動で自己紹介をしていたのだった。まさか本当に師匠だったとは……。

 そんな俺の直立不動に驚いて目を見開いた彼女だったが、すぐに「クスクスッ」と口に手を当てて吹き出し笑いをしていた。


「い、いえ……あ、貴方あなたのことは、存じ上げて……い、いますけど? ……そ、それに楽にしてください」

「……そ、そうでしたね?」


 まぁ、そうなんですけどね。何度自己紹介すれば気が済むんだ、俺。

 未だに笑いをこらえきれず、笑い声を含んで紡がれる彼女の言葉に、苦笑いを浮かべながら肯定して自然体に戻る俺なのであった。


「申し訳ありませんが……私のお仕えするお嬢様は雪乃様であって、美埜みの様ではありません」

「え?」

「それに貴方も善哉様であって……光秀みつひで様ではないはずですよ、ね?」


 そんな俺を眺めていた彼女は瞳を閉じて軽く「すぅ。ふぅ……」と深呼吸をして笑いを静め、目を開けて苦笑いの表情を浮かべながら言葉を紡ぐ。

 最後の「ね?」に合わせて可愛らしくウィンクをしながら、いたずらっ子のような笑みを溢す彼女。

 彼女の言葉と笑顔で、彼女の言っている「豚足」が俺の想像通りだと確信するのだった。


 そう、俺が彼女を師匠だと考えていた元ネタ――。

 お嬢様である三河野みかわの 美埜様から、幼少期にブクブク太った体型をしていた主人公が名付けられた『豚足』と言うさげすみのあだ名。

 そんなトラウマを乗り越え、彼女への復讐を心に刻み――イケメンへと変貌へんぼうげていた主人公の真門まかど 光秀。

 そう、彼のリベンジとは――彼女にれさせて、盛大に彼女をふること。

 そんな学園ラブコメ作品『光秀くんのリベンジ』なのである。


 その美埜様に付き従うメイドさんが愛乃ちゃんであり、変貌を遂げていた彼を昔のあだ名で呼ぶのは彼女だけだった。

 そして彼女は彼の復讐に手を貸すと申し出る。そんな経緯けいいから、彼は彼女のことを師匠と呼ぶのであった。

 ……そんな作品の設定から、俺は彼女を師匠と呼ぶべきか悩んでいたのだが。 

 どうやら彼女は全部を理解している上での「豚足」だったのだろう。

 って、まぁ、ゆきのんとは会ったことないんですけどね? 師匠とも初対面ですし。

 

 うーん、だけど彼女達ってアニメを毛嫌いしているんじゃ? やっぱり、俺の予想通り……ただ連中に祭り上げられただけなのかな?

 そんな疑問が頭をぎったのだが、次に紡がれた言葉。正確には、その後に紡がれ続けた彼女の言の葉達を受けて、完全に後者だと理解する俺なのであった。



「いつも兄がお世話になっております……」

「……お兄さん、ですか? ……えっと、すみません。俺には染井さんって知り合いはいないのですが?」


 突然恭しく頭を下げながら、こんなことを伝える彼女。

 だけど俺には染井さんと言う知り合いはいない。だから申し訳なさそうに彼女に伝えていた。ところが。


「いえ……兄は時雨院雨音様の執事をしておりますし、貴方と妹さんのことは兄から色々とうかがっておりますけど?」


 こんなことを説明してくれたのだった。


「……えっと、失礼ですが……染井、さんですよね?」

「はい……染物の染に、井戸の井で、染井でございます」 

「ですよね? 染物の染に……『最高でも金、最低でも金』の谷●子さんの谷、ではないですよね?」


 彼女の兄が、あまねるの執事だと聞いた俺は思わず彼女の苗字を聞き返していた。

 いや、『染井吉野』って俺が勝手に勘違いしたのかも知れないし……ほら、桜の名前だから。

 だけど漢字を説明しながら自分が染井だと教えてくれた。

 だから確認の意味で染谷さんではないのかと問いただす俺。

 いや、記名された名前を見た訳ではないから……彼が、実は染谷さんじゃなくて染井さんだったのかと思っていたのだった。 あまり呼ぶことがなかったし、彼も俺が染谷さんって呼んでも普通にしていたから、ずっと染谷さんだと思っていたんだけど……。

 俺は背中に冷たいものを感じながら彼女に倣って漢字を説明しながら、「染谷さんではないのですね?」と確認していた。

 うん、本当だったらスイカ的な「谷間の谷」って言おうとしたんだけど。いや、目の前の彼女もメイド服の上からでも自己主張してくるほどに立派に実っているようなので、つい……。

 だけど女性に対しては恥ずかしかったので。

 有名である彼女の名言とともに名前を引用したのだった。さすがなんです、ヤ●ラちゃん!

 ところが。


「……あぁ、失礼いたしました」

「え?」


 何かを思い出したような表情をしたかと思うと突然頭を下げて謝罪をしてきた彼女。

 何に対して謝罪をしたのか理解できずに目を見開いて驚いていると。


「……いえ、兄は貴方のおっしゃった通りの染谷……本来は『たに』ではなく屋号やごうの『』なのですが。時雨院の旦那様や奥様、そしてお嬢様が普通の名前のように呼びたいからと『谷』に改名させたのです。そうですよね? 貴方は雨音お嬢様の……なのですから、染谷の方で呼ばれているのですよね? 勘違いしておりました……」

「……そうなのですか?」


 申し訳なさそうに、だけど最後には嬉しそうな笑みを浮かべて説明をしてくれていた。何か嬉しいことでもあったのかな? 

 と言うよりも、「雨音お嬢様の」って言った直後。

「ふふふ♪」なんて声に出そうな含み笑いをして、目だけで語っていたから俺には理解できなかったんだよな。俺はあまねるの、なんなのだろう。奴隷とかじゃ、ないよね? ペットとか? まぁ、どちらでも光栄だけど、一応兄と言う威厳いげんがあるので……『おもちゃ』程度だと嬉しいから勝手にそう解釈かいしゃくしておこう。


 なるほど。つまり彼の苗字も染井なんだけど、時雨院家では染谷を名乗っていると?

 ……まったく理解できませんね。

 そんな困惑こんわくを浮かべた表情で聞き返していた俺。すると、軽く微笑みながら彼女は説明を続けていた。


「はい。兄の名前は染井 政宗まさむね……伊達政宗こうの政宗なのですが。染井家は代々、時雨院家に従事じゅうじする家系なのです。その上で、兄は五代目『染屋 従司郎じゅうしろう』の名で時雨院家に奉公ほうこうさせていただいておるのです」

「な、なるほど……」


 彼女の言葉を受けて曖昧あいまいに返事をする俺。いや、あんまり理解しておらずに申し訳ありません……。

 そんな俺が唯一、理解できたのはイントネーションが『屋』と『谷』では違うんだなってことと――


「あ、あの……師匠が知っていると言うことは……俺や小豆のことを雪乃様も?」

「ええ、もちろん、存じ上げておりますよ?」


 さすがに心の中で「ゆきのん」と呼んでいるからと言って、彼女のメイドである師匠に呼べるはずもなく。

「雪乃様も俺達のことを知っているのか」をたずねていた俺。その言葉を笑顔で肯定する彼女。

 師匠の主であり、あまねるの姉である彼女なのだから、染谷さんからの話なんて「つつ抜けなんだろうな?」って、普通に考えていた俺。

 だから、それについては確認をしただけで実は別のことを知りたかったのだ。


「そうですか。では、あまねる……い、いえ、雨音様――」

「こちらに雨音お嬢様がいらっしゃらないので問題ないと思いますが……『お二人で決めた呼び方』をしなければ、雨音お嬢様はご機嫌きげんそこねるのでは?」

「――うぐっ……」


 そ、そんなことまで知っているのですか師匠は……。まぁ、師匠と呼ぶことについては何も言及げんきゅうしてこなかったので普通に師匠と呼びますけどね。


 俺は聞きたかったことを彼女に訊ねようとしていた。

 でも、普段のクセで「あまねる」と口走っていた俺。本人や俺の知っている人達の前なら問題ないんだけどさ。

 ゆきのんや師匠。それに連中……って、まだいたのか。あまりに静かだから気づかなかった。

 彼女にブルッちまって声も出ないのだろうか。とは言え、邪魔なだけだから黙っているなら気にしないでおこう。

 あと、ゆきのんについては「師匠から会話が筒抜けになる」って意味である。


 とにかく、俺達の関係を知らない人物が聞いているのに愛称で呼ぶのは彼女の威厳を損なうと考えて「雨音様」と言い直したのだが。

 俺の言葉を遮り、苦笑いを浮かべて紡がれた彼女の言葉に何も言えなくなっていたのである。

 ……はい。彼女は「あまねるさん」と呼んでも、ぷっくりと頬を膨らますんです。可愛いんですけどね。

 つまり、威厳を損なわないようにすると……機嫌を損なうと言うことです。

 

 当然、この場に彼女がいないのだから問題ないとは思うのだが。

 以前、まぁ、「雨音さん」と呼び始めた頃かな。

 まだ恥ずかしかったって部分もあったんだけど、今と同じような考えで同じように他の人に「雨音様」と呼んだことがあった。

 いくら本人が許可してくれているとしても、他の人にすれば「何様なんだ!」って怒られると思ったからさ。

 だけど、そのことを耳にした本人が真っ赤な顔で教室に乗り込んできて――


「どうして、お兄様は私のことを外では『雨音様』などと蔑むのですかー!」


 などと言い放っていた。この時、俺は初めて『様』が蔑称べっしょうだと気づくのであった。んな訳あるかー!

 だって周りには普通に『様』で呼ばれているんだしさ。

 まぁ、その後泣きじゃくる彼女のご機嫌取りに……翌日一日デートすることになる。ん? 普通に俺にはご褒美ほうびに思えるが。

 そして、その話を聞いて機嫌を損ねた小豆のご機嫌取りに……その翌日一日デートすることになる。

 そしてそして、その話を聞いて機嫌を損ねた香さんのご機嫌取りに……そのまた翌日一日デート――って、香さんは「からかっている」だけですよね?

 とにかく、俺にとっては夢のような三日間ではあるのだが。

 あまねるは自分だけでなく、他の人へも違う呼び方をすることを嫌っているのだ。お嬢様の思考は庶民の俺には理解しかねます……。


「えっと、あまねるが……リアル『妻恋坂日和つまこいざかひよりの秘密』だってことは?」

「――ぷぷっ……も、もちろん存じ上げておりますよ?」


 師匠の言葉に従い、苦笑いを浮かべて「あまねる」と呼んでから質問する俺。

 一応、空気と化しているけど連中がいるからな。そんな場所で「あまねるがアニメを好きなのは知っているか?」なんてストレートに聞けないからさ。暗号的に問い質していたのだった。

 まぁ、彼女達の仲間なら知っているのかも知れないけどさ。用心に越したことはないはずだ。

 そして……羊羹ようかんは、こしあん派だ。って、関係ないこと考えたら腹の虫が騒ぐから先進めるか。


『妻恋坂日和の秘密』と言うのは。

 まぁ、俺がクラス女子の犬になった……コスモな彼が主人公のアニメ作品である。

 つまり、あまねるがアキバ系だってことを知っているかって話。


 ある意味けではあったんだけどさ。いや、光秀くんのリベンジは知っていても他の作品を師匠が知っているとは限らないんだし。

 でも俺の言葉を瞬時に理解したのだろう。吹き出し笑いをすると、笑いを堪えながら肯定してくれた彼女。そして。


「当然、雪乃様も存じ上げております。そもそも、私が豚足……だけではありませんが。知識を得たのは雨音お嬢様から雪乃様へ多大な影響を与えたからなのですよ? そして、雪乃様自身も好意的に接しておいでです」

「そ、そうなのですか……」


 ゆきのんも知っている。と言うよりも、あまねるの影響でゆきのんも好意的であることを嬉しそうに教えてくれた。

 彼女の言葉に安心した表情で言葉を返す俺。

 正直、お嬢様相手に俺が勝てるなんて思っていないけどさ。

 もしも彼女があまねるに敵対することがあったら……「兄として妹を全力で守らなければいけない」って覚悟していたから。杞憂きゆうで本当によかったよ……。

 でも、ゆきのんってアニメどんなの好きなのかな? あまねるの影響って言っても同じとは限らないし。

 俺が好きなアニメを好きなら少しは接点できるかな? まぁ、それは無理でも……あまねる経由くらいなら許可してくれると嬉しいな。

 

 まだ、彼女に会ってもいないのに「仲良くなれたら?」なんて考え始めていた俺。まぁ、アニメ好きに悪い人なんていないし……彼女は素晴らしい人だと思う。

 そんな俺の表情を知ってか知らずか。いたずらっ子のような笑みを溢してから言葉を紡ぐ師匠。


「ちなみに、雪乃様は……『作法科高校さほうかこうこう劣等生れっとうせい』の主人公。『騎馬きば 勝也かつや』お兄様にご執心なのです。だから彼を観ていると必ず……『さすがなんです、お兄様♪」と頬を染めながら言ってしまわれますし……」

「……」

「くすくす……ただ、『やっぱり俺の脳内サブコメはまちがいだらけ。』の主人公。『御木谷みきがや 明神みょうじん』くんを観ていると必ず……『……貴方のやり方、嫌いなの。そうね、どこがではないの。明言できないのはもどかしいのだけれど……とにかく、とても嫌いなのよ。そのやり方……』と苦悩くのうの表情で言ってしまわれるのです」 

「……」


 なんと申しましょうか……お約束ありがとうございます! 

 と言うより、聞いていない彼女のプライベート情報、わざと投下しましたね師匠……お見事です! まぁ、本当に画面に向かって言っているかは謎だけど、さ。

 だけど、二作品は俺のストライクゾーン。まぁ、剛速球だったので空振りしそうですが。

 さっきよりも彼女に会いたくなる現金な俺なのであった。


 ――と、師匠の言葉を聞いた俺が理解したこと。

 俺と小豆のことを染谷さんから聞いていて……当然、師匠の主人である『ゆきのん』だって知っているってこと。

 そして、あまねるの秘密も知っていて、彼女もアニメに好印象なんだってこと。

 それって、ゆきのんが小豆を嫌っている。アニメを毛嫌いしている彼女達ではないのだと思う。

 だから俺は彼女が単純に彼女達と連中に利用されているのだとさとったのであった。

 

 本来なら染谷さんのことは全然理解できなかったんだけど。

 彼女の「それでは、お嬢様がお待ちですので……」と言う言葉と、踵を返して歩き始めたことにより、完全に話を切り上げられてしまっていた。

 正直、まったく理解できないのだが「ゆきのんに会うのが先決だよな?」なんて考えて、彼女の後ろを歩く俺なのであった。



 第六章・完

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