第5話 メール と 電話
(……そうだ、少しメールしておくかな?)
三人を見送り、電車を待っている間。俺はあまねるにメールを送ろうと考えて携帯を取り出していた。
まぁ、透の言葉が気になるしな。すべてを三人に頼りっきりでは申し訳ないだろう。
俺自身ができることくらい自分でしないといけないからさ。せめて安否くらいは確認しておこうと考えたのだった。
とは言え、露骨に『なにか身の回りで不審なことはないか?』みたいなことをメールするのは不自然だろう。透達だって確証を得ているのではないと思う。
あくまでも、「嗅ぎ回っている連中がいるみたい」程度の話なのだろう。
だから、「なんとなくメールを送ってみた」程度の内容で済ませたのである。
ところが、送って三分もしないうちに俺の携帯が震えた。基本俺はマナーモードなのだ。
だから突然鳴り出すとビックリするんですよ、小豆さん……。
携帯を取り出しても未だに震える携帯。なるほど、メールではなく着信だったか。
着信者は『あまねる(あまねさん)』と表示されている。
名前を愛称に変えたんだけど、落ち着かなかったから『(あまねさん)』を残しているのだ。
とりあえず、メールは無事に届いたのだろう。その上で律儀に電話をしてくれたのだと思う。
つまり、メールだいもんさんと言う人からの「どこにメール送信しとんじゃい!」なんて、お叱りのメールではないようだ。
いや、このタイミングで送られてきたら俺たぶん立ち直れないかも知れない。ほんとうに、よかった。
(おっと、いけない……早く出ないとな……)
などと感慨に耽っている間にも「はよ出ろ!」と俺に催促している携帯。我に返って慌てて電話に出ようとしていたのだ。
だけど、画面に表示されている名前を見て、軽く深呼吸をする俺。
タイミング的に彼女だろうとは最初からわかっていたし、透の言葉を意識しているのでもない。
ただ、小豆と違って間違いなんて許されないのだから、慎重に通話ボタンを押す必要がある。
それこそ間違って電話を切ろうものなら、それは彼女との縁を切られかねないのだ。
大げさだと思うだろうが、お嬢様の彼女ならば十分考えられる話だと思う。
なので深呼吸をして、しっかりと通話ボタンを確認して指をかけて押したのだった。
「もしも――」
『お兄様♪ ど、どうなされたのですかっ? わ、私に、で、電話をいただけるなんて……』
俺が言葉を投げかける間もなく、嬉しそうな彼女の少し上ずった声が鼓膜に流れてきた。
たぶん夕食時なんで慌しかったのだろう。別に彼女は夕食の支度なんてしていないと思うけどね。
そして俺はと言うと。
そんなホットココアのように温かくて甘い、心がぴょんぴょんしそうな、あまねるの声にドギマギしていたのだと思う。
彼女の「ハラショー」な言葉に「ハラショー」な答えを返してしまっていたのだった。
「……声が聴きたかったから」
『――え? ……ぐすっ』
うん。何を言っているのかな、俺。
電話をした理由を聞かれて、まさか『なにか身の回りで不審なことはないか?』などとストレートに聞けないからって、咄嗟に小豆の台詞を拝借していた俺。
だけど残念ながら、俺はそもそもメールを送っていただけで、電話をした覚えはない。
自分でかけてきているのに、「私に電話をいただけるなんて……」なんて言ったのを「ハラショー」な言葉だと思っていたのにさ。
そこに「……声が聴きたかったから」などと言うハラショーを重ねてしまっていたのだった。
うん。女の子に免疫がないのって罪だよね。
驚いた声を発したと思ったら黙り込んでしまった彼女。一瞬鼻をすする音が聞こえたような。
考えなくてもわかるけど、めちゃくちゃ怒っているんだろうなぁ。
なんてフォローをすればいいのかと額に汗して考えていた俺。
『……わ、私も……声が聴けて嬉しい……ですわ……お兄様……きゃっ! ……い、言ってしまいましたわ言ってしまいましたわ私ったら、なんて大胆なことを、で、でもでも本心ですものね? 声が聴けて嬉しいのですから、きちんと想いを伝えないと小豆さんに勝てませんもの。これは大事なことなのですわよね……』
だけど、悩んでいた俺の耳元で彼女が優しくフォローしてくれたのだった。
まぁ、途中で何かに驚いたようで、「きゃっ!」と可愛い悲鳴をあげたと思ったら。
急に声が遠くなって、くぐもった小声になっちゃたから先は何を言っていたのか理解できないんだけどさ。
たぶん近くに誰かが来て、慌てて話し口を手で覆っていたんだろう。俺に聞かれたくないことなんだと思うから追求はできないと思う。
だけど俺は彼女の優しさに心が暖かくなっていた。
やっぱり彼女は心根の優しい、性格すらも可愛い女の子だなと実感していた俺。
こんな俺の口を滑らしたことでさえ気づかうとか、本当に小豆を大事に想ってくれているのだろう。
俺は心の中で、小豆の為に俺へのフォローまでしてくれたことに、感謝と謝罪をしておいた。
当然、そんな恥ずかしいことは口になど出さずに、他愛のない世間話を続けていた俺達。
名残惜しいところだが電車が到着するようなのでと、残念そうな声をする彼女との通話を終了したのだった。
通話が終わった携帯の画面をジッと眺めていた俺。
やはり、こんな彼女を悲しませることはしたくない。悲しませてはいけないんだと思う。
俺は軽く息を吐きながら、携帯をポケットにしまう。そして、こんな決意を胸に刻みながら、到着した電車へと乗り込むのであった。
◇5◇
「……ふぅ」
受話器の向こうで奏でられていた彼の周りの喧騒。そんな繋がりさえも断ち切られて、無機質な音が鼓膜に響く。
その瞬間に、私――時雨院雨音は、無意識に入っていた全身の力を解放するように、小さく息を吐くと、名残惜しそうに携帯画面を見つめていたのだった。
今から数分前のこと――。
部屋で今日の復習を済ませていた私の耳に、机に置かれた携帯が突然鳴り出す音が聞こえてくる。
それは、メールの通知を知らせるメロディー。
私は教科書を覗いたまま、シャープペンシルを置き、おもむろに手を伸ばして携帯を掴んでいた。
「――ぇっ! ッ……」
たぶん「小豆さんからなのだろう」だなんて、何の気なしに見つめたメールの差出人に、私は小さく声をあげる。
そのまま息を飲み込んで立ち上がり、何故か鏡の前まで歩いていくと鏡に映る自分の顔を眺めていた。
目の前に映る私は、驚きの表情を浮かべてはいるものの、嬉しそうに微笑みながら頬を赤らめていた。その理由など、私が一番理解しているのだけれど、改めて映る自分の姿に恥ずかしくなるのだった。
――普段から私は『お兄様』の前で、このような表情をしているのだろうか。ただのメールでさえ、こうなのだから、そうなのかも知れない。
そんな風に思えて、恥ずかしくなる。だけど、これは私の素直な気持ち。
性格が災いをして、思ってもいない態度を取ってしまうこともあるのだけれど、顔では「好きです」と常に伝えているのだと思う。そうであってほしいと願っている。それでも、彼には伝わっていないのだろうと思っている。
お兄様にとっては、私は妹の親友。それだけでしかないのだから。
だけど私は自分の想いを諦めない。それに、負けられないからこそ、素直な気持ちを持ち続けているだと思います。
小豆さんはお兄様に好意を寄せているのだと感じている。
周りの皆さんはきっと、彼女の言動を見て、少し度が過ぎただけのブラコンなのだと感じているでしょう。
ですが、私には彼女のそれが、別の意味を持っていると感じていたのです。
それは彼女の言動で理解ができているのではなく――抱いているのが同じ想いだから、私には彼女のお兄様に対する好意の意味がわかるのです。
そう、小豆さんも私と同じく、お兄様を心の底から愛しているのだと――。
「……ふぅー。……」
軽く深呼吸をした私は、目の前にいるはずもないのに、ソワソワと
とは言え、お返事をしない失礼な子だなんて思われたくはない。
「い、急いで、お返事をしないと……」
まったく落ち着けないでいた心を、無理矢理にでも言い聞かせるように、わざわざ口に出して髪を整えるのをやめていた私。
そして、おもむろに彼からのメールを見ることにしていた。だけど、メールを読んだ瞬間に私は彼に電話をかけていたのだった。
特に電話が欲しいとか、急を要する内容でもなく、『久しぶりにメールをしてみたんだけど最近どう?』と言う普通のメールだったのに。
お兄様から送ってくれたメールだと言う事実に、私は舞い上がっていたのかも知れない。
私を気にかけてくれたことが嬉しかったのかも知れない。
お返事を打つ時間がもったいない。いいえ、声が聴きたかったのだと思う。それだけなのだと思います。
「……」
だけど、数秒の沈黙。無機質な呼び出し音が鼓膜に伝わる間。
私は冷静に戻り、自分の軽薄さを呪っておりました。メールを送ってくれたと言うことは、お兄様は今電話に出られない状況なのかも知れない。
それなのに私が勝手に浮かれて、電話を差し上げたことに、戸惑っているのかも知れません。
ですが、こちらから勝手に切ってしまうのは失礼なことだと感じていた私。だからジッと無機質な呼び出し音を聞き続けていたのでした。
数秒ののち、無機質な呼び出し音がとまる。そして向こう側の喧騒が聞こえてきた。
『もしも――』
喧騒の音が聞こえるや否や、聴きたかった声が耳元をくすぐる。
その一言で、私の体は一瞬にして蒸発しそうなほどに熱を帯びていた。だから思わず――
「お兄様♪ ど、どうなされたのですかっ? わ、私に、で、電話をいただけるなんて……」
などと、意味の通じないことを言ってしまうのでした。自分で電話をかけているのに可笑しいですわね。
だけど、その直後。
『……声が聴きたかったから』
もちろん、お兄様は私を気づかってくれているのだと理解している。これはお兄様からの電話ではないのだから。
それでも、そんな優しさが嬉しくて。私の感じていることを代弁してくれたようで。
お兄様への想いが瞳から溢れていたのでした。
その後、思わず漏れた本音と、そのことへの葛藤を口走っていた私を、何も言わずに受け止めてくれていた彼。
そして何事もなくサラリと話題を変えてくれていた彼。そのことに感謝をしつつ、他愛のない会話を楽しんでいた。
そんな楽しい時間も過ぎ去り、通話が終了する。
私は携帯画面を眺めながら小さく息を吐くと、お兄様と小豆さん――二人のことを思い浮かべていたのでした。
小豆さんはお兄様のことを愛しているのだと思う。それを理解しているから、私は負けられないのだと感じている。
でもそれは、小豆さんとお兄様が兄妹の関係であり、道徳に反していることだと感じているからではない。
二人の間柄について、そう言うことへ『何も障壁がない』ことは、以前から知っている。だいぶ前に小豆さんが話してくれたこと。
だから私は小豆さんの想いが理解できているのだろうし、その上で負けられないと思っているのです。
◆
私はお兄様を愛しています。でも、それと同じくらいに小豆さんを愛しています。
もちろんベクトルは正反対の感情なのでしょうが、愛の大きさで言えば同じだと思う。
私はお兄様に救われた。そして同時に、小豆さんにも救われたのです――。
中学に入学した当初、私は小豆さんの『とある秘密』を知ることになります。
そして、それが悪だと感じていた私は彼女にとても非道なことをしてしまった。
今考えれば、罪悪感で身が切り裂かれるほど、残虐な仕打ちだったと思います。事実、小豆さんはそのせいで転校していきました。
ですが私は、彼女の転校でさえも「彼女が逃げた」のだと怒りを覚え、背中を見せていた彼女にさえ、追い討ちをかけていたのです。
そんな私の前に現れたのが、当時彼女と離れ離れだったと言うお兄様なのでした。
私は、小豆さんが「自分では敵わないから彼を差し向けた」のだと思っていた。そんな彼女の卑劣さと、彼の愚かさに腹を立て、彼を邪険に扱っていたのです。
取り巻き数名から殴る蹴るの暴行を受けても尚、彼は彼女を「許してほしい」、いいえ、「認めてほしい」と懇願していた。
それでも私の気がおさまることなどなく、地べたに這いつくばる彼に冷笑を送っていたのです。
ところがそんな時、運悪く私達は不良数名に囲まれてしまう。
私の性格が災いしていたのでしょう。私に敵意を向けて近づいてきた不良達に、心の底から恐怖を抱いていた私。
当然取り巻きなど、彼らに恐れをなして私を置いて逃げてしまいました。
そんな恐くて逃げることさえできなかった私を身を挺して守ってくださったのは、私達が暴行を加えてボロボロになっていたお兄様。
既に私達の手でボロボロになっていた彼は、私を守る為に更にボロボロになっていた。
結局、あとから参った彼の三人の仲間により、事態は事なきを得ていた。
いいえ、違います。
彼は『一切の手を出さずに』不良達を制圧していたのでした。それができる人だったのです。
すべてが解決し、私は彼の元へ駆け寄り、霧がかかった胸のうちを訊ねるのです。
「なぜ、あなたは無抵抗に暴行を受けていたのですか? ……なぜ、私を助けたのですか?」
彼は無抵抗に暴行を受けていた。それは不良達のことだけではなく、私の取り巻きのことも含んでいた。
一切の手を出さずに不良達を制圧できると言うこと。
言い換えれば、不良達だけに限らず、私の取り巻き達ですらも、容易く制圧できたのだと思う。そう、自分の意志さえあれば。
だけどそれをせず、無抵抗で周りの暴行を受け続けていた彼。
更に、危害を加えていた立場の私を助けた彼。
私には、そんな彼の心意が理解できなかった。
ただ漠然と、彼の心意が理解できずに困惑した表情で見つめていた私を、彼は痛々しくも優しく微笑みを送りながら答えるのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます