第2話
何かに追われるように、突然、目が覚めた。
時刻は既に七時を回っていた。
急いで支度をしなければ講義には間に合わない。
気乗りしないな、とため息が漏れた。
最近は電車の中で嘔吐してしまうのを避けるために、なるたけ朝ご飯を食べないようにしていた。もともと乗り物酔いしやすいせいもあるが、朝の通勤電車は人波に押され、物理的に腹部を圧迫されるものだから、吐き気を催す頻度が著しく高い。
さらには数週間前のこと、たまたま睡眠不足の日々が続いた週に、乗り換えの四ツ谷駅ホームで三日続けて嘔吐して以来、条件反射なのだろうか、駅のホームに立っているだけで悪心を感じるようになってしまった。
いくら吐き気に襲われようとも、そもそも吐くべきものが胃の中になければ、気分の悪さは如何ともし難いことながら、少なくとも吐しゃ物を撒き散らして周囲の人間に迷惑をかけることはない。
貧乏学生には朝ご飯など欲張りであろうと、震える空きっ腹に喝を入れながら、僕は毎朝の登校に臨んでいた。
……それにしても憂鬱な登校である。
吐き気もそうであるが、そもそも大学自体が楽しい空間ではない。
大体のところ、僕には目的意識が足りていなかったのだ。
特に学びたいものもないままに、学力的に相応しいと思われた大学に周囲が勧めるまま進学しただけであるものだから、卒業以外に目指すべき到達点が見つからない。
とはいえ、卒業要件の単位を揃えるだけならば、わざわざ毎時間講義に出席する必要などなく、試験さえなんとなく乗り切れば事足りるのだ。結果として、およそ学業面では僕が積極的に大学に向かう必要性は見つけられなかった。
もちろん、学生だからと言って勉学が全てではない。世の大学生の九割とは言わないにしても、半数以上は勉学よりも人付き合いに重きを置いているように思われる。そしてそれは、必ずしも非難されるべき振る舞いではない。
しかし、人付き合いがてんで駄目な僕は、当然のことサークルになど所属していないし、クラスメイトとの交友もさほど深めてはいない。
大学は友人らとの交流の場所ですらなかった。
優れた大学生の資質がなんであるのかは今一つ判然としないながらも、少なくとも僕にそれが具わっていないことだけは明らかであった。
しかし、嫌だ嫌だとため息を連ねたところで、必ず大学に行かなければならない日というものも存在する。今日の一限などは、出席確認が極めて厳しい必修の授業で、無計画に休めば単位が認定されない可能性もあった。
僕は仕方なしに、くたびれたジーパンを穿いて黒の靴下に足を通すと、寝間着の上から黒いブルゾンを羽織って、玄関に向かった。
僕の住む学生宿舎は、値段も安く、ほどほどに綺麗で、おまけに全部屋個室であるものだから、お金のない僕にとっては言うことのない環境であった。
強いて不満を上げるとすれば、自室前のコンクリート打ちっぱなしの廊下は、陽が当たらないこともあって嫌な寒気を感じさせることくらい。とはいえ、廊下などは十秒もあれば通り過ぎる。気になるというほどのことでもない。
その冷たい廊下を歩いて自転車置き場に向かう途中、珍しい人たちを見つけた。
「おはようございます」
そう言って軽く頭を下げると、
「あっ、お、お、おはようございます」
と挨拶を返してくれる。
彼らは宿舎全体を掃除する清掃業者の方々である。
無責任な学生ばかりが集まるこの宿舎の共用スペースが、いつ見ても思いのほか綺麗なのは、彼らが週に五日、つまり平日は毎日掃除に来てくれるおかげである。
しかし、今までの例を思い出すと、僕の棟の清掃はおよそ朝十時ごろに始まって昼の十二時前に終わることがほとんどであった。朝のこの時間に彼らを見かけたのは初めてかもしれない。
会うたびに挨拶をしているが、思えばいつもは「こんにちは」ばかりで、「おはようございます」をこの廊下で口にするのは、少し新鮮な感じがした。
僕が近づくと、彼らはまだ廊下の真ん中を掃除していたにも関わらず、慌てた様子で道具を端に寄せて、いつものように道を空けてくれた。それが彼らなりの思いやりであるのか、それとも清掃会社からの指示で通行人を優先するように指導されているのかは分からないが、いずれにせよ、掃除中の彼らを押し退けて歩き去るのは少し心苦しかった。
僕は小さく会釈すると、いつもよりほんの少し早足で廊下を歩き去り、宿舎のエントランスを抜けた。
外に出れば、陽はもう昇っていたが、それでも朝の空気は長袖でなければ思わず身震いをしてしまいそうなほどに冷たかった。目覚まし代わりに、その冷たい空気を鼻で大きく吸い込んでみる。
……外気には、なにやら不愉快な臭いが混じっていた。
悪臭の正体は、目を凝らして探すまでもない。
それはギンナンの臭いで、足元を見下ろせば無惨に踏み潰された黄色い皮がアスファルトにこびり付いていた。
宿舎の敷地内には至る所に銀杏の木が植えられている。黄色の葉っぱは秋を伝える風情に富んでいる一方で、このギンナンの実だけはどうにも我慢ならなかった。
うっかりと踏んづければ靴に臭いが付くし、自転車を走らせれば、不意に実を踏んでハンドルが制御を失う。本当に厄介な樹を植えてくれたものだと、僕のみならず多くの学生がぼやきを口にしていた。
ともあれ、このギンナンの地雷原を越えないことには駐輪場に向かえない。足元に気を付けながら、慎重に、慎重に、自転車の近くに歩み寄った。
ようやく到着した自転車置き場は酷い有様であった。もともと宿舎の定員に対してスペースが足りていないので仕方ない面もあったが、目の前の自転車の並びは整列という言葉からはほど遠い。
空きが無いにも関わらず無理やり屋根の下に自転車を入れようとするあまり、他の人の自転車が出し難くなることなど気にもせず、無理やり前輪を自転車と自転車の間に突っ込んでいるものもあれば、もっとひどい場合には、先に停めた自転車に対し垂直横向きに通せんぼしている自転車まで存在する。
宿舎に住む学生の三割近くが留学生で、駐輪マナーが悪いのは彼らのせいだと宿舎の知人は不満を口にしていたが、目の前の惨状を見るに、原因がそれだけだとは到底思われない。少なくとも、今僕の自転車に対し道を塞いでいるオレンジ色のママチャリは、何やらネームプレートが貼ってあって、そこに書いてある名前はどう見ても日本人のものであった。
少し嫌な気持ちになりながら、邪魔な自転車をどかして、自分の自転車を引っ張り出した。
無理やり隣に突っ込まれた自転車のせいで、籠が酷く歪んでしまっている。もともと比較的柔らかい金属で作られた籠であるため、手で押せば正しい形に戻すのも容易ではあった。が、戻したところでどうせ明日になればまた歪められているのだろうなと、ため息が出る。
吐き出された息は透明なままで、まだ冬の訪れは感じさせない。これが真白の息に変わるころには、厄介なギンナン達も姿を消してくれるだろうと、頭の中でカレンダーをめくった。
いざ出発しようと自転車にまたがった瞬間、微かな風が前髪を揺らした。
それはどうやら北風で、これは参ったな、と僕はもう一度ため息を吐く。
これから向かう駅はまさしく真北に位置しており、ただでさえ細かな起伏が多く足が疲れるというのに、向かい風に阻まれれば尚のことである。
今日も汗だくで駅に向かわなければならないのかと、少しげんなりとした気持ちで漕ぎだした。
駅までは、信号に捕まらなければ十五分ほどで到着する。
途中までは幅員も広く、車の行き来を気にせず車道を思い切りとばせるが、道のりの半ばにある三叉路より先は途端に道が狭くなる。周囲をよく観察しながら、歩道と車道をうまいこと行ったり来たりしなければ、思うようには進めない。
そんな細い道路に入る頃には、額に大粒の汗が光り、リュックサックに蓋をされた背中は汗まみれになっている。幸い、今日着ている黒のブルゾンは濡れても変色しないため、電車の中でまで周囲の迷惑を顧みず、リュックサックを背負ったまま背中の汗を隠す必要はない。
少し安心しながら、駅構内に足を踏み入れた。
慣れた足取りで改札を抜けホームに向かうと、早くも人々が列を作っている。僕はその後ろに並びながら、ぼんやりと辺りを見回していた。
ふと駅の電光掲示板を見上げると、電車の遅延情報が流れていた。僕の登校には一切の影響を与えないが、他の路線で人身事故による遅延が発生している旨の記載があった。
飛び込み自殺だろうな、と僕はなんとなしに思った。
脳裏に浮かぶのは、顔のない青年が快速の下り電車に身を投げる姿。彼は衝動的に身を投げたのだろうか、それとも考えに考え抜いた末、自身を救う最良の手段として投身自殺を選んだのだろうか。
もしも後者なら、それはとても悲しいことだと思う。
普通に生きてさえいれば、人生が辛いことだけで構成されることはない。不幸だ不幸だと嘆いたところで、自らの一年間を振り返ってみれば、きっと笑顔の瞬間が数えきれないほど存在している。
しかし、それでも青年は意識せずにはいられないのだ。普通に生きていれば、人生楽しいことよりも辛いことの方が多いのだと。
あるいは辛いことがあったその瞬間に死を望むのは、決しておかしな発想ではない。皆が皆そうではないにしても、多くの人は嫌なことから逃げ出したいと願っているし、死などというものは、実際に選択し得るかどうかはともかくとして、最も簡単に思い浮かぶ逃亡先であるように思われる。
苦労苦難に隠された僅かばかりの喜びをよすがにして、人は今日を生きなければならない。だからきっと、普通に生きる人々にとって最も質の悪い自殺願望は、笑顔の瞬間に訪れる。生を楽しんでいる自らに疑問が生じた瞬間、もはや真の意味で生きる理由は失われてしまうから。
最近の僕は正にその生きる理由を失っていて、夜布団に入るたびにこのまま目が覚めなければ良いのに、と中途半端に破滅的な願望が姿を見せる。
仮に自殺に至るまでの心情が、生きるのが楽しい、死にたくはない、死んでもいい、死にたい、とステップアップするならば、今の僕は積極的なアクションは何一つ起こす気にならないところから判断するに、死んでもいい、という段階にあるのだと思う。
比較的裕福な家に生まれ、人並み以上の容姿と学力に恵まれておきながら、大した不幸に襲われたわけでもないのに死を望むなどというのは、酷く傲慢なことかもしれない。
しかし一度でも傲慢という自らの短所に気付いてしまえば、今度はその短所ゆえに自分は生きる意味を持たないのだと感じられる。
短所があるのならば直せばよい、そのために努力できないのは単なる怠惰にすぎないのだと理解はしているものの、今度はその怠惰がますます僕から生きる理由を奪い去っていく。
結局のところ僕の生を繋ぐ条件は、一切の自堕落から目を背け、周りに流され流され鈍感に生きていくことに他ならないのだろう。
そんな、少しだけ悲しい気持ちになりながら電車を待った。
三分も経たない内に、電車が到着する旨のアナウンスが流れた。
やって来たのは快速電車。
僕はそれに乗車し、空席が見当たらないものだから、扉付近に立ち尽くす。
電車はゆっくりと発車した。
***
今日も大学では何も起こらなかった。
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