2.8 見覚えのある客の姿
かえりぎわに店でかった編み物の帽子を、寝床に腰かけるクレシアに深々とかぶせた。であったときから知っている地味なフードは、油釜の炉になげこんだ。襲撃した連中と同じフードをかぶっていては、獣人だとばれるか、もしくは連中の仲間だと疑われてしまうからだった。
マーターにおさめるコリシュマーデを麻袋につつんで、クレシアとともに酒場を前にした。あいかわらずの暗さではあるが、暗みの中から声が聞こえるのはいつもとちがうことだった。男の声と、マーターの声。ききおぼえのある男の声。
クレシアがいることもわすれて、トゥエンは店の中にかけこんだ。あの男は襲撃で爆弾を体にまき、爆発したはずだった。その男の声がするのは、おかしいことだった。
中に入ってみると、トゥエンはあの男がマーターをにらみつけているのを見た。男はフードをかぶっていなくて、獣人の耳をさらしていた。マーターはカウンターをでて、カウンター席に座っていた。
「あんた、死んだはずじゃ」
「てめえはいきのびていやがったか」
「あんたはどうしてここにいるんです。爆弾を使ったんでは?」
「てめえまでオレにケチをつけるのか」
男がトゥエンに迫った。ヤツを前にしてようやく、トゥエンはコトを察知した。男の染めていない質素なチュニックは監獄で使われるものだった。つまり、男は『しくじった』のだ。騎士団にとらえられて尋問をうけて、監獄に入れられたが、しかし、うまく脱獄できたというところだろう。おそらく国王に対することだから、尋問ではなく拷問だったにちがいない。男の目のアザがなまなましかった。
男はトゥエンの胸ぐらをつかんでガンをとばしてきた。まだ襲撃の余韻がのこっていて、それにくわえて監獄になげすてられたイライラもが彼の目ににえたぎっていた。
「本当に死んだものかと思ってたんです」
「てめえの目はちがう、おれのことをバカにしてる!」
「それは思いこみです、さあ、手を離してください」
トゥエンは強引に手をひきはがして、間合いをとった。クレシアに危害がおよばないよう、クレシアをかくすようにして男と対峙した。
「人間がヘラヘラいちゃつきやがって。獣人が命をかけてるってときに」
「イーレイいいかげんにしろ」
影をひそめていたマーターが店の空気をかためた。ずかずか男にあゆみよったかとおもえば、つぎの刹那にはなぐりたおしていた。まるで男のような力で、大の大人を壁ぎわまでふきとばした。
「もうお前はかえれ。どこかで頭を冷やしてこい」
「おれは冷静だ! お前のほうがどうかしてる!」
「かえれ、もう客がいるんだ、あんたも客だろうがな」
「くそったれのアバズレが」
よろけながらもたちあがり、なぐられたほおをかばいながら肩を揺らしてトゥエンへと向かっていったかとおもえば、トゥエンの肩に肩をぶつけながらも、彼にも舌打ちをうって、店をでていった。
「お客さん、見苦しいところをみせてしまいましたね」
「いえ、おきになさらずに」
「では、お席にどうぞ。エルボーのものでよろしいですかな?」
イーレイという男がいなくなってからは、いつもの『ネコの目』におちついた。しかし、酒場が抱えこんでいる空気まではかえることができなかった。トゥエンとマーターは目をあわせず、カウンターをはさんでむかいあっていた。トゥエンはハチミツ酒を、クレシアは赤色に染まったポプタープ・ファルタを見つめてばかりいた。トゥエンと話がしたいというのではなく、ひとりでいるのがこわい、とひとりごとのようにこぼしてトゥエンのとなりに座っているのだった。ハチミツ酒の横には、コリシュマーデの麻袋がよこたわっていた。
トゥエンはマーターにコリシュマーデをわたすこともできなかった。ただできたことといえば、マーターに、女性だったのですね、と座りながらに確認することだけだった。その答えはというと、かえってこなかった。問いかけがつながらなくてからは、音がなくなった。飲む音も、グラスをおく音も、グラスを手入れする音も。
トゥエンには確信があった。獣人とかかわっている、ジーンとよばれている女性。殺戮の女王、エグネ・ジーンの姿以外に誰が浮かぶものか。ジーンという名の人をトゥエンはエグネ以外に知らないし、それでいて、人のこころを会話から盗みとろうとする力に長けているのも、エグネ・ジーンのほかにトゥエンがみとめるものはいない。
だからといって、エグネであるかどうかをきくことはできなかった――しなかった。できなかったといえば、マーターが手元からにじませる空気がトゥエンの口をふさいでいるともいえるが、トゥエンの口はひらいていた。じゃあなぜしなかったといえば、ここでマーターが、彼女が女王であるかは問題ではないからだった。もっとも注意しなければならないのは、外側からしのびこもうとしていた『獣人の勢力』の中にいきなりつきおとされたという事実だった。
視界のすみっこにあったクレシアの手がグラスから離れた。手が冷たくなったのかなと考える程度のことだったが、席をたったものだから、いよいよのんきにみすごすことはできなくなった。
クレシアは壁ぎわを歩いてテーブルをやりすごすと、窓の近くで腰をまげた。腰をのばしたときに手にしているのが、トゥエンをしのぐ大きさの木の板だった。何に使うのかとみまもると、それを窓にたてかけた。一枚だけではなく、三枚を、閉じている窓をかくすようにした。窓枠にそってもれている月明かりもなくなっていっそう暗くなる部屋をクレシアは気にしていないようだった。そうして席に座ると、彼女は頭をかくす網帽子を、カウンターにポンと投げた。
トゥエンはカウンターをすべる帽子から、マーターに目をむけた。ほんのちょっと遅れて、マーターがクレシアから視線を話して、トゥエンと目があった。マーターはもういちどクレシアを見て、彼の目を見た。
「どうやら、クレシアが迷惑をかけたようで」
「いえ、こちらとしても、わだかまりがなくなったというか」
「まあ、そうですか」
かくいうマーターの声は、きえるようにしぼんでいって、それにあわせて顔をうつむかせていった。トゥエンがどういう考えをもつ人物なのかをずっとさぐってきていた彼女であるから、してやられたと思っているのだろうか。秘密にしているはずのクレシアの耳がばれてしまった。クレシアとつながりがある以上、獣人側に立つ人間だと密告されてしまったも同じだ。
トゥエンとクレシアの間に起こったことをほのめかしたところで、マーターに動じている様子はなかった。マーターは料理を三人分作るよういった。ひとりになりたくないと涙目で訴えるクレシアだったものの、マーターが繰り返す柔らかい調子に、しぶしぶ腰をあげたのだった。
閉まる扉で、店の空気がかきまぜられた。二人をとりまくものに色をつければ、ぐるぐるとうずまいていることだろうが、トゥエンはむしろ逆の感じにつつまれていた。クレシアをはずさなければできないこととは、マーターは何をするつもりなのか。予測がつけばよいものの、何かをするそぶりを見せず、だからといって彼女の言葉に予兆があるかとおもいかえしてみれば、そもそもマーターのきもちをうかがい知ることのできる言葉がないのだった。またうつむいて、ハチミツ酒とのにらめっこ。
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