第36話 駆ける黒翼

 リアは地面に叩きつけられた直後、シオンを抱えたまま跳ね起きて後方へ下がった。倒れた状態への追撃を避け、視界の通る場所を確保するためだ。

 そこは荒野と呼べるほどに殺風景な場所だった。急斜面には採掘の跡が無数に残り、木々が開拓された赤土の大地には地層から放り出された岩がいくつか転がっている。

 そして、斜面の反対側は断崖絶壁。気を失いそうなほどの高さを落ちた先に、轟々と低いうなりを届かせる渓流けいりゅうが見えた。


「シオン、だいじょうぶか!?」

「うん……動ける、よ」


 爆風の痛みがなかったわけではないが、相手の目的が『吹き飛ばす事』だったおかげで怪我はせずに済んでいる。


「無事ですか!?」


 シオンを降ろすと、コノハが上空から駆けつけた。しかし、降り立ったのは味方だけではない。

 正面に――まるで正々堂々と勝負を仕掛けるようにヴァントが立つ。

 コノハは突発的に飛び出した自分の行動を恨んだ。まだ戦う手段をロクに持たない自分の最適解は、落とし後によって戦闘不能にされてしまったディナクを抱えて戦線を離脱する事だった。だというのに、シオンとリアを心配するあまり、翼が勝手にはばたいてしまったのだ。

 眼前の敵にとっては都合のいい標的が増え、上で戦う二人にとってはディナクという守る対象を残した上に心配事を増やす結果……しかし、すでに引き返せない。


「ま、マズいです……行動から見てあの人の目的はシオンさんですし、どうすれば……」

「オレがあいつと戦う! コノハはシオンを連れて逃げ――」


 リアの本能が察知したのか、コノハの観察力が警鐘けいしょうを鳴らしたのか。

 ヴァントが準備運動にも満たないほど小さく跳ねる。距離はかなり離れているため、警戒にも値しない行動――――だが。


「リアさんっ!」

「――――ッ!!」


 響いたのは鈍く硬い音。

 リアは咄嗟に両腕を頭の前で交差させた。次の瞬間、リアの鱗と振り降ろされた刀身がかち合う。


「重……ッ!?」


 踏ん張る両足が地面にヒビを入れ、振られた剣の圧によって髪が乱れるほどの風が生まれる。リアは両腕を襲った衝撃としびれに奥歯を喰いしばった。

 一瞬の内にリアの眼前にまで距離を詰めたヴァントは意外そうに呟く。


「鱗で防御されたのは、初めてだ」

「ッ、らァ!」


 リアは左腕で刀身を受け流し、すかさず右手の爪で突き。ヴァントはそれを軽いバックステップでかわし、またも瞬間移動で距離を取った。


「くそッ、なんだアレ!?」

「瞬間移動……そんな強力な加護、どう戦えば……!?」


 リアとシオン……誰よりも、その利便性を悟ったコノハが驚愕を隠せない。

 ――それが敵の加護。その情報のみで、ヴァントはコノハに絶望を植え付けた。

 逃げる事は、許さないと。


「に、逃げられません……あんなの、背中を見せたら……!」

「だったら」


 リアが己を鼓舞こぶするように、紅い拳を強く叩き合わせた。

 腕は未だに痺れを訴える。振り降ろされた一撃は平均的な体躯たいくからは想像もできない、大男ルドマンの斧にも匹敵する威力だった。

 それでも、立ち向かわなければならない。

 そうしないと――――勝てない。


「オレがあいつをブッ倒すッ!!」

「……受けよう」


 叫んだ瞬間、リアは一直線に突進。ヴァントは受けて立つとばかりに待ち構え、短刀と長刀による激しい剣戟けんげきが始まる。


「意気込むだけあって、多少はできるらしい……それに、いいてつを使っている」


 ヴァントは素直に感心していた。以前、森で見ていた時とは明らかに動きの質が違う。野生じみた直感頼りの攻撃ではなく、しっかりと間合いを把握している。そこに短刀の刺突しとつと体技を織り交ぜた、息つく暇を与えぬ連撃。ジーナとメリアによる鍛錬たんれんが功を奏していた。

 攻撃は掠りもしない。だが、防御しつつ徐々じょじょに下がるヴァントを見て、リアは押しきれると希望を見出みいだし連撃を続ける。


「――――しかし、まだつたない」


 確実に当たると判断した突き――瞬間、ヴァントの姿が消えた。そう認識した時、リアは脳天に衝撃を受けて乾いた地面に頭から叩きつけられる。リアの真上に出現したヴァントが、かかと落としを放ったのだ。


「がッ……、!」

「この程度に反応できないのは、その攻撃法に意識を集中している証拠だ。付け焼き刃にしては上等だった……だが、足りない」


 所詮しょせんは二日程度。いくらリアの吸収力に加護の加速が合わさっても、それが達人の域に達する道理はないのだ。

 反撃に転じようと砕けた地面に突き立てられたリアの手を、容赦なくヴァントが踏みつける。そして、剣の切っ先を手首へと向けた。


「鎧の籠手こてほどに堅牢けんろうな鱗……だとしても、突き刺せば貫通する。すまないが、ここでついえて――」

「フレアスフィアッ!」


 飛来した水晶球をヴァントは一歩下がって避ける。踏みつけから解放されたリアはその水晶を掴み、すかさずヴァントへ投げつけた。

 盾代わりの剣にぶつかって砕けた水晶から炎が横断幕のように吹き上がって視界を埋める――それを突っ切り、リアの拳がヴァントに迫った。


「くっ――――」


 しかし、拳は空を切る。ヴァントがまたも姿を後方へと移動させたためだ。


「くそッ、またか!」

「でも通用してる……思い切りやって、リア!」


 力強い返事をしたリアが攻勢に出る中、コノハは小さなひっかかりを覚える。


「あの移動、直線上ばかり……本当に不意を突くなら、さっきも頭上より背後の方がいいハズなのに。それに、瞬間移動の直前に必ず――」

「コノハさん!」

「ひゃいッ!?」

「指示をお願いできますか!」


 それはコノハの観察眼を信頼しているからこそ発せられた言葉。

 思考と推察は大切だ。だが、それより優先すべき事もある。いまはリアと丁々発止を繰り広げる強敵を倒す方法だけを考えるべきだ。


「はいっ!」


 コノハは頷き、すぐにタイミングを予測し始めた。

 すぐさま、リアの攻撃にシオンの魔法支援が加わる。攻防に撃ち込まれる炎の水晶にヴァントは気を配らなければならない。だが、リアは炎をものともせずに攻撃を続けられる。

 リアだからこそ成立する組み合わせ。

 波濤はとうのように押し付けられる攻撃に、ヴァントは防戦を強いられる。


「――不思議だ」


 火花散る応酬おうしゅうの中、ヴァントは声をこぼした。


「水晶魔法とのコンビネーションもまた、付け焼き刃に過ぎないはず……なのに、驚くほど完成されている」

「ったりめーだ! オレとシオンとコノハ、三人で戦ってんだからなッ!」


 リアがグッと脚に力を溜め、鋭い突きと同時に一気にヴァントのふところへ飛び込んだ。

 大きな攻撃は隙を生む。ヴァントは紙一重でかわして体を打ち落とそうとするが――伸ばされたリアの手に、炎を内包する水晶が収まった。


「な――っ」

「くらえッ!」


 リアが空中で身を捻り、水晶をヴァントに叩きつける。至近距離で火焔が炸裂した。危険を承知で跳んだのは攻撃ではなく、飛ばされた水晶をキャッチするためだったのだ。


「命中です!」

「やった、これなら――」


 シオンとコノハの喜びは、


「――見事」


 炎を身に受けながらもリアの腕を掴んだヴァントによって、たやすく打ち砕かれた。


「てめっ、はな――――」


 放せ、とリアがもがく時間も与えず、ヴァントは人が点に見えるほどの上空へリアごと移動した。浮遊感に襲われ、身動きの取れない少女の頭を、ヴァントは鷲掴みにする。


「落ちろ」


 空にいた姿が突如消え――――刹那、衝撃波と石片混じりの粉塵が大気を揺らした。シオンは地面が爆発したのかと錯覚してしまう。

 この常識外れな威力を見て、コノハはひとつの仮説に辿り着いた。


「瞬間移動じゃなくて、もしかして……!」


 立ち込める砂ぼこりの中、悠然と立つのはヴァントであり――後頭部から叩きつけられたリアはすり鉢状に砕けた地面に倒れたまま、動かない。

 赤髪からしたたり広がる血を見て、シオンは怒りを孕んだ悲鳴を叫ぶ。


「リアッ!!」

「常人であれば五体が砕けている一撃……龍の体は伊達だてではないという事か……充分、賞賛に値する強さだった。だが、それは三人が一体となった力……ひとつ柱をなくせば、脆い」

「ッ――コノハさん、逃げてっ!」


 シオンはコノハを背にかばい、魔法を放つ。しかし、その一文字目を言う前にヴァントは距離を詰め、細い腹部へ剣のつかを打ち込んでいた。


「っぁ――――、」


 小さく、魂が抜け落ちたような呼吸を最後に、シオンは気を失う。倒れる体を受け止め、ヴァントは祈るように目を伏せる。


「せめて、安らかに……」


 コノハは、何もできなかった。


 戦う――武器もないのにどうやって?

 シオンを奪い返す――そんな隙があると思うのか?

 じゃあ――――


 辿り着いた言葉を肯定するように、ヴァントが言った。


「この少年が言うように、貴女あなたは逃げて構わない。誰も責めはしない……たかだか出会って数日の貴女と彼らに、さほどのきずなもないだろう」

「っ…………!」


 敵に逃亡を勧められる。脅威きょういとすら認識されていない。その悔しさと、己の情けなさに腹が立った。

――――だが、何よりも心を掻き乱したのは『逃げていい』という言葉に安堵した自分がいた事。

 恩人を前に、卑怯にも逃げたいと思う自分を認めてしまった事。


 気付けば、コノハはへたり込んでいた。

 膝は動かない。喉も震えない。躊躇ためらいと恐怖と逃亡への渇望が、コノハから行動の権利すらも奪い去った。

 ヴァントはそれを一瞥いちべつもせず、シオンを肩に担いで歩き去っていく。


「っ、……………………!!」


 待て。待って。行かないで。シオンさんを助けたい。


 何もかもが、出ない。

 臆病者の心が、雑多で鮮明な無数の感情に板挟みにされて一歩も動けない。

 手も伸ばせず遠ざかっていく背中――――その歩みが、止まる。


「――――シ……オン……!」

「…………まだ、意識があったのか」


 リアが、立ち上がっていた。

 ぼたぼたと頭から血を流し、まっすぐ立つことすらままならない重傷で、それでも空色の瞳がシオンを離さない。


「オレ、が……やくそく、……して…………」

「その身体で何の約束が果たせる……気力で意識を保っているだけの貴女に、何ができる?」

「しる……か……おまえ、が……シオン、つれてくんだろ……」


 リアが、震える脚を上げる。そして、カラクリ人形のように不器用な動作で、一歩を踏み出す。


「だった、ら……オレは死んでも、おまえをいかせねー……!」


 その身がいくら傷ついていようとも、龍の鱗が闘志を示した。


「なにが、なんでも……シオンはきずつけさせねー……!!」


 この心に燃ゆるくれないが存在する限り、リアは決して折れない。


「シオン、は……オレを……龍をみとめてくれた…………オレを、はじめて……オレとして…………仲間って呼んでくれた……!」

「リア……さん……」

「シオンっ、は……オレの仲間だから……!!」


 龍が、咆哮ほうこうする。


「シオンはオレが守るッ!!」


 それは、気迫だけがつないだ想い。

 純真な龍が、愚直に約束を果たすため。大切なひとを守るためだけに立ち上がった。


「…………」


 ヴァントはそれを悲しげに、まばたきすらせずに見つめていた。

 だが、ある変化を目視した瞬間に認識を改める。


「貴女は、危険だ」


 シオンを地面に降ろすと同時、ヴァントは加護で移動し、リアの首を掴んだ。そのままもう一度、加護を使って崖の手前に。

 ヴァントは、リアの体を崖の外へと突き出した。真下は掴まる足場もない断崖絶壁。落ちれば、待つのは死のみ。


「怨んでくれて構わない。それでも僕にはこの少年が必要なんだ」

「っ……シ……オン――――」


 手が、外される。

 少年へと伸ばされた手は、何も掴めぬまま落ちていく。


「――――――――」




――いつだって、後悔している。


 この日、この場所、この瞬間。

 言えばよかった。

 動けばよかった。

 進めばよかった。


 同じだ。

 後悔してばかり。


――でも。


 諦める理由が欲しかった。

 全部私の責任にして、誰からも嫌われて。

 そうなったら心は痛くても、諦めれたはずだから。


――でも。


 私は出会ってしまった。どうしようもなく優しい二人に。

 きっと、私が諦める事すら自分たちの力不足だと心を痛めてしまう人たちに。

 だったらいっそ、嫌われたかった。無礼だ迷惑だと拒絶されたかった。

 でも、怖かった。何より簡単なそれすらも。何もかも怖かった。


――――だって。


 だって、心が叫ぶんだ。

 諦めたくない。嫌だって、泣き止まない。

 そんな私を昔から知ってるみたいに、二人は支えてくれる。

 闇雲に優しいんじゃなくて、一緒の場所で目を合わせてくれる。


――――そう。


 どれだけ後悔しても、諦めたくない。

 どんなにつらくても、立ち止まりたくない。

 私は木の葉。小川に流れる緑の一枚。

 ゆるりとした清流に導かれ、遠くへ至るもの。

 私が立ち止まっていても、清流は止まっていなかった。


 いまも、そう。


 二人は他でもない私のために立ち上がってくれた。

 レノワールの人々は力を惜しげなく貸してくれた。

 クロバさんは私のために写真を守ろうとしてくれた。

 父ちゃんは私のために頑張り続けてくれていた。


 それすら見ないフリをするのは、私を生かす全てを否定する事。


 私が大好きな清流みんなを否定する行為だ!!


 決めたんです。

 怖い。怖いものは怖い。吐きそうなぐらいです。

 みっともなく泣き散らかして逃げ出したいですよ!


――――でも!!



「助けたいんですっ!!」


 落下するリアを追い、荒野に一陣の風が吹きすさぶ。黒い羽根が視界に舞い、ヴァントは己の目を疑った。コノハから崖縁までには、走って間に合うはずがないほどの距離があったのだから。


「リアさんッ!」

「コノハ……!」


 羽を畳み、放たれた矢のような速度でリアに追いついたコノハは、激流スレスレで紅い鱗に覆われた手をしっかりと掴み、引き上げて抱きしめる。


「絶対、ぜぇったいに離しませんッ!」

「ん!」

「行きますよぉぉっ!」


 再び広げられた翼がはばたくたびに、凄まじい勢いで上昇が加速する。リアを抱えた重さを感じさせず、まるで風の全てが味方についているかのようだった。

 そして崖下から上空へと到達した瞬間、その身体が角度を変えてまたも加速する。


「ぁぁあああああッ!!」

「っ、そうか狙いはッ!」


 ヴァントが背後のシオンに手を伸ばす。いかなる速度があろうと、刹那に勝る道理はない――――だが、その加護は発動しなかった。手に掴んだのはシオンではなく、辺りにいくつも舞い降りていく黒い羽根の一本。

 その手の向こうで、コノハがシオンの体を引っ掴んだ。


「奪還! ですッ!!」


 距離を取って二人を降ろし、今度はリアとシオンを背中にコノハが立つ。その姿を臆病と呼ぶ者は、世界のどこにもいないだろう。


「シオンさん、起きて! 起きてください!」

「シオンっ!」

「ん……ぁ……」


 リアがぺしぺしと頬を叩くと、シオンはおぼろげながらも目を覚ました。痛みもあまりないようで、寝起きのようにぼぅっとしているだけだ。

 正面に向き直ったコノハは、ダメ押しとばかりに人差し指をヴァントに突きつけた。


「そして、あなたの加護も見抜きましたっ!」

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