第9話
「そのがらくた、ちゃんと片付けてよね」
「わかっている。何度も同じことを言うなと、俺は何度も言ったぞ」
岩井の背後では、押し入れから引っ張り出された品々が山をなしている。
「それに、がらくたじゃないとも言ったはずだ」
「そうは見えないけど」
「お前探偵小説は読むくせに、ロマンは解さないんだな」
「私が興味あるのは謎解きだけだもん」
安楽椅子、モデルガン、ハンチング帽、虫眼鏡、ステッキ、呼子笛、カメラ、針金、BDバッジ、棒やすりが仕込んである(という設定の)細巻き煙草、万年筆型懐中電灯(というつもりの万年筆)、万能ナイフ(これは本物)、縄梯子(手作り)、指紋採取用品(片栗粉と耳かきとセロハンテープ)……等々。
岩井が長年に渡って集めた探偵道具の数々である。いつか来る大事件の折にはこれらの品々が大活躍をするはずだ。
加えて、先代が残した調査記録。古今東西の探偵小説。岩井が書いた探偵小説(未完)。この宝の山をがらくた呼ばわりとは許しがたい。
確かに、自動車・気球・ヘリコプターの模型や、伝書鳩「ピッポちゃん」のぬいぐるみ等については、用途は不明と認めざるを得ないが。
「あとで掃除と換気もしてよ。この部屋、すごく埃っぽい」
聞こえよがしに咳をする妹は放っておこう。今はとにかく目的のものを見つけ出さねばならない。確か一つの箱にまとめてあったはずだ。
「ねぇ、さっきから何を捜してるの?」
「うるさいぞ。お前はさっさと嫁に行け」
「何それ?」
「甲賀先生なんかどうだ? お前を気に入っていたようだし。ああ、あの人は家庭持ちか」
「独身でも嫌よ、あんな蛇みたいな人」
「隆太郎さんも立派な方だが……いい男はみんな妻帯者だな」
「うん。それは言えるかもね。兄さんが独身だし」
岩井は心の中でため息をついた。
「ま、いい男は自分で見つけてくれ。お前にどんな男が合うのか俺にはさっぱりわからん」
「兄さんにどんな女の人が合うかの方が謎だけどね」
「まずその『売り言葉に買い言葉』を何とかできないのか」
「売る方が悪いんじゃない」
「買う方も悪い。そんな調子じゃ男もすぐ逃げていくぞ。いや、そもそも出会いがないだろうけどな」
「それはどうかな?」
ん?
「何かあったのか」
「いいえ、別に」
「どこで出会った」
「何でもないって」
「男ができたならきちんと紹介しろ」
「だから別に出会ってないってば」
「……お前、犯罪はしない方がいいな」
「なんで?」
「顔に出やす過ぎる。赤いぞ。猿の尻みたいにな」
「何言ってんのよ」
実は、「赤いぞ」と言った時点では赤くはなかったが、言われて赤くなったのだ。赤くなるなら同じことだ。
「お前が本気なら……」
「やめてよ。そんなんじゃないって」
「いいから聞け。お前が本気なら、相手の名前と職業を教えろ。すぐにとは言わん。自分が本気だとわかったらでいい」
「何言ってんの?」
「身元をきちんと調べなきゃならんからな。真っ当な家の人間かどうか確かめる。身内に犯罪者でもいてみろ。もしそんなことがあったら、いいか、そういったことはじっくりと考えなきゃならん」
潤子の顔からは赤みが引いて、憐れむような目でこちらを見ていた。何だ? 俺は何か変なことを言っているか?
まぁ、いい。妹の恋は後回しだ。今はとにかく例のものを見つけなければ。
「それで、もう一回訊くけど、捜しものは何?」
「隆太郎さんに頼まれたものだ」
「だからそれは何なの?」
「教えない」
「なんで?」
「お前は暗号の差出人やお宝が何なのかもまだわかっていないんだろう」
「だからそれも教えてよ」
「たまにはわからない方の身にもなってみろ」
「私はいつも兄さんに教えてあげてるじゃない。恩を仇で返す気?」
「そうかりかりするな。明日には教えてやる」
「けち!」
「何とでも言え」
「なんてね」
ん?
「わかったのか」
「多分ね」
と、潤子は江戸川乱歩の『お勢登場』の表紙を見せた。
『お勢登場』の主人公は病に冒された男。その妻は書生と不倫をしている。主人公は妻の不貞を知りながらも、それを責めることができずにいる。妻もまたそのことを知っているのである。
ある日、子供たちとかくれんぼをしていて、主人公は長持の中に閉じ込められ、窒息死の危機に瀕する。妻はそれに気づくが、あろうことか、持ち上げかけた蓋をぐっと押さえ、掛け金をかけてしまう。そのまま主人公は死に、妻の罪を暴く者は現れない。
非常に後味の悪い作品だが、人の心の闇を浮き彫りにしたという意味で、これ以上のものはなかなかない。岩井自身は強く記憶していた。しかし妹がこれを解するとはあまりに意外であった。いや、解したとまではいっていないかも知れないが、とにかく人の心の複雑さについて、『お勢登場』が参考になり、そのおかげで例の謎も解けたのだろう。
「そうか。良かったな」
「おかげさまで」
いや、「解け」てはいないのだ。真実は自分や甲賀が想像したものよりも、もう一歩先にあった。潤子の考えはそこまで届いてはいまい。
グロテスクな心理の存在を知って、グロテスクな推理をする。辛い経験から、悲しい結末を予想する。それらは自然なことだ。けれど、この世には光もある。確かに、ある。真実が残酷とは限らない。
ともかく、潤子に真相を解説するのも明日以降でいいだろう。
一つの箱が出てきた。あったあった、これだ。蓋を開けると、様々な衣類がきちんと畳まれて重なっていた。縞柄の浴衣、支那服、白い詰襟の上下。どれも捨てがたいが、やはり「彼」と言えばこれだろう。身体に合えば良いのだが。
そうそう、こいつも忘れちゃいけない。椿油。髪を整えるのに必要だ。
岩井は選んだ衣装といくつかの小物を鞄に詰め込み、押し入れの襖を閉め、そこにもたれて座った。
「何やってるの。片付けてよ」
「灯かりを消してくれ」
「え?」
「少し寝る」
「そんなところで?」
「長くは眠れない。隆太郎さんとは深夜の約束だ」
潤子は腑に落ちないという顔をしながらも、黙って電燈の紐を引いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます