第9話 車移動・車内の匂い・気を付けよう(字余り)

 中々に長い時間座っていたので立ち上がり背伸びをすると、体のあちこちで音がなる。うーん気持ちいい。

 とりあえず全員の自己紹介が終わり、軽くだけどメンバーのことを知ることができたが、まだまだ色々と話したいな。

 でも社長室にいつまでもいるわけにはいかない。

 そうだ、せっかくだし食事に誘ってみるか。一緒に食事をすればもっと距離が近づけて、良い関係が築けるかもしれない。

 この前、事務所のみんなと行った焼き肉屋にでも誘おう。


「よっしゃー! みんな自己紹介も終わったし、もしこの後時間があるなら親睦会も含めて焼肉でも――」

「あ、あのー楢崎さん。ちょっといいですか?」


 自己紹介の時のはきはきした返事とは打って変わっておずおずと手を挙げる大江。

 話を遮ってしまって申し訳ないという顔をしていて、心なしか大江の頭のてっぺんで立っている髪の毛も萎れている。


「どうした大江?」

「えっとこの後なんですけど、すぐにそのーあのー」

「なんだよ遠慮すんな。自己紹介の時に何でも言えっていったろ」


 しかしモゴモゴと言いづらそうな大江。

 …………もしかして焼肉が嫌だったとか。確かに煙の臭いとか服に付くもんな。

 そうだ。焼き肉ではなく、しゃぶしゃぶにしよう。それなら臭いの心配もないだろ。

 それともお金を気にしてるのか。まったく心配しないでほしい。

 自分より年下の女の子たち、ましてや担当アイドル。もちろん俺の奢りだ。

 色々な考えが俺の頭を巡っていた時、大江が決心をしたのか口を開いた。


「この後ライブバトルがあるんです! な、なのでもうここを出ないと」

「……………………ん? ら、ライブバトル?」

「は、はい」

「えっとー……誰の?」

「わ、私たちのです」


 ……………………なるほどなるほど。

 つまり大江の話を簡単にまとめると、今日Antoinetteのライブバトルがあるらしい。

 へえ今日かー……今日なー…………きょ、今日っ!?


「ち、ちなみに場所は?」

「で、凸凹ハウスです」

「えっとー何時から?」

「じゅ、15時です」

「15時って……あのおやつの時間で有名なあの15時か?」

「その15時です」

「ウソだろっっっーーーーーーーーーーーーー!!」


 社長室だけでなく廊下にも響くのではないかというくらいの声を上げてしまった。

 待て待て落ち着け楢崎孝太郎、冷静になれ。まずは深呼吸だ。

 すーはーすーはー……よし。

 えーとここから凸凹ハウスまでは車で30分くらいで、時計の針が今14時を指そうとしてるから15時開演ってことは……。


「あと1時間もしたら始まるじゃんか! なんで言ってくれなかったんだ!?」

「しゃ、社長がもう先に話したと思ってて、すいません!」

「あの糞社長、今度あったら肩を強打してやる!」


 今回はいくら社長が可愛くても許すことはできない。


「あなたの質問が気持ち悪いからよ、猛省しなさい」

「俺が気持ち悪いのは関係ないだろ。すぐに車を出すから、下のロビーに集合してくれ」


 俺は社長室を後にして、全速力で駐車場へと走った。

 廊下を走ってはいけないと学校で教わったが、今は一刻も争うのでそんなこと守ってられないので無視する。

 社長室から俺が出て行った後、みんなが何か話してたけど急いでいたので何を話していたのかは聞こえなかった。






「楢崎さんって面白い人だね。あと優しそうだし」

「どこが? あの変態の目をちゃんと見たの唯花、あれは何回もヤッてる目ね。彩月もそう思うでしょ?」

「…………私は唯花さんと同意見です。面白くて優しい方だと思います。私にギャグを教えてくれると約束してくれましたし。絵美里さんはどうですか?」

「そうね。絵美里は麗奈と同意見だわ。だって楢崎のやつ、櫻子と話してた時ずっとおっぱい見てたもん。ね、櫻子」

「えええっそ、それは気づかなかったなー。で、でも楢崎さんも男性だし……。あっそうだー。今日おいしいお団子を持ってきてたんでしたー。冷蔵庫の中にあるからライブ終わったらみんなで食べましょう。もちろん楢崎さんも一緒に、どう唯花ちゃん?」

「大賛成です! よーしライブ頑張るぞ、おっー!」




 ◆




 急いで車を運転して事務所の前で止め、ロビーに向かうともう全員集合していた。


「すまん待たせた。車があるから乗ってくれ」


 みんなに声をかけ、急ぎ足で停めてある車の前に来ると神領が急に立ち止まる。


「どうした? 忘れ物でもしたか」

「……これ事務所の車?」

「あーすまん。俺の車だ」


 本当は事務所の車に乗せないといけないのだが、急いでいて頭が回らず自分の車を持ってきてしまった。

 戻って車を変える時間ももったいないので、今回は許してほしい。

 俺の車と聞いた途端、神領が顔をしかめる。


「……あなた、私たちをどこに連れてくつもりなの?」

「会場だわっ! 頼むから早く乗ってくれ」


 この後助手席に誰が座るかなどの問題が起きたが、なんやかんやで全員車に乗り込んだ。


「ちょっと楢崎、この車狭すぎ」

「申し訳ないが我慢してくれ」


 車を発進させて早々、後部座席に座る4人の一人である鶴舞が文句を言ってきた。

 仕方ないだろ、こんな人数を乗せることを想定して買ってないんだから。

 鶴舞の文句タイムが終わると待ってましたと言わんばかりに神領が口を開く。


「ちょっと変態。この車、臭いのだけれど」


 鶴舞の文句がジャブくらいのダメージなら、神領のはアッパーもしくは飛び膝蹴りくらいのダメージがある文句を発してきた。


「…………すいません」


 思わず敬語が出てしまった。

 消臭剤を置いてるから臭くないわとか言い返すこともダメージが大きすぎてできなかった。シンプルな悪口が一番効く。


「これだから変態は嫌いなのよ」


 そう言い捨てると神領は何事もなかったかのように窓から外の景色を見始めた。

 14歳と17歳に精神的にボコボコにされ、俺の体からどよーんとした空気が漏れ出し車内を満たし始める。


「ちょ、ちょっと絵美里ちゃんと麗奈ちゃんっ! それは言い過ぎじゃない」


 車内の重い空気に耐え兼ねたのか俺を可哀想と思ったのか、はたまた両方なのかわからないが、大江が二人にやんわりと注意をする。

 いいぞもっとその毒舌娘に言ってやってくれ。


「事実なのだから仕方ないわ」

「そうそう。本当のこと言っただけだから絵美里何も悪くないもん」


 大江の注意にも何処吹く風の神領と鶴舞。

 誰かー、この二人の言葉にオブラートを包んでくれー。誰でもいいからー。


「わ、私は何とも思いませんよ楢崎さん。狭くもないし、臭いもそんな全然」


 大きな身振り手振りで必死にフォローをしてくれる大江。大江は推しのアイドルさえ絡まなければとても良い子だな。


「本当に? 唯花」


 大江のフォローで少し元気になりかけていると、今まで外を見ていた神領の鋭い目が大江を見つめる。


「ほ、本当だよ。だって楢崎さ――」

「唯花」


 大江の言葉を遮った神領の声はお母さんが自分の子供を叱る時の優しい慈愛に満ちたような声だった。

 そんな神領の声を聞いた大江は少し考える素振りを見せた後、笑顔で頬を指で掻きながら答える。


「………………ごめんなさい、ちょっとだけ狭くて臭いかもです」

「素直でよろしい」

「何もよろしくねえよ」

「ちょ、ちょっとだけですちょっとだけ」


 もう嫌だ。部屋が豚小屋みたいに汚い人に車内が汚いと言われた。

 さっきまでの必死なフォローはなんだったのか。再び俺の体からどよーんとした負の感情の空気が発生し、車内を満たし始める。


「で、でもでもー分からないですけど、男の人の車ってこんな感じじゃないですかー」


 大江が撃沈し車内に負の空気が充満している中、鳴海が突破口を開いた。


「私も兄の車に乗った時はこんな感じでしたしー」

「そ、そうですよねっ! 櫻子姉さんの言う通りです」


 鳴海のフォローに乗っかる数十秒前まで撃沈していた大江。落ち込んだり、復活したりと忙しい子だな。

 そんな大江の頭を撫でながら鳴海が質問を投げ掛けてきた。


「私の兄は独り身ですが……楢崎さんも独り身ですかー?」

「まあ今はそうだぞ」


 俺の返答が期待通りだったのか大江を撫でていた手を止め、両手をポンッと叩く。


「やっぱりそうですかー。この車兄の車と同じ匂いがしたからー……独り身の人って同じ匂いがするのかしらー」

「そうそう独身の人って同じーーん? さ、櫻子姉さん」


 大江が何か不穏な空気を感じるがすでに時遅し、鳴海は止まらない。


「それじゃあ女性の誰かを乗せるんじゃなくて、これからも男性の方しか乗らないんですよねー。ならちょうど良いと思いますよー」

「………………そうだよな。どうせ俺なんてこの先死ぬまで独身なんだ」


 俺の恋人は仕事だから別に彼女とか欲しくないし、全然寂しくない。それに本気を出せば彼女なんていつでも作れるし。

 まあただ鳴海の言葉はちょっとだけ胸に響いたというか涙腺にきたというか…………うぅ。


「さ、櫻子姉さんっ!」

「え、え~~。わ、私何か悪かったかしらー」

「気づいていないのが櫻子らしいわね」


 傷つけられた俺は放って置かれ、後部座席では家族の噺で盛り上がり始めた。


「楢崎さん楢崎さん」

「どうした北本?」


 後部座席がうるさい中、助手席で静かに座っていた北本が口を開く。


「車をくるくる巻くというのはどうでしょうか?」

「はははー車は巻けないぞ」

「おお素晴らしいツッコミ……勉強になります」


 そう言うと北本はどこからともなくノートを取り出し、メモを書き始める。北本とのやり取りはこの俺への当たりが厳しい車内で癒しになった。

 もう少しで目的地に到着するがわいわいと盛り上がっている車内。

 ………………大丈夫だろうか。

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