第129話 大事なのは勇気だぜ

 家が近い。それはすなわち帰り道がいっしょになるということで、琴音は今日も千尋と同じ電車に乗り、同じ駅で降り、並んで同じ道を歩く。


「――なぁ、」


 辰守たつもり駅前の角を曲がって十メートルほど進んだあたりで、千尋が唐突に口をひらいた。


「小清水ちゃん、ちょっと様子変じゃなかったか?」


「む……」


 否定しようとした琴音は、しかし意味のある言葉を紡ぎ出すことに失敗して口を噤む。


 千尋の指摘は実際、琴音もなんとなく感じていたことだった。


 どこか会話の受け答えが落ち着かないし、目でも合おうものならすぐさまサッと逸らされてしまう。会った当初に抱いた「小動物っぽい子」というイメージどおりと言えなくもないが、遠慮なんて存在しないかのようにグイグイ距離を詰めてきたこれまでを思えば、やはり今の由那は普通ではない。


「アクアマーケットの後くらいからだよな。コト、イベントのとき何か言ったんじゃねーの?」


 千尋の口から核心的な問いが飛んでくるのを、琴音はバツの悪い思いで聞く。


 アクアマーケットで何があったか。思い当たることといえば、由那からプレゼントされたコウタイ型のブローチを見て不覚にも泣いてしまった件である。


 正直に話すのは憚られた。


 かつて飼っていたコウタイ――ホクトを助けられずに塞ぎ込んでしまったとき、千尋にはずいぶんと心配をかけた。わざわざあの日々を思い出させるのは忍びないし、ついでに言えば今更泣いてしまったことを知られるのは自分的にも避けたい。


 だが一方で、うまいごまかし方を思いつかないのも事実だ。


 幼馴染。腐れ縁。関係をどう表現するかはともかく、こちらのことを親の次によく理解しているのは間違いなく千尋なのだから。


 果たして案の定と言うべきか。


 琴音が何らかの言葉を捻り出すよりずっと早く、携えた通学鞄へと千尋が視線を当ててきた。


「――それ、小清水ちゃんからだろ?」


 もちろん、そこには渦中のブローチが張りついているのだった。


「わかるぜ。あの日はコトの誕生日だったし、小清水ちゃんの性格から言やプレゼント贈らないわけがねーだろうし、アクアマーケットで探そうってのはあたしらも考えたことだったし」


「……その節はどうも。おまえと翠園寺さんがくれたやつ、ちゃんと部屋に飾らせてもらってるからな」


 ちなみに、千尋と莉緒からの誕プレはアクリル製のスタンドフィギュアであった。やはりアクアマーケットで調達した品だそうで、普段アクリル水槽のオーダーメイドを請け負っているメーカーが遊び心を発揮したものらしい。熱帯魚を擬人化したと思しきキャラクターがプリントされているのだった。


 そして琴音は、千尋の推測を否定しなかった。


 ここでごまかしてみたところで、由那本人に直接確かめられてしまったら結局知られることだからだ。


「小清水ちゃんにホクトのこと話したのか?」


「もらった後でだけどな。由那がこれ選んだのは偶然だ」


「マジか。運命的っつーか何つーか」


 半ば呆れるようにこぼした千尋がじろりと目を合わせてくる。


「んで? そんとき何言ったん?」


「……由那が特別だって話を」


 琴音は大いに説明を端折った。嘘をついたわけではなく、それでいて都合の悪いことを明かさずに済ませられる絶妙なライン。


 しかし千尋にとっては、どうやら今の一言だけでも何事かを察するには余りある情報だったらしい。


「いや、それだわ」


「それって……あのな、繰り返すようだけど私はべつに深い意味で言ったわけじゃ」


「おめーマジでそういうとこだぞ」


 千尋の眼光に含まれる呆れの割合が「半ば」から「全部」に変わる。


「なんだな……コトがいろいろ慎重にやりたがるタチだってのはわかってるし、あたしがアレコレ口出しすんのもそれはそれで違う気がするから黙っとくけどさ。もーちっとポジティブに考えてもいいと思うわ、自分の気持ちにしても小清水ちゃんの気持ちにしても」


「ポジティブ? ……すまん、言ってることがよくわからん」


「コトが自分で思ってるよりもいい関係に見えるってこった。……まー、たぶんコトだけじゃなくて小清水ちゃんにも言える話なんだろーけどね」


 語りながら歩みを進めるうち、帰路もいつしか終わりに差しかかっていた。冬の太陽は家々の屋根の向こうに沈みつつあり、薄暮の中で琴音はぐっと歩速を落とす。


 自宅の門前であった。


 千尋の家はすぐ隣だから、もう少しここで話していっても彼女の帰りが遅くなる心配はなかったろう。それでも千尋は別れることにしたようで、琴音に数歩を先んじたところで同じように足を止め、くるりと振り返って笑顔を見せる。


「大事なのは勇気だぜ。――たぶんな」

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