第77話 よっぽど好きになったのね
他の多くの街においてもそうであるように、亜久亜市の中心市街地もまた、駅を挟んでその性格をがらりと変える。西口側がオフィスビルや庁舎の並ぶビジネス街なら、こちら東口側に広がっているのは繁華街だ。規模としては――まあ、都市とは言えるけれども都会ではない街のそれ、といった具合だろうか。
「――いやぁ、しかし」
いま小清水が座っているのは、駅東口前に居を構えるカフェのテラス席だ。ストリートの喧噪を横目で眺め、咥えたストローで透明カップ入りのドリンクをくぴくぴと口に運びながら、対面する二人のクラスメイトと雑談に花を咲かせている。
「こうやって由那っちと遊ぶのも久しぶりだねぇ。ゴールデンウィークにカラオケ行ったのが最後だっけ?」
こちらの答えを待たぬまま、蟹沢理沙は手にしたドリンクをずぞぞぞぞと啜った。白茶色の液体に乗った黒いタピオカの粒がストローを通って、薄く締まった唇の奥へと消えてゆく。
「この頃よくA組に行っているようだけど。もしかして、さっきLANEで話してたのも?」
メガネのレンズ越しに投げかけられた海老名詩乃の視線が、小清水のスマートフォンを一瞬捉えた。
小清水は頷いて、
「うん、巳堂さんからだったよ。休みに入ってからはあんまり会えてないんだけど、元気そうだった。このへんのおすすめスポットも教えてくれたよ」
「巳堂さん……?」
知らない人ね、と詩乃は眉根を寄せる。
「理沙、わかる?」
「いんや。……あーでも、ちっひとよくツルんでるヤツがそんな名前だった気もするな。直接会ったことはないけど」
「ちっひ?」
「天河千尋。詩乃が図書委員の仕事でいない日とか、ウチ体育館でバスケやってんだけどさ。あいつに入ってもらったりしてたよ……そういや最近来ないなあいつ」
「ああ、その人ならこのあいだ委員長といっしょにいた気がする。あんたとも委員長とも知り合いって、どんな繋がりなのかよくわかんないわね」
「どーゆー意味だそれ……まぁウチと委員長じゃタイプ違うのは認めるけどさ。ちっひとだって繋がりもなにもフツーに別口だろ。――つか、もしかして由那っちとも知り合いだったりしない? 前に話してるとこ見たような覚えがあんだよね」
小清水は笑った。友達の友達が自分とも友達だったパターンは珍しい。まさかこんなところで千尋の顔の広さを再認識することになろうとは予想だにしなかった。
「巳堂さんと天河さんはアクアリウム仲間なの。巳堂さんに教えてもらうことになって、その関係で天河さんとも仲良くなったんだ」
「「アクアリウムぅ?」」
二人の声が見事にハモる。
「――ってーと、あれか? 魚とか飼うやつだっけ?」
「小清水さんって水槽が趣味だったのね……全然知らなかったわ」
「趣味だったっていうか、趣味になったんだよ。わたしが飼ってるのは『テトラオドン・ミウルス』っていうお魚さん」
小清水はスマホを再び手に取って、アルバムアプリを起動させた。
最も新しいのはつい先刻ここで撮ったばかりの一枚だが、それだけ除けば残りの容量はほとんど水槽の写真で埋まっている。もちろん写っているのは風船めいた赤褐色の魚――テトラオドン・ミウルスだ。
画面を覗き込んだ理沙が「おお」と唸る。
「おもしれぇ顔してんなぁ。これってフグか何か?」
「フグだよ。アフリカの川にいるんだって」
「川っ? マジか、フグって海の魚だとばかり思ってた」
「あはは、わたしと同じこと言ってる」
魚を引き取ったのは期末テストの前だったはず。あれからまだ一ヶ月と少ししか経過していないと考えると、不思議な気持ちが湧いてくるのを止められない。
ショップの生体コーナーで一目惚れしたこと――
お迎えのために環境を整えたこと――
皆といっしょに白点病に立ち向かったこと――
うめぼしと名前をつけたこと――
生き餌の確保のためガサガサに行ったこと――
たった一ヶ月と少しの間にいろいろなことを経験した。もう随分と懐かしく感じる。大変なこともあったけれど、どれも喉元を過ぎた今となっては充実した日々であったと思う。
「小清水さん……よっぽど好きになったのね、アクアリウムが」
声に反応して詩乃のほうへと振り向くと、彼女は切れ長の双眸を柔らかく細めていた。
「魚の写真もこんなに撮ってるし、何より話しぶりが活き活きしてる。学校でも最近の小清水さんは前より楽しそうだと思ってたけど、これが理由だったのね」
返答に迷った。
教室はもとから好きなつもりだったのに、傍からわかるくらい態度に変化が出ていたのか。うすうす自覚していたとはいえ、改めてクラスメイトの口から聞かされると気恥ずかしさも湧いてくる。
「私たちもけっこう一緒にいたのにな。夢中になれることを見つけてあげられたのが隣のクラスの子だっていうのは、ちょっと悔しいわね」
「たしかになぁ。……でもあれだな、ちっひと由那っちの友達ってことは、いいヤツなんだろな巳堂ってのも」
詩乃の言葉を引き取って、理沙は屈託なく八重歯を覗かせる。よく焼けた小麦色の肌とも相俟って印象に残りやすい笑みだ。この笑顔とともに放たれる理沙の言葉は、聞く者におよそ裏表というものを感じさせない。
それだけに、小清水の心は浮き立ってやまない。
「うん、すごくいい人なんだよ」
琴音は今頃急なくしゃみに襲われているのだろうか。彼女が他人に認められることを、小清水はまるで自分のことであるかのように嬉しく思う。
スマートフォンの時刻表示へと目を配る。観に行く予定の映画の上映時刻まではまだ一時間以上の余裕がある。
「――蟹沢さん、海老名さん。飲み終わったら地下街に寄ってみない? 巳堂さんから教えてもらったおすすめスポットがそこにあるんだ」
「いいよ、チケはもう取ってあるんだし。どんなとこなの?」
「アクアショップ!」
テーブルにぐいと身を乗り出して、小清水は瞳を輝かせた。
「わたしが好きになったアクアリウムのこと、二人にも知ってほしいから!」
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