幕間一 憂い迷える子供

 一体これのどこが冷厳で冷血だというのか。ハインツは肩越しに見えた光景に呆れた。


「……散々な目にあった」


 ぐったりと、フィディールが出窓の敷居に腰掛けている。

 見れば、執務机の上の書類は散らかり、黒の上着は椅子に脱ぎ捨てっぱなし。

 普段の真面目な生活態度はどこへ行ったのやら。疲れたため息を吐く姿に、執政官としての威厳は欠片もない。警備隊員から近寄りがたいと噂されているらしい執政官様の貴重なため息を背中越しに聞き流しながら、ハインツは冷え切った軍服の袖をさすった。目の前、鎮座している鉄ストーブの扉を開けば、案の定、中の炭はすっかり燃え尽きていた。


「お前ね、少しは聞き流すことぐらいしろよ」


 そう言って、ストーブ脇のバケツから適当に石炭を取った。中へ放り込み、ぼやく。


「あの長老ジジィどもの言うことを、いちいち真に受けたり反応したりしてたらキリねぇぞ」


 そう言って、軽く唱えれば燃え盛る火が炭を包む。

 すると、がばっとフィディールが顔を上げた。やや着崩れた襟の間、ダフネの紋章が雑に揺れる。


「そもそもこうなったのは、一体誰のせいだと思っている!」

「誰って……」


 ハインツは、ふと言葉を切って考えかけ、真顔で告げた。


「お前のせい?」

 

 かちん、ときたらしい。フィディールが怒鳴ってくる。


「お前だろうが! お前が会議中に耳栓してるのが判明して、それが原因で日頃の〈盤上の白と黒〉に対する長老たちの鬱憤が爆発したんだろう!」

「つっても、耳栓がバレたのはお前のせい……」

「あ? 何か言ったか?」

「ナンデモアリマセン」


 片言で言って、大人しく火かき棒で炭を整える。カヤと同じで怒らせる後々面倒だ。素直に口を慎む。

 よほど疲れたのか、フィディールは腰掛けにも似た窓の敷居で横になっていた。ハインツの他、会議室に誰もいないのをいいことに目さえ閉じている。

 晴れた空、光があふれる窓際は陽だまりが溢れていた。瞼の裏側に光を感じているうちに、段々、うとうとしてきたのか、フィディールの表情が次第に安らかになる。


「ん? なんだこれ」


 フィディールの近くまでやってきたときだった。

 雑然と机の上に広げられた書類の一つに目が止まり、拾い上げる。今にも眠りこけそうなフィディールを放って机の端に座り、目を通そうと思った矢先。


「それは、シュエットから届いたエルス・ハーゼンクレヴァに関する調査書だ」


 見えていたのか、気配で察したか、フィディールが目元に腕を当てたまま答えてくる。


「あいつ今、古都トレーネに行かせてるんだっけ」

「ああ。というか、机から降りろ。行儀の悪い」

「ふぅん……?」


 ハインツはフィディールの言葉を右から左に聞き流すと、書類に目を通した。フィディールもそれ以上何も言ってこない。

 黒髪に青い瞳の少年の顔写真と一緒に、細かな文字が書かれている書類をざっと読み、一番下の項目にたどり着く。

 十歳以前の記録は、白紙となっていた。実の両親も不明となっている。


 ──フィディールと同じだ。


 フィディールも、十二歳以前の公的な記録が存在しない。


「……それで、お前はどう思う?」


 理由は簡単だった。

 十年前、彼が十二歳のとき、帝都カレヴァラの〈翡翠の森〉で発見されたからだ。


「……? ハインツ? 聞いているのか?」


 オルドヌング族が使っていた古トルヴァトゥール語を話すことや、本人の証言、人間種族では扱えないオルドヌング族の遺産を扱えること。その他、様々な調査の結果、帝都カレヴァラは、フィディールを四百年前に滅んだオルドヌング族の血を引く者ではないかと推定した。

 正確には、オルドヌング族ではなく、混血児ハーフらしい。

 フィディールは自分の父親が人間種族であることを、オルドヌング族の母親から聞かされているようだった。

 もっとも、ハインツとしては、本当かねえ、という心境だ。興味がないとも言う。


「おい、ハインツ?」


 ちなみに、オルドヌング族の血を受け継いでいるが、魔法はおろか法術さえ使えないらしい。

 ハインツやハインツの師が試しに教えてみたものの、才能がないというレベルではないぐらいに、一切、法術を扱うための力の源、エーテルを動かすことができないようだった。〈回帰〉の力で、法術や魔法を無効化することはできるようだが。

 いわく、魔法の才能は双子の姉が持っていってしまったらしく、フィディール本人は才能に恵まれなかったらしい。本人、口にしたことはないが、そこに劣等感コンプレックスを抱いている節がある。

 もっとも、エーテルの動きは明確に、それこそハインツ以上に知覚できているようだが。燐光が舞うような法術の構成が、はっきり光って見えていることや、エーテルが投射された結晶が透明に光っていることなど、ハインツはフィディールの話を聞いて初めて知った。

 みためこそ、フィディールのそれは人間と何も変わらないが、時折、話を聞いていると、見えている景色が自分や他の人間とは少し違うような気がしてくる。半分は人間種族で、普段、やりとりをしている分には、違和感など見受けられないが。


「………」


 と。

 音もなく、抜き身の刃の気配を感じ。

 次の瞬間、ハインツは悲鳴を上げていた。


「んああぁぁぁぁぁっ!?」


 銀閃が、いましがたハインツがいた場所を寸分の狂いもなく走る。

 とっさにハインツは机から飛び退くと、絨毯の上をごろごろと転がった。身のこなしで衝撃を受け流す途中、手をついて体勢を立て直す。


「お・ま・え・な・ぁ……」


 見れば、ハインツが座っていた机の端は、きれいに真っ二つになっていた。切り口から木目がよく見える。


「いきなり何しやがる!」


 ハインツは肝を冷やしながら、びしりと指差した。

 指の先には、起きたフィディールがたいそう危険な輝きを放つ剣を手に下げていた。驚くでもなく、すっかり目の覚めた様子で言ってくる。


「お前が呼びかけても反応しないからだろうが」

「だからって、いきなり斬りかかってくるたぁ、どういう了見だ! こないだといい、昨日といい、今といい、パパはいきなり刃物で人を斬りつけるような危険な子に育てた覚えはありません!」

「誰がパパだ!」


 噛みつきながら刃を鋭く翻し、こちらに狙いを定めるフィディール。

 ハインツはにぃっと口の端を吊り上げた。


「この十年、誰に面倒を見てもらっていたのをお忘れかな、お子ちゃま」

「どの口がほざく。最初なんかまるで僕の面倒なんて見なかっただろうが」


 フィディールが一歩前に進む。進んだついで、わなわなと肩を震わせてきた。


「むしろ面倒を見ていたのは僕の方だっただろうが。いや、後始末を押し付けられたというのが正しいか。本来ならお前が負うべき罰則から外壁掃除から書類整理……」

「そりゃあれよ。愛の鞭やつよ」

「はっ」


 フィディールが鼻で笑い飛ばした。

 怒るでもなく、やんわりと余裕な態度で首を横に振った。


「いやいや。わかっちゃいねぇな、フィディールくん。お前の忍耐力を養うべく、オレ様も心を鬼にして──」

「十年前ならともかく、今更そんな詭弁に騙されると思うなよ。単に都合の悪いことを全部僕に押し付けていただけだろうが! 何が忍耐力だ!」

「このやろ、クソつまんねぇ大人に育ちやがって。誰だ、こんな風に育てたヤツは。師匠クソじじぃか?」

 びし、とフィディールのこめかみに、怒りの四角が浮かぶ。


「ちょーちょちょーちょ、フィディール執政官様? さすがにその血を引き継いでいらっしゃるとはいえ、人間様相手にオルドヌング族の遺産なんか持ち出すのは反則だろ卑怯だろ殺す気かーっ! だから事あるごとにそれ構えるのやめろよ!?」


 ハインツは盛大に喚いた。フィディールの剣の柄頭にはめ込まれた翡翠色の宝石が、ぎらぎらと濃い光を放っている。

 剣を掲げるでもなく、フィディールは言ってきた。


「殺したぐらいで死なないだろう、貴様は」


 まずい。

 二人称がお前から貴様になっている。フィディールの堪忍袋の緒が切れる前触れだ。


「まーまーまー、落ち着きたまえっていうかすみません遊びすぎました」


 ハインツは態度を急変させると低姿勢で謝った。

 フィディールはまだ怒りの収まらない気配を見せたものの、掲げている剣を無言で鞘へ収めた。区切りでもつけるように。


 ……ハインツが言うのもどうかと思うのだが。

 怒っていても、このぐらいで済ませるあたりが、この青年は甘いのだ。






 

 執務机の上の紙片が、フィディールの手によって手際よく分類されていく。

 すっかり様になったものだ。十年前、ここに来た頃は、文字も読めずに辞書を片手に様々な書類に食らいついていたというのに。武器を扱う男の手にしては繊細な指が、ひとつひとつ紙片をめくるのを後ろから眺めながら、ハインツはぼんやりとそんなことを思い、だが口にはせず、別のことを言い出す。


「たまに思うけどよ、便利だよなあ、それ」

「なにがだ?」


 フィディール伏せていた面を上げ、顔だけ軽く振り返ってくる。

 今度はハインツが窓の敷居に腰掛けていた。斜め前に座るフィディールを──正確には、机の端を指差す。


「壊しても直せるなら、証拠隠滅し放題じゃねぇか」


 先ほどフィディールが斬った場所は、すっかり元通りになっていた。

 基本、法術で物や傷は直せない。

 だが、フィディールと、治癒の力を持つオルドヌング族の遺産があれば話は別だ。フィディールは魔法や法術こそ使えないが、オルドヌング族の遺産の力を引き出すことができる。

 おかげで彼が来てからというもの、警備隊全体の修理費が浮いているらしい。


「人を破壊魔かなにかみたいに……」

「だってその剣で、紙っぺらみたいにばかすか斬ってくるじゃん」


 彼が下げている切れ味抜群の剣も、帝都カレヴァラに保管されていたオルドヌング族の遺産の一つだ。相手の力を吸収し、蓄積し、ときに跳ね返す。蓄積できるエーテルの量と威力は、無論、法術の比ではない。全てを解放すれば、それこそ魔法に匹敵する絶大な力を発揮するだろう。

 ほとんどフィディールの私物と化したそれを使って、時々、防ぎようがない攻撃をハインツにちょくちょく仕掛けてくるので、たまったものではないが。

 言い返せなかったらしい。フィディールは否定はせず、代わりに反論してきた。


「お前たちの方が破壊規模は大きいだろうが」

「いーや、額ならお前の方が絶対上だね」

「そうか?」


 納得がいかないという風に聞き返してきながらも、話はそこで打ち止めにすることにしたらしい。フィディールが仕切り直すようにして聞いてくる。


「それで、どう思う?」

「どうって、こいつのことか?」


 ぴら、とハインツは、手に持ったままの紙をフィディールに見えるよう裏返してみせた。

 ああ、とフィディールが、頷いてくる。


「どうって聞かれてもな。んなもん、どう答えりゃいいんだ?」

「前執政官が古都トレーネの議員と癒着してることを嗅ぎつけた古都トレーネが、諜報員として彼を寄越した線だ」

「さ、わかんね」


 あっさり匙を投げる。

 途端、フィディールの切れ長の目が吊り上がった。

 こわいこわい、とハインツは大げさに怯えたフリをしてみせた。


「だって、んなもん調べたところで、どうにもなんねぇだろ。親書出してクソガキが何しに来たのかって聞いたとこで、向こうが素直に答えてくれるとも思えねぇし」

「古都トレーネが関与してるかどうかさえわかれば、交渉の余地は作れる。本国から償還命令が出れば、彼が帝都カレヴァラに留まる理由もないだろう」

「つまりあれか? ガキンチョが任務で来てるようなら、引き取りに来てもらおうってか?」

「ああ」

「なるほどね。……個人的な用事で来てた日にゃ、やっかいだけど」


 フィディールの眉間にしわが寄った。

 ハインツは、気付かないフリをして調査書をめくる。


 ──被験者の失声を確認。実験を一時中断。心因的なものと判断し、後継人であるアレクセイ・グラシアンに連絡を──


 しかし、吸い込まれかけたハインツの意識は、フィディールの声によって断ち切られた。


「一体誰が挑発したか焚き付けたか知らないが、十四歳だった少年に、上級法術士資格なんて取れるわけがないと侮るからこうなるんだ」


 顔を上げれば、既に前を向いてハインツに背を向けた状態のフィディールがぶつぶつと呟いている。

 ハインツは調査書を引き続き眺めながら、ぼんやりと口にした。


「上級法術士の資格取んのと引き換えに一切の強制力を放棄する、ねぇ。古都トレーネも大胆なこって」

「そういうのは強制力の放棄ではなく、単なる無責任と言うんだ。せいぜい、被験者からの解放する程度に留めておけばよかったものの」


 ──つまり、エルスが古都トレーネの諜報員としてではなく、個人的に帝都カレヴァラに来ている場合、古都トレーネを抜きに解決するしかなくなる。


 古都トレーネは、エルスの個人的な行動に関与できないことになっているからだ。建前の上では。


 一国家として交渉すれば、席につかざるを得ないような古都トレーネを抜きに、エルスと直接交渉して引かせられるかどうか。そこが未知数だ。最悪、実力で引かせることになるだろう。

 もっとも、古都トレーネが、エルスをこのまま放置するか、エルスとの個人的な契約を無視して帝都カレヴァラとの話し合いに応じるか。それもまた未知数ではあるが。


 ……上級法術士、古都トレーネの十三プロジェクトの元被験者、先天性異常エーテル数値保持者、おまけに、帝都カレヴァラの立入禁止区画への侵入と最高機密ティア・ロートレックの奪取。


 無視しようにも、古都トレーネも帝都カレヴァラも、完全に無視しきれない程度の肩書と問題行動をしてくれているのが、一番厄介なところだ。末端のただの法術士だったら、首を刎ね飛ばして終われるものの。


 そもそもの疑問として。

 エルスは何をしに帝都カレヴァラへやって来たのだろう。


 目的さえわかれば、話し合いの余地もある──と考えかけ、ハインツは内心で首を横に振った。帝都カレヴァラに住む者であっても、入っただけで罰せられる〈白樹の塔〉の上層区画へ侵入してくる時点で、交渉決裂しそうな予感しかしない。


「で、クソガキへの対応はどうすんだ?」


 ひょい、とハインツは荒くれた見た目とは裏腹の軽やかさで床に降りた。


「彼の目的や古都トレーネが関与しているに関わらず、こちらの状況を引っ掻き回してくれるのなら、丁重にお帰りいただくしかないだろう」

「そらあ、もう丁重にってなもんよ」



 にんまりと、口の端を上げれば、席に座ったままのフィディールが胡乱な顔で振り返ってきた。じっとりと不審な目をハインツに向け、だが、何も言わず、代わりに、ふう、と気の重そうな息を吐いてくる。


「できれば、穏便な話し合いでお引き取り願いたいものだがな。これ以上仕事を増やされてたまるか」

「増やされるも何も、お前、増やさなくても年がら年中勝手に仕事してんじゃん」

「は?」


 しまった、余計なこと言った。矛先がハインツに向かう。

 ハインツはそそくさとフィディールの正面に回り込むと、早口でまくし立てた。


「あー、でー、その増やされてしまったお仕事はなんなんでしょーか。この不肖ハインツめにお任せいただける案件でしたら、お引き受けするのもやぶさかではないっていうかあ」


 ハインツの慌てた姿を見て、溜飲が下がったというより、呆れたという方が適切だろう。

 フィディールは何か物思うように沈黙のあと、言ってきた。


「……もう一人、あの日、いたかもしれない侵入者の件だ」

「ああ」


 あっさりハインツは納得した。

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