第16話 並び立つ八犬士、互いの矜持を賭けて相搏つの巻
里美を救うために、玉梓の幽霊と戦うことをようやく決意した八犬士の前に突然現れた八人の若い美男子たち。
彼らは全員がパリッとした高価そうな着物と袴を身につけ、頭は髷を結い、重々しい大小の刀を腰に差している。十手やら小槍やらといった物騒なものを持っている者もいる。揃いも揃って凛としていて、全員がジャニーズだと言われても疑問に思わないほどのイケメンだ。
ただ、異様にみな背が低いのだけがジャニーズとは明らかに違う。イケメンたちの平均身長は百六十センチもないだろうか。遠目にはなんだか小学六年生くらいの集団に見える。
一人だけこの中では図抜けて背が高く、やや体格のがっしりした少し太り気味の男がいるが、それでも百八十センチに達するかどうかという程度だろう。
「犬塚信乃戌孝、見参!」
「犬川荘助義任、参る!」
「犬村大角礼儀、ここに!」
「犬山道節忠与、降臨!」
「犬江親兵衛仁、いざ!」
「犬坂毛野胤智、推参!」
「犬田小文吾悌順、いくぜ!」
「犬飼現八信道、参上!」
八人の時代劇風イケメンが、張りのある美しい声で一人ずつ芝居がかった名乗りを上げた。
一体誰に向かってアピールしているのかはよく分からないが、名乗るのと同時に各自が別々の決めポーズを取る姿は冷静に見たら不審者そのものだ。でも、その現実離れした時代劇のロケみたいな格好のせいか、これはそういうものなのだと自然に納得できてしまい、不思議なほど違和感はない。
一方で、剣崎家に居候している八人のダラけた若者たちは、目の前にいきなり現れたこの謎のイケメン集団を前に、一体何が起こったのかよく分からず、ポカンとした顔でその場に立ち尽くしていた。
彼らがなんとなく醸し出している勝ち組のオーラに自然と圧倒されて、鉄パイプやバットを持った手をダランとぶら下げながら、ただ侍たちの姿をぼんやりと眺めている。
突然、そんな彼らの背中側から「キャーッ!嘘でしょ⁉」というすっとんきょうな黄色い悲鳴が上がった。
塚崎 朋也たちが「え⁉」と後ろを振り向くと、さっきまで真剣な目で自分達一人ひとりを見つめながら「頼むわね」「死ぬんじゃないわよ」などと重々しく語りかけていた里美のお母さんが、夢見る中学生女子のようなキラキラした目をうるませて感動している。
「ちょっと!本当に⁉八犬士が⁉嘘でしょ⁉」
そこにはもう、娘の身を案じて憔悴しきった哀れな母の姿は無かった。その姿はまるで、ずっと憧れて追っかけをしていたアイドルが突然目の前に現れて、あまりの喜びで失神寸前になっている十代の少女だ。驚いたお父さんがお母さんの肩を支える手に力をこめたが、つい今さっきまでは不安で卒倒寸前になっていたお母さんが、今は興奮しすぎで卒倒寸前になっている。
イケメン侍たちはサッサッと機敏な足取りで一直線にお母さんの方に歩いていく。その途中で棒立ちとなっている八人の残念男子達とすれ違ったが、イケメンたちはそこに人が立っていることすら気付いていないかのように、完全にその存在を無視して横をすり抜けていくと、お母さんの周りを囲んでうやうやしくひざまずいた。
「里美殿のご母堂でございまするな?」
一見女性と見間違えるような、それでいて凛々しさを兼ね備えた爽やかなイケメンが礼儀正しくお母さんに声を掛けた。お母さんは喜びのあまり声を震わせながら、普段より一オクターブくらい高い声で答える。
「はい……。あなたは犬塚信乃……ですね?」
「御意。お初にお目にかかるというのに、我が名を覚えていて下さるとは、恐悦至極」
「そんな……全員、忘れるはずも間違えるはずもありませんわ」
そう言ってお母さんは、恍惚とした表情で、目の前にひざまずく初対面のイケメンを一人ずつ指差しては、その長ったらしい六文字以上の名前を正確に読み上げていく。名前を呼ばれるたびにイケメンは感動した表情をして、礼儀正しく「はっ!」と張りのある声で返事をしてハキハキと受け答えをする。なんとも絵になる光景だ。
お母さんは、イケメンたちが自分に対してまるで家来のようにうやうやしく接してくれるのを見て「いける!」と思ったのか、さらわれた自分の娘のこともこの瞬間だけ忘れて、南総里見八犬伝マニアの趣味が丸出しの質問を始めた。
「あの……これは私のわがままなんだけど……。信乃さん、その腰に差してるのはあの村雨丸よね?」
「いかにも。源氏重代の名刀で、ひとたび人を斬れば刀身より水が霧のように吹き出して血を洗い流すという不思議な刀でござる」
「少しだけ、見せていただけないかしら……?」
すると、先ほど犬塚信乃と名乗っていたイケメンは、女性かと見間違えるようなその優しい顔には似つかわしくないほど鍛錬された身のこなしで、すらりと腰の刀を抜いた。そして、滑らかな動きでその村雨丸と呼ばれた刀を軽々と振り回すと、お母さんの前にうやうやしく差し出した。
「マジかよ……本物のポン刀じゃねえか……」
塚崎 朋也が、ギトギトした顔に脂汗を浮かべながらボソッとつぶやいた。
「それと、皆さんが持っている玉、仁義礼智忠信孝悌の伏姫の玉も」
お母さんがそう頼むと、イケメンたちは一斉に着物の胸元に手を入れて、首から下げた守り袋を取り出し、中の玉をお母さんの前に差し出した。そこには達筆でくっきりと「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の文字が青く浮かび上がっている。不思議な事に、中の字は玉の中に浮いたように現れていて、玉が転がっても常に自分の方を向いて読めるような形で現れる。
「ちょっと待てよ!ってことは、俺たちの玉はどうなってんだ⁉ピンチになったら俺たちの玉のマジックの落書きが消えて、あの漢字が浮かんでくるんじゃねえのかよ‼」
皆崎 定春がそう叫んで、尻のポケットに突っ込んである財布を慌てて取り出した。ぐちゃぐちゃに丸まったレシートや小銭と共に、財布の中に裸のまま突っ込んでいた自分の「さ」の玉を取り出す。他の七人も同じことをした。
「里美のイタズラ書きのままだ……」
八人の玉には、里美が五歳のときにマジックで書いた汚いひらがなの「つ」「る」「ぎ」「さ」「き」「さ」「と」「み」の文字が、相変わらずくっきりと残っていた。
里美と自分達の身には、すでに十分すぎるほどのピンチが訪れている。これから、いざラスボスを倒しに出発しようといういう今この瞬間は、「本当の自分」が覚醒するのならもう、これ以上ないくらい絶好のタイミングだ。
それなのに、玉の文字は相変わらず里美のイタズラ書きのまま全く変わらない。
それもそうだろう。おそらくあのイケメン軍団が持っている「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の玉のほうが、本物の八犬士の玉なのだ。
……じゃぁ、俺たちが持っているこの玉は何なんだ?これは、里美が自分の名前をいたずら書きしただけの何の意味もない玉なのか?
でも、この玉は突然自分たちの前に現れて、手に入れた瞬間から、里美が飼っているバカなウェリッシュコーギーの声が頭の中に響いてきて、そして俺たちはその声に導かれて剣崎家に集められた。ということはこの玉だって、それなりに奇跡を起こす不思議な玉であることに変わりはない。
ただ、確かに奇跡を起こす玉ではあったのかもしれないが、少なくとも、里見家ゆかりの八犬士であることを示す玉ではなかったということだ。
つまり、「ピンチになると覚醒する本当の自分」なんてものは最初から存在しなかったのだ。塚崎 朋也は最初から最後まで塚崎 朋也であって、ピンチになったら真の力が目覚めて、イケメン勇士の犬塚信乃に生まれ変わるわけではなかった。
「嘘だろ……」
川崎 瑠偉が、希望を失った真っ黒な目でがっくりと肩を落とし、遠くにいるイケメン侍たちを呆然と眺めながら言った。ダメダメな自分たちを伝説の八犬士だと信じ、今まで何かと親切にしてくれていた里美のお母さんが、いきなり割り込んできた本物の八犬士たちに薄情にも瞬時にあっさり乗り換え、キラキラした少女のような瞳で尽きぬ話をしているのが、彼らにとってはこれ以上なく辛かった。
川崎の横では、短気な崎山 貴一が太い眉を怒らせ、突然ずかずかと割り込んできた八人の凛々しい若武者たちを、歯を食いしばりながらじっと見つめていた。
「それではご母堂。話は尽きませぬが、我々そろそろ行ってまいります。御免!」
イケメンの八犬士たちは、うやうやしくお母さんに礼をすると、一斉に振り返って歩き始めた。その動作の一つ一つが鍛錬されたサムライのもので、機敏で一分の隙もない。
本物の八犬士たちは、情けなく突っ立っている八人の残念な男たちの脇を通り抜けた。先ほどと同じく、本物の八犬士たちはまるで、そこに立っているのは人ではなくただの立ち木であるとでも言わんばかりに、男たちのことは完全無視して視界に入れようとすらしない。
「……おいコラちょっと待てやお前ら」
立ち木の一本がしゃべった。
崎山 貴一だ。
「何なんだよお前らよ。何なんだよマジで」
崎山はそう言うと、八犬士の先頭を歩いていた、ひときわ頼りがいのありそうな道士風の男の肩をガシッとつかんだ。先ほど犬山道節と名乗っていたその男は、突然肩をつかまれても全く動揺することなく、ただ視線だけをギロリと崎山の方に動かしただけだった。
そのあまりの迫力に押されて、自分から肩をつかんでおきながら、崎山はつかんだ手の力を思わず緩めた。
「そうだ!何なんだよお前ら!」
ひるんだ崎山を応援するように、今度は田崎 満が大声を上げた。
すると、犬田小文吾と名乗っていた相撲取りのような堂々たる偉丈夫が無言で田崎をにらみつけた。田崎はたったそれだけでシュンと勢いを失い、臆病な犬のように犬田小文吾から目を逸らした。
残念な男たちが、自分たちなりにふり絞った精一杯の勇気もここまでかと思われたが、ここで突然、普段は物静かでおとなしい村崎 義一郎が、腹の底から絞り出すような声で叫び始めた。
「……ああう……!何なんだぁ‼何なんだあ!」
そしてそのまま意味不明なうめき声を上げながら、目の前にいる犬村大角という実直そうな男につかみかかった。しかし、いきなり胸ぐらをつかまれても犬村大角は眉毛一つ動かさない。村崎 義一郎は渾身の力で犬村大角を突き飛ばしたのだが、まるで地面に根っこでも生えているのかというほど、犬村大角の身体はびくともしない。
「うおおお!お前らァ!」
「あああ‼」
村崎 義一郎の思い切った行動に触発され、他の七人も一斉に着物姿の凛々しい若武者たちにつかみかかった。しかし彼らは全員が生まれつき臆病で、強そうな奴らからは逃げ回り、これまでの人生で一度も他人との殴りあいのケンカなどしたことのない男たちである。勇ましい叫び声の割に、その動きはまるで、かんしゃくを起こした三歳児のようにちぐはぐだった。
凛々しい八人の美丈夫たちは、襲いかかってきた残念な八人の現代人たちの腕を取り、難なくひねり上げてあっさりと地面に組み敷いてしまった。つい先ほどまでの威勢のよさが冗談のように、残念な男たちは泥だらけの地面に顔をなすりつけられ、イタタタと情けない悲鳴を上げた。
「お主ら、何ゆえに我々に害なすのかは知らぬが、次も襲いかかってくるのであれば容赦はせぬぞ。命を粗末にするでない」
犬山道節は、左手一本で軽々と崎山 貴一の右腕を逆手にねじり上げ、組み敷いて背中の上にまたがると、空いた右手で刀の柄をポンポンと叩きながら低い声でそう言った。今回は腕の関節を極めるだけで済ませるが、次はこの刀で斬るぞ、という意味に違いなかった。その声には、戦いに慣れた歴戦の達人から自然とにじみ出る凄みがあった。
「は……はい……」
砂を噛みながら、情けない声で崎山 貴一がそう言うと、犬山道節はねじっていた崎山の右腕を開放して立ち上がった。それを見て他の七人の犬士たちも同じように立ち上がり、
「邪魔が入った。急ごう」
と言うと、何事も無かったかのように悠々と並んで立ち去って行った。
「ちくしょう……ちくしょう……」
残された八人の「自分のことを犬士だと思い込んでいただけの単なる一般人」たちは、泥だらけで無様に地面に転がりながら、ただ「ちくしょう」という言葉しか出せずに、長いことその場から呆然と動くことができなかった。
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