第11話 八犬士、晦日に宴を張り、荒天のなか行く年を惜しむの巻

「なんだか、ずいぶん立派になってきたわね、あんたらのキャンプ……」

里美は八犬士たちのテントサイトの前で、半分あきれた顔で言った。


 八犬士たちが寝泊りしている剣崎家の家庭菜園の脇の空き地には、現在四つの宿泊用テントと四つの倉庫用テントに加えて、巨大なタープテント2つをつなげて作った共用スペースが新たに追加されている。共用スペースは防寒のため四方にブルーシートを二重に吊るして囲んであり、まるで運動会や町内のお祭りの時に本部として設置される、白い三角屋根のテントのようだ。

 広々とした共用スペースの中央には屋外用の石油ストーブが置かれ、その周りをキャンプ用のイージーチェアが囲み、ゆったりと横になってくつろぐことができる。そろそろ大晦日も近く、気候温暖な富津市とはいえ寒さはかなり厳しいが、ストーブを焚いたテントの中は意外なほど暖かく快適だ。

 テントの端には、ビールケースを2つひっくり返して作った台の上に、リサイクルショップで買ってきたという中古のテレビと塚崎の家から持ってきたゲーム機が置かれている。テレビと電気の配線は剣崎家から強引に引っぱってきた。粗大ゴミ置き場から拾ってきた本棚もあり、そこには各自が自宅から持ち寄った漫画本が置かれている。


 八犬士たちは毎晩ここでゲームをしたり漫画を読んだり、くだらない話で盛り上がったりしながらダラダラと暮らしている。

 同居生活が始まった最初の頃、夕食が終わると野宿組の六人はやることが無いので早々に自分の寝床に入っていた。一方で剣崎家宿泊組の二人は、居間でテレビを見られてソファーでくつろげるので、順番が回ってきた者は他の者からうらやましがられていた。

 ところが、共用スペースの設備がどんどん豪華になり居心地が良くなってくると、剣崎家に宿泊する二人も、夕食と入浴を終えるとそそくさと外に出ていって、共用スペースで仲間達と一緒に過ごすようになった。剣崎家に戻ってくるのは寝る時だけだ。

 

 剣崎家としては、家族三人の一家団欒の中に突然ドカドカと強引に踏み込んできた八犬士達が、自分の意志で勝手に家の外に出ていってくれるようになったのはありがたいことには違いない。

 ところがいざ、いつしか家族三人と居候の犬士二人の五人で過ごすのが日常になっていた居間が、元のように家族三人で過ごす形に戻ると、それはそれで居間が急に広くなって温度が少しだけ下がるような、以前は当たり前だったはずの静けさがなんとなく落ち着かないような、そんな不思議な気持ちになるのだった。


 窓の外の共用スペースからは、一体何をバカ騒ぎしているのか、嬉しそうに大声で爆笑している犬士たちの歓声が毎晩聞こえてくる。ブルーシートの壁を透けて中の光がわずかに外に漏れ、共用スペースはまるで酉の市の提灯のように、真っ暗な畑の中にぼうっと暖かく浮かび上がっている。


「里美!こんどまた皆でバーベキューやるから来いよ!」


 無駄な金色の模様がたくさん付いた紫色のジャンバーを着た川崎 瑠偉が、そう言って里美に声をかけてきた。川崎はとにかく派手な模様がついたケバケバしい色彩の服が好みらしく、そのファッションはいつもどこか大阪のおばちゃん風味がある。


「またぁ?あんたら何回バーベキューやれば気が済むのよ?最近多すぎじゃない?」

「いいじゃんかよ、今みんなハマってんだよバーベキュー。あ、そうそう、大晦日は年越しバーベキューやるんだけどさ、お父さんとお母さんも誘って一家でどう?

 紅白見ながらバーベキューやって、それで零時過ぎて年が明けたら、バーベキューの金網でそのまま餅焼いて食べるの。すげえ面白そうじゃね?」

「何それ。紅白見ながらバーベキューって、そんなのやってる奴誰もいないわよ」

 そう言って里美は笑った。バカじゃないの、と口では言ったが、なんだか面白そうだから、ちょっと参加してやってもいいかな、と思った。


 ――ところが仕事納めが過ぎ、テレビ番組が特番で埋め尽くされ始めた頃から、この季節の関東地方にしては珍しく、大型の低気圧が接近し、大晦日から元旦にかけて大荒れの天気になりそうだという予報が出るようになった。


 一ヶ月以上の野外暮らしで自然と鍛えられ、八犬士たちは気象の変化に対する意識がとても鋭くなっている。

 雨が降ればテントの周囲はドロドロにぬかるみ、どんなに注意して出入りしても、テントの端は泥で汚れ、そこからテント内に砂が侵入してきて不愉快極まりない。風が強ければテントは一晩中不気味な音を立てて軋むので、落ち着いて眠れない。

 その日の天気が良いか悪いかだけで、まる一日天国か地獄かが決まるので、八犬士たちが天気予報を見る時の目は、いつも驚くほど真剣なのだった。


「キーチどうする?今晩の年越しバーベキュー、やる?」

「やるしかないんじゃね?食材買っちゃってるし、バーベキューやめても、どうせ今晩はみんなこの共用スペースで紅白見て過ごすんだろ?だったらさ、バーベキューやってもやらなくてもどうせ一緒じゃん」


 崎山は吊り上がった太い眉を不機嫌そうに上下させながら、バーベキュー決行の判断を下した。


 正午過ぎからすでに雨は降り始めていて、不穏な風がブルーシートを揺らし、バタバタという音が鳴っている。「あーあ。どうせなら雨風気にせずにのんびり紅白見たかったなー」と坂崎 聡がぼやいた。


 夜七時。紅白歌合戦直前の予告番組が流れる頃、ざんざんと本降りになった雨の中、お父さん、お母さん、里美の剣崎家三人が小走りで犬士たちの共用スペースの中に駆け込んできた。

「うわー!すごい雨ねー!」

「大晦日にこんな天気悪いのも珍しいわね」

「風が強すぎて、傘が全然役に立たない!」

と大騒ぎしながら、犬士たちが差し出すタオルで頭を拭いた。


「へー。すごい!こんなに立派なんだこのテントの中!」とお母さんが歓声を上げた。

 犬士達と同年代の里美は、なんだかんだ文句を言いつつも、ちょくちょくこのテントに顔を出しては、一緒にゲームやバーベキューをして過ごしたりしている。

 しかしお父さんとお母さんは遠慮して、これまで一度も共用スペースの中に入ったことがなかった。ダラダラとした怠け者のように見える犬士たちが、したたかに野宿生活を送っているのを知って、お母さんはなんとなく嬉しそうだった。


 共用スペースの中には、犬士たちが気合を入れて用意した年越しバーベキューの準備が整えられていた。中央に置かれたのは、すでに炭火がセットされたバーベキューコンロ。その脇に、肉や食材やジュース類が置かれたテーブル。

 バーベキューの道具を広げて剣崎家の三人が加わると、普段は広いこの共用スペースも若干手狭なので、場所を取るリクライニングの椅子などは畳んで倉庫テントにしまい、ビールケースをひっくり返してレジャーシートを敷いた即席のイスを人数分並べてある。


「去年の大晦日は、まさか一年後の今の自分が、住んでいたアパートを引き払って、こんな風にテントで暮らしてるなんて、全然予想もしなかった。

 あまりにも不思議な出来事が多すぎて、正直大変なことも多かった一年だったけど、でも、お前らと出会えて、こうして一緒に暮らすことができて、俺は本当に良かったと思っている。来年も楽しくがんばろう!乾杯!」


 なかなか堂々とした崎山 貴一の挨拶と共に、一同は元気良く「乾杯!」と高らかにコールして、飲み物を入れた紙コップをペコ、ペコとぶつけ合った。

 乾杯の後はさっそく肉を焼こうということになり、テレビに流れる紅白歌合戦を横目に見ながら、バーベキューコンロを囲んで金網の上に肉や野菜を並べていく。


 十代の男たちの食欲はすさまじい。あっという間に山積みの肉が消費され、豚肉の脂が落ちてコンロはもうもうと煙を上げた。

 男たちの旺盛な食欲につられたのか、里美も今だけはカロリーのことを忘れて、普段よりガツガツとたくさん肉を食べた。そして紅白歌合戦の内容について他愛のない会話であれこれと盛り上がりつつ、


――こいつら、どいつもこいつも、一対一で話してるとホント馬鹿で不潔で不愉快な最低男なのに。なぜかこうやって八人全員でワイワイ盛り上がってるのを見てると、不思議とこっちもなんとなく楽しくなってくるのよね。一体なんなのかしら――


なんてことをぼんやりと思っていた。最初は本当に不愉快でしかなかったこの共同生活も、そんなに悪くもないかもね……

 認めたくはなかったが、里美の中にそんな感情がかすかに芽生えつつあった。


「なんか、風も雨も大変なことになってきたわね……」

 紅白歌合戦も第二部の後半にさしかかり、一同も満腹になって、下火になったコンロの炭が何も乗っていない黒焦げの金網を空しく炙っていた。お母さんが不安そうにバタバタとゆれる壁のブルーシートを見つめながらそう言った。


 肉の焼ける音が止んで静かになると、今まで全く気が付かなかった外の風の音と雨音が、急に耳に入ってくるようになった。

 壁のブルーシートがバタバタバタと風にあおられる勢いが、確かに尋常ではない。タープテントのアルミポールがギシギシ、ギシギシと軋む不安な音が絶え間なく続く。よく見ると天井のビニール布が、あまりに大量の雨をさばききれず、端のほうからわずかに水が染み出し始めている。


「ちょっと、これ、やばいかもな」

「撤収しよう。まずはコンロの炭火を何とかしなきゃ」

「風で飛ばされないように、ポールの足を何か重い物に縛りつけたほうがよくね?」

「急ごう。これはマズイかも」


 今さらながら外の悪天候の深刻さに気が付いた一同は、急に我に帰ったように冷静になり、年越しののんびりムードも消えて一斉に片づけを始めた。テレビでは大物歌手が外の悪天候など全く無関係な満面の笑顔を浮かべて、往年のヒット曲を熱唱している。


 ゴフッ。その時、ひときわ大きな突風が吹いた。

 タープテントが倒れるのは一瞬だった。


 鈍器で殴られたような音と共に、壁のブルーシートがブワッと大きくめくれ上がり、そのすき間から横殴りの大きな雨粒と真冬の鋭い冷気がなだれ込んできた。タープテントを支えていた細いアルミポールが衝撃でぐにゃりと簡単に折れ曲がり、支えを失った天井が、たるんだ布地の上に溜まった水と共にバシャーンと地面に崩れ落ちる。柱に吊るしていた照明用のランタンが地面に落ちてフッと光が消え、テント内は一転して真っ暗になった。


「やばい!テレビとゲーム機がやばい!」

「それよりも火!コンロ!」

「とにかく何でもいいから、家の玄関まで持っていけ!避難だ!」


 頭が真っ白になった一同が、反射的に自分が思いつくベストの行動を、てんでばらばらに始める中、柱が折れてバーベキューコンロの上にかぶさったタープテント天井のビニールシートが、雨に濡れても熱を保っていた炭火の熱で溶かされ、ぶすぶすと音を立て始めた。


「テント!テントやばい!早くどけろ!コンロからどけろ!」

「テレビ!ちょっとテレビが濡れてるよ!」

「触るなッ!感電やばい!感電やばい!まず家のほうのコンセント抜いてからだ!」

「ああああっ!」


 凍りつくような十二月の夜半の雨が、ざんざんと横殴りに八人の犬士たちと剣崎家の三人の体に容赦なく叩きつけられ、一同の幸せな体温をあっという間に奪っていった。


 幸せからいきなりどん底に叩き落された、八人と三人の最低な大晦日の夜をあざ笑うかのように、雨にずぶ濡れになった液晶テレビが、紅白の大トリを務める人気アイドルグループの陽気な歌声を暗闇の中で煌々と流し続けていた。

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