第31話「想いを強さへ変えるもの、あいり」

 ――東京ユグドラシル。

 今や本物の世界樹へと成り果てた、この建造物の本来の名称である。東京全域のあらゆる端末を補佐、補強するために立てられた、超弩級演算装置ちょうどきゅうえんざんそうち……実に、高さ5,000mもの巨大構造物だ。

 その中で階段を駆け上がる阿南宗一アナミソウイチは、疲労に全身が気だるい中で走った。

 拡張現実オーグメンテッドリアリティに潜む不可視の信号が、サブリミナル効果で宗一の肉体を強化、苦痛を取り除いてくれている。それでもやはり、限界を超えた運動量に息が切れてきた。


「ハァ、ハァ……今、何階くらい、だ? おい、千依チヨリ! 大丈夫か!」


 ゲームのキャラクターとしては、そんなに強くないレベルの水瀬千依ミナセチヨリがふらついている。

 先程合流した仁科要ニシナカナメも、少しキツそうだ。

 そんな中、元気なのはメイド長こと小鳥遊華梨タカナシカリンである。


「だらしがないですね、阿南先生。要さんもなんですか。そんなことでは、御嬢様おじょうさまをお助けできません……精進しょうじんが足りませんね」

「参ったなあ……華梨、君さ。このゲーム、そうとうやりこんでるでしょ」

「要さん程ではありません。ただ、わたくしはあいり御嬢様のためを思えばと登録を。そして! メイドとは一に体力、二に体力! 三、四も体力、五に体力です!」

「……僕は運転手だからさ、その……身体を使うのはどうも苦手で」


 宗一はアイテムを実体化させ、千依に飲み物を飲ませてやる。

 ハンティング・ファンタジアの世界を再現しているとはいえ、実際にテクスチャを貼られて動く宗一達は生身の人間だ。いくらサブリミナル効果で強化されていても、とうとう身体が悲鳴をあげはじめている。

 こんな時に限って、背の抜けない魔剣ダインスレイヴが重い。

 だが、こんな状況で宗一は予感が芽生えるのを感じた。


「あのっ、華梨さん!」

「はい。なんでしょう、阿南先生」

「あ、その前に……宗一で、いいです。なんか、先生って恥ずかしくて」

「……わかりました、宗一さん」


 きわどいスリットの武道家が、長身に腕組みで階段の上から見下ろしてくる。

 いやでも巨乳が強調されて、思わず宗一は目を逸した。

 だが、自分の中で仮説が組み上がりつつある。

 それを教えてくれたのは、目の前の華梨と要、彌勒寺みろくじ御屋敷おやしきの二人組だ。


「華梨さん、そして要さん……ゲームの中でのレベルを教えてもらってもいいですか?」

「レベル、といいますと……」

「あ、ほら、華梨。簡単に言えばゲームのキャラクターの強さだよ。ちょっと待ってね。確か、こうすれば」


 要の方がどうやら、ゲームの要領がいいようだ。

 彼女は視線を外して、虚空こくうに自分だけが見えるウィンドウを呼び出す。その数値を読み取って、宗一に教えてくれた。

 思った通りで、ゲームと化した現実との整合性が取れていない。


「華梨がLvレベル8で、僕がLv17だね。……因みに宗一君は」

「俺はLv80を超えてます。因みに、千依がLv32……ってお前、そんなにゲームしてたのかよ! ま、まあ、これでだいたいわかりました」


 千依はすでに階段にへたりこんでいるが「いーじゃんか、もぉ」とくちびるとがらせた。

 そして、全員を見渡して宗一は自分の考えを整理しながら話す。


「あくまで仮定の話ですが……この、拡張現実で東京を飲み込んだハンティング・ファンタジアは、ゲームのようでゲームじゃない。なにか、


 先程、アーマードラゴンに遭遇した。

 あれは、比較的難易度が高いモンスターで、攻略にも知識や経験、なによりキャラクターのレベルが必要になる。それを、目の前の華梨と要は二人だけで倒してしまった。

 ちょっと、考えられない。

 不可能とはいわないが、非常にラッキーだと言える。

 そして、ただの幸運には思えないのだ。

 二人共、装備品や所持アイテムにレアリティの高いもの、高性能なものは見受けられない。だが、少なくともLv70前後の強さで戦っていたように宗一には見えた。


「つまり、僕達の今の強さが、実際のゲームのデータと噛み合っていないんだね?」

「そうです。お二人の強さは、俺とそこまで差がないように見えたんです。だから――」


 だが、みなまで言うなとばかりに、クイと眼鏡めがねを押し上げ華梨が言葉を遮る。彼女はいつもの玲瓏れいろうな無表情で、さらっとこっ恥ずかしいことを言ってのけた。


「これは、そう……わたくし達があいり御嬢様をおもう力! 気持ちの問題です! 気合ですわ!」

「……あ、はい」

「なんですか、宗一さん。そうでなければ説明がつきません。でも……こうして身体を動かす方が、コントローラーを握っているよりやりやすいですね。わたくしはメイド長であると同時に、御嬢様の警護役ボディガードでもあるのですから」


 とりあえず、華梨の常軌を逸した格闘能力の正体はわかった。

 そして、ようやく落ち着いた千依も話に加わってくる。


「それ、なんかわかる! アタシさ、さっきバカやったけど……宗一達の敵になっちゃったけどさ。妖精のあいりが来てから、アタシがアタシじゃなくなってから……抑えてた憎しみが、そのまま力になった気がしたもん。恨みパワー? みたいな?」


 そう、千依は凶悪なモンスター、悪魔の化身となって暴れていた。

 それもやはり、宗一の仮説を裏付ける根拠の一つである。

 つまり、このハンティング・ファンタジアでは、アカウントを持っている人間だけが冒険者となって戦っている。ただそれだけではない、それ以上の意味があるのだ。

 そのことを語ろうとした、その時だった。

 不意に立ち上がった千依が走り出した。


「お、おいっ! 千依!」

「みんな、こっち! 今、あいりが……あいりがいたっ!」


 階段を駆け上がる千依の言葉に、宗一も慌てて追いかける。

 明らかに自分とは疲労度の違う二人、華梨と要も続いてくれた。

 東京ユグドラシルはすでに、つたが覆う中で見知らぬ草花に沈んでいる。それ自体がもう、外から見ると巨大な世界樹そのものになっているのだ。

 階段を走って、数フロア程上がると……千依は次の階段ではなく、開けたホールのような場所へと消えた。


「千依っ、危ないから単独行動すんなって!」

「見て、宗一! あいりだよ」


 そこには、あいりがいた。

 また、妖精の姿だ。

 言葉を発することもできずに、背の四枚の羽根はねを震わせ飛んでいる。わずかに透けて見えるのは、情報量が不安定なのか、それとも解像度が限界なのか。

 妖精のあいりは、そっとフロアの奥を指さした。

 それを見て、華梨が慌てて駆け寄る。


「御嬢様! あいり御嬢様……ああ、おいたわしや。だからいつも、言って聞かせてますのに。ちゃんとメイド達の言うことをきくように、って……でも、ご無事、なんですね」


 華梨の伸ばした両手の上に、小さなあいりが降り立った。

 まるでこぼれる清水しみずをすくい上げるようにして、その場に華梨は崩れ落ちる。安堵あんどの気持ちに涙さえ浮かべるその姿はもう、冷たい印象のメイド長ではなかった。

 だが、消えそうなあいりの、その明滅めいめつする感覚が短くなってゆく。

 やはりこの状態では、満足に自分の分身を維持できないようだ。

 そして、宗一の考えに近い言葉を、不意に千依が叫んだ。

 同時に、周囲に敵意が満ちる。


「千依ちゃん。宗一君も。モンスターみたいだ……華梨! さあ、立って! まだ、あいり御嬢様を救い終えてない。この建物にはきっと、旦那様だって!」

「そうですよ、華梨さんっ! アタシ、わかるんです……今、わかったんです! そのあいりをアタシに! ねえ、あいり……今度こそ、変えて! アタシの、本当の気持ちを! 力じゃなく、強さに!」


 ひび割れた床から次々と、モンスターが浮かび上がる。

 やりを身構え皆を守る要の背後で、ゆっくりと華梨が立ち上がった。

 そして、千依は小さなあいりにそっと触れる。

 瞬間、まばゆい光が彼女を包んだ。


「――っ! ……やっぱり。あいり、このゲームは……そう、なんだね。ハンティング・ファンタジアのデータである以上に、気持ちの表現なんだ! だから、アタシはあの時!」


 千依の姿が、純白の熾天使セラフへと変わる。その身体が大人びて優美な起伏を象り、露出の激しい金色の衣は背に翼が生えていた。

 驚き見惚みとれながらも、宗一も確信した。

 やはり、異変の中では気持ちや想い、メンタリティが大きく作用している。

 それは、千依の恨みを悪魔に変え、今また彼女の祈りと願いを御使みつかいへと昇華させた。

 千依は手にした弓に矢をつがえながら、叫ぶ。


「宗一っ! あいりがまだなにか……見て!」


 あいりは最後に、奥を指差して消えた。

 同時に、チン! という音が鳴る。

 見れば、開けたホールの向こう側でエレベーターが動いている。その扉が開いたのが見えて、宗一は走り出した。

 だが、三人の仲間達はそんな宗一を背にかばって身構える。


「千依っ! 華梨さんも、要さんも!」

「いいから行きなさいよ、宗一っ! ……アタシがキューピット、やってやるって言ってるんだから」

「な、なにを」

「行って! 華梨さん、要さん! いいですよね……宗一のくせに、こういう時って頼れちゃうから! あとは宗一にたくしても、いいと思うから」


 頷く二人と千依とが、絶叫する殺意の中へと飲み込まれていった。

 モンスターはどれも高レベルで、ベテランプレイヤーの宗一でも手を焼きそうな面々だ。だが、仲間達は臆することなく戦いへと飛び込んで、宗一を追いかけるモンスターを次々とほふってゆく。


「あれに乗れっていうのか、あいり……すみません、俺……俺っ! 行きます!」


 宗一は振り返らずに走った。エレベーターへと駆け込んで、ボタンを操作し扉を締める。

 細くなってゆく死闘の風景は、そのまま鋼鉄の扉へと遮断されて消えた。

 うなるような振動で、エレベーターは最上階へと昇り始めていた。

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