第38話 再会

「先輩、今日も山に滑りに行くんですか?元気ありあまってますねー」


「お前とは体の鍛え方が違うんだよ。それより、後のことは任せたぞ」


「そりゃもちろん。バッチリ仕事は引き継ぎましたからね。でも、やっぱ寂しいですよ。これで先輩が仕事終わりだなんて。定年退職にも程遠いでしょ?」


「じきに50だよ。十分だろ。人生50年、下天のうちをくらぶればっ、てな」


「信長ですかい。今は人生80年の時代ですよー」


「そりゃそうだけど、言っただろ?俺には行かないと行けないところがあるから辞めるんだよ」


 事務所を出ようと、玄関のドアに手をかける。長年一緒に働いたみんなが、俺を見送ろうと玄関へと集まってくる。


「先輩、これみんなからの餞別です。花とかよりこっちの方がいいでしょ?」


 笑いながら後輩が渡してきたのは、小分けに包装されたチョコレートだった。それぞれ手書きのメッセージが袋に書かれていた。


「みんなで、心を込めて用意したんですからね。山で味わってくださいよ」


「…あぁ、ありがとう」


 俺は頭を下げ、感謝の言葉を伝えた。会社のみんなも、それぞれが俺に別れの言葉をかけてくれた。


 あの雪山での事故から、20年以上。俺はこの会社で働いてきた。仕事としては、山の保全や、山岳ガイドが主で、冬はスキー場でのインストラクターなど、山に広く携われる会社だった。

 

 雪崩に巻き込まれた俺だったが、幸い体は5体満足で雪崩から掘り出され、長いこと昏睡していた事を除けば、後遺症もなく元気に回復し、日常生活に戻ることができた。


 雪崩に巻き込まれ意識がなくなったことは覚えている。だが、不思議なもので、目を覚ますまで、随分長い夢を見ていたような気がしているが、臨死体験、とでもいうのだろうか。はっきりと思い出せないが、とても楽しい夢だったという印象だけは強く残っていた。


 美しい村の景色、優しい村人、素敵な女性。できるなら、ずっと見ていたかった夢だった。


 だが、日常生活に戻れば、日々の生活に追われ、そんな夢は頭の隅へ隅へと追いやられていった。忘れたくはない大事な記憶のような気がするが、どうしてもうまく思い出せない。


 事故から回復した俺は、大学へと戻り、無事卒業し、事故が起きたあの山の近くにあったこの会社へと入社した。事故に懲りもせず相変わらず山や雪が好きで、山に関わる仕事をしたかったからだが、他にも理由はあった。


 どうしても、あの山から離れたくなかったんだ。仕事でも山には入るが、休みの日も山へと入り、記憶のかけらでも探すかのように、あてもなく山を歩き回っていた。


 そんなある日のこと、不思議な光の玉が突然現れたかと思ったら、俺の頭に直接語りかけ、記憶を思い出させると言われた。


 はじめは、夢で見た記憶の中の村の景色だった。朧げな記憶の村が鮮明に思い出され、次に、そこで俺は大事な何かをそこに残してきたことを思い出し、涙がとまらなくなった。


 光の玉は、また時期が来たら会いましょうと、姿を消してしまったが、人生の節目を迎えるたび山へ入ると、姿を表しては、記憶を俺に取り戻させていった。


 彼女ができた時、その彼女と結婚の話が出た時、夢の中で大切な人を残してきた事を思い出し、結婚する気がなくなり破談になった時、両親が寿命で亡くなった時、などなど。


 今では、夢の中での出来事は全て自分が経験してきた事だと、完全に理解をしている。しているからこそ、俺は仕事を辞めたのだ。姫神村へ帰るために。


 山の麓に辿り着き、スノーシューを履き、ストックを両手に構え、冬の姫神山へと入っていく。


 山へ入ってしばらくすると、光の玉がふよふよと近づいてきた。


「いやいや、どうも。お仕事お疲れ様でした。長いことがんばりましたね」


「なんてことないですよ、上役さん。お陰様で、いい人生を送れたと思います」


「それはよかったです。でも、ごめんなさい。まさかこんなに若くして寿命を迎えてしまうとは、想定外でした」


「それは、仕方がないと思います。それに、本来であれば死んでいた命。これだけ余計に長生きできたと思えば、むしろありがたいと思いますよ」


「まぁ…なんと器の大きな人になったのでしょう…」


 上役さんはどこからともなく引っ張り出したハンカチで、顔を拭う仕草をする。顔もなければ涙も流していないはずだが。


 一歩一歩、歩みを進めつつ、俺は栄養補給に先ほどもらったチョコを口に入れていく。包装に書かれたメッセージに心が暖まっていく。包装紙を綺麗に折りたたんで胸のポケットへと仕舞い込みながら、俺は記憶を遡る。つい、数年前の話だ。上役さんが明らかに元気がなさそうに現れたことがあった。理由は、俺の寿命のことで、ずいぶんと落ち込んでいたらしい。


 本来であればまだまだ長生きできたはずだが、魂の尾が切れかけたことが原因で、寿命が大幅に短くなってしまったそうだ。当の俺は、実はそんなに気にしてはいなかったのだが。村での記憶をある程度取り戻していた俺は、正直、村へと帰りたい気持ちもあったのは嘘ではない。だが、事故の一件以来、俺は毎日今日が最後の日と思って生きてきた。だから、寿命が近いと分かっても、まだそんなに生きれるのかと、得した気分でもあったし、ようやく長い旅が終わるような、どこかほっとした気持ちもあった。


 姫神山の山頂へと登り、景色を見渡す。見渡す限り白銀の世界。美しい。やはりこの世界は美しい。


 装備を変え、バックカントリーの用意をする。スノーシューからスノーボードへと履き替え、山を滑り降りる。舞い散る雪に陽の光が輝き、キラキラと光る。雪煙を上げ、ラインを刻み、滑り降りていく。これが俺の最後の滑りだ。


 滑り降りた先は、俺が雪崩に巻き込まれた場所だ。ここからさらに、山深くへと入っていく。実は、この雪崩の起きた場所の近くに、かつての姫神村は存在していたことを上役さんから教えてもらった。寿命を迎え、村へと帰るためにだ。


「上役さん、寿命を迎えて死ぬのってどんな感じなんですか?苦しくない死に方だといいんですけどね」


「天寿を全うするのですから、苦しみはありません。眠るように、最期を迎えます。安心してください」


「それはよかった。じゃあ、どこか眠気があるのは、いよいよってことなんでしょうか?」


「おそらくは…」


「なるほど、では急ぎますか」


 上役さんの案内で、どんどん山の奥へと入っていく。おそらく、ここまで山の奥深くへ入れば、誰も俺の遺体を見つけることはないだろう。俺は身も心も山へと還るのだ。


 上役さんが、ふよふよと宙で漂い、進まなくなった。どうやらこの辺りらしい。


 俺は、荷物を下ろし、最後のチョコを口にする。冷えて固くなっているが、口の中で次第に溶け、甘さが広がっていく。

 

「上役さん、ずいぶんと眠くなりました。心地いいくらいの眠気です」


「そうですか…」


「上役さん、色々とありがとうございました。お陰様で悪くない人生を送れたと思います」


 上役さんは、光の玉から、人の姿へと変わった。神々しい綺麗な着物を着た美しい女性の姿。村で見たあの時の姿と同じだ。


「今生、誠にお疲れ様でした。じき、あなたの魂は肉体から抜け出ます。迷わぬよう、私が村へと案内します。安心して眠りなさい」


 懐かしあい、上役さんの優しい微笑みだ。俺は頷き返し、荷物を枕に、雪原に横たわる。あぁ、とても眠い。瞼がどんどん重くなる。今際の際になって思う。もう少し生きても良かったかもしれないと。


 村にいた時は、あんなに生きることにビビっていたはずなのに。こんな事を思えただけでも、少しは成長できたのだろう。


 悪くない人生だった。


 体の力が自然と抜けていき、瞼が下り、世界が暗くなる。だが、暗いのは一瞬だった。完全な静寂と闇の後に、瞼を貫いて光を感じた。瞼を開くと、あたりは雪が消え、草花が生えていた。暖かな風が吹いている。まるで春の陽気だ。


 草を踏む音が聞こえてくる。その音はどんどんと近づき、ついに俺のそばへと辿り着いた。


「こんなところで、寝ていたら風邪をひいてしまいますよ」


 声をかけてきた女性は、夢に見た、美しい女性だった。ずっと会いたかった、村に残してきた最愛の人。


「あんまりにも気持ちがよくてね、寝ていたよ。ただいま、サクラ」


「…おかえりなさい。待ってたよ」


 手を差し伸ばすサクラの手を取り、体を起こす。サクラは目を赤くし、涙を湛えている。


「せっかくの美人が台無しだな。さぁ、村に帰ろうか」


 サクラは静かに頷く。俺はサクラの手を取り、村へと歩みを進める。


 さて、何から話そうか、この日のために、俺は人生色々と味わってきた。嬉しいことも悲しいことも、辛いことも、色々と。サクラはどんな顔して聞いてくれるだろうか。そんな事を考えていく間にも暖かな風が頬を撫でて、花が舞い飛んでいく。


 世はまさに、春爛漫だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪山で雪崩に巻き込まれたらあっさり死んで、死後の世界で理想の女の子と出会った話【姫ノ神】 イタノリ @moss-green

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画