第30話 両親

 明らかにやつれている。一体何があったんだと言いたくなるほど、今まで見たことのない2人の姿に、俺は愕然とした。


「どうしたんだよ、父さん、母さん。そんなに具合悪そうにして」


「…お邪魔するよ。調子はどうだい?」


 俺は両親の元へと駆け寄り、2人も俺の方へ歩みを進める。


「何があったんだよ…そんな顔し…て…」


2人は、俺を一瞥することなく、まっすぐ俺の方へと歩いてくる。そして、ぶつかることも無く、すぅ…と俺の体をすり抜けていく。


 両親は、ベッドに横たわる俺の元へ行くと、ベッド脇にある机の花を持参した花と交換しながら。俺の肉体に話しかけている。


 今日の調子はどうだい?


 最近、ようやくあったかくなったね。


 あんたは、春が来るのを嫌がってたね。雪が溶けたら滑らなくなるからって。


 他愛のない、本当に他愛のないただの言葉だ。答えもしない俺の体に向かってずっと話しかけている。


 父は俺の額に手を置き、頭をゆっくり撫でている。母は、俺の手を摩り続けている。


「寝るのは構わないが、そろそろ起きてみたらどうだ?お前の大好きな冬が終わっちまうぞ」


「そうだよ、早く起きないと。寝坊助ばかりしてたら、たたき起こしちゃうわよ?」


 2人は、顔を見合わせ、ふふッと笑い合う。


「…もう一度、お父さんって、呼んでくれないか」


 その言葉を聞いた母は、初めは柔らかな笑顔に満ちていた。だが、みるみると泣き崩れ、嗚咽を漏らしはじめた。


「お願い…帰ってきて…。もう一度お母さんって呼んでよ」


 母の言葉に、今度は父が涙を見せる。声を押し殺し、母の背中を摩り母を慰める。


「父さん…、母さん…。俺はここにいるよ。ここにいる!」


 俺は2人の手を握ろうと手を伸ばす。


「‼︎………あぁぁ……」


 俺の両手は、2人の手をすり抜けるだけだった。何度手を握ろうとしても、すり抜ける感触すらもない。まるで空気にでもなったみたいに。


 胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。俺はそれでも2人の手を握ろうと手を伸ばす。

何度も何度も何度も何度も何度も。


「父さん!母さん!」


 壊れたラジオのように、父と母を呼ぶ。それでも、2人は俺に気づかない。


 お願いだから、泣かないで。俺はここにいるよ。ここにいるから、泣かないで。


 触れることも叶わない。抱きしめることも叶わない。話すことさえ、その眼差しを受けることさえ、叶わない。これが、死か。


「ごめんよぅ…。俺は怖い…。生きるのが怖い…。でも、父さん…母さん…俺だって、もう一度、2人を呼びたい…」


 心が壊れていく感触。生きたい、生きたくない。その狭間の感情に飲まれ、どんどんどんどん、深みに沈んでいく。俺はどうしたらいい?どうしたら…。


 ふっと、背中に暖かさが広がる。


 サクラが俺の背中に顔を埋め、肩を小さく振るわせながら、呟くように言う。一度、村へ帰ろう。ね?大丈夫だから。


 

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