第19話 雪の上で
サクラさんの上達ぶりは、早くもなければ遅くもないといった感じで、数時間程度の練習で、なんとなくターンができるようになってきた。これは教えていて楽しい成長速度だ。
サクラさんも初めてのスノーボードに悪戦苦闘しながらも、楽しんでくれているので、これは教えている立場からすると、とても嬉しいものだ。
「ちょっと待ってください、休憩お願いします」
「はい、了解です」
サクラさんはペタンと、雪面に座り込む。大きく息を吸い、呼吸を整えている。
「久々に、運動らしいことをした気がします。息を切らす必要なんて、ないはずですけど、思わず生前の癖が出ちゃいます」
「いえいえ、無理もないですよ。初めてやることですから、精神的な疲れもあるでしょうし」
「そうですね。でも、とても気持ちがいい疲れです」
屈託もない笑顔がまたとても貧しい。俺といえば、そんな笑顔にぎこちない微笑みを返すくらいしかできないが、サクラさんは一向に気にしていない様子だ。コミュ障からしてみればとてもありがたい。
次は何を教えようかなと思案していたところ、サクラさんは雪面を手のひらでポンポンと叩く。
「さっ、コーチもここに座って休んでください。ずっと立ってたら疲れちゃいますよ?」
死んでいるのに、胸がドキッとしてしまった。まさかサクラさんに隣に座るよう促されるとは思いもしなかった。
「…失礼します」
俺は絶妙な間合いを取りながら、サクラさんの隣へと座る。座ったところで、何を話せばいいのかわからない。逡巡していると、サクラさんからまた気さくに話しかけてくれた。
「この雪、あまり冷たくないですね。それに、溶けにくいですね。ウェアとか濡れなくて、助かりますけど」
「あっ…そうですね。サクラさん、初めてのスノーボードですし、濡れたり冷たいと大変かなと思ったんで、そんな感じで雪をイメージして作ってみました。初めのうちは、転んだり、座ったりすると、体冷えたり濡れたり大変ですからね」
「そうでしたか、気を遣っていただいて、ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀してくれるので、俺もお辞儀で挨拶を返す。
「それにしても、凄いですね。こんな短期間でここまで具現化能力を使いこなす人は見たことありませんよ」
「そうなんですか?」
「えぇ、本当に。きっと、あなたは世界をよく見てたんだと思います。この世界がなんでも思っただけで実現すると言っても、本当に実現できるかは、その人次第です。現に、この村に来る人達も、具現化できるものは家具とか趣味の道具とか、身近にかつ頻繁に接していた物しか具現化できませんでしたしね。この雪や、スノーボードの道具の再現の細かさ。一生懸命、自分がいた世界と向き合っていなければできないと思います。あなたは、スノーボードに一生懸命だったんですね」
「えぇ、そりゃもちろん…」
スノーボードは、俺にとって全てだった。他人にしてみたら、ただのお遊びに見えるかもしれないが、俺はそんなお遊びに命をかけて挑んでいた。だからこそ、サクラの言葉に俺はとても感激し、胸が熱くなってしまった。
「泣いているんですか…?」
サクラさんの言葉にハッとする。
気がつかなかった。俺の目から涙が溢れている。自分が泣いている事実に気づいてしまった後は、とめどなく涙が流れてしまい、恥ずかしいから早く涙を止めたいが、その方法もわからない。
分かっている。俺が泣いているのは、誰に褒められることもなかったスノーボードと向き合う俺の事を、はじめて肯定してくれる人に出会えたからだ。
それだけではない。改めて、俺は思い知らされた。そんな大好きなスノーボードはもう2度とできないのだと。この世界に作り上げた俺の理想とする雪やゲレンデはどこまでいっても本物ではないし、空を自在に飛び、空中を滑ることができても、本物の雪山を滑ることはもう叶わない。それを悟ってしまったからだ。
情けないから、せめて声だけは押し殺すが、一向に嗚咽は止まらない。ただ、サクラさんが優しく背中を撫でてくれる温かい感触だけが背中に伝わるのみだった。
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