第186話 伝説のリザードマン

(このお話はミス・ハリケーンの回想録です。文中の「アタシ」は語り部である彼女自身を指します。)


***


 当時、アタシはエファトナの外れにある古い精霊教会に身を置いていた。


 まだまだ、エルフの社会的地位が保障されていない暗黒時代。


 それでもアタシ達エルフは未来を信じ、社会を信じ、そして、人を、精霊を信じ、真っ直ぐに歩んでいた。


 教会ではエルフ達が身を寄せ合い、毎日の暮らしを何とかするので精一杯だったが、決して恨み事など口にする者も居らず、精霊の加護を信じて笑顔を絶さない様に、祈る毎日だった。


 当時、14歳のアタシは、魔女修行の一貫でシスター見習いとして教会に預けられていた。15歳の誕生日、成人を迎えれば晴れて一人前のシスターになると言う矢先、彼はやって来た。


 年老いたそれまでの牧師が隠居し、新たに南部から、新米牧師がやって来た。大きな体で、牧師の服ではなく立派なスーツと帽子を被った紳士。


 驚いた事に本部から派遣されたのは、エルフではなくネクタイを締めたワニのリザードマン牧師だった。


 彼の名前は、ジンガ・グーニック。


 後にリザードマン解放運動の指導者となる英雄的人物だ。


 今でも精霊教会に帰依するリザードマンは珍しいが、当時はなんと言っても激しい差別社会の真っ只中、エルフ以上にリザードマンは、その異形の姿から家畜と同等とみなされていた。


 グリフォン戦争以後、奴隷制度が撤廃されたとは言え、人々の間に根深い差別意識はそう簡単には無くならない。


 エルフ以上に立場の無いリザードマンは、全うな職に付く事も出来ない時代だ。


 客馬車の乗車も、酒場への入店も拒まれる、そんな時代。


 ただ真っ直ぐに未来を見つめる彼と、アタシは出会った。


 勿論、教会は誰であろうと信仰する者を拒まない。


 しかし、リザードマンとの付き合い方なんて、当時のエルフ達には、どうしていいかわからない世の中だ。教会のシスター達があまり彼に近付こうとしないのも無理の無い話だった。


 けれど、好奇心旺盛な14歳のアタシは、初めて見るリザードマン牧師に興味津々だった。


 気付けばアタシは、彼の後ろをついて回る毎日だった。


 特に話掛ける訳ではないが、なんとなく物珍しい彼が気になって、いつも物陰から様子を窺っていた。


 ジンガ牧師はアタシの事に気付いてはいたが、特に気にも止めずにただお祈りをしていた。


 しばらく彼を観察していたアタシはある事に気付く。


 彼は日中、教会でお祈りを済ませた後、夕方になると決まって何処かへと出かけていた。


 ある時、アタシは思い切って後をつけてみた。


 エファトナの町の外れ、人通りの少ない裏通りの古い民家。


 そこには、迫害から身を寄せ合ったリザードマン達が集会を開いていた。


 集会の中心人物は、ジンガ牧師だった。


 リザードマン達はジンガ牧師に、泣きつく様に告白する。


 ある者は、子供に石を投げられたと怒り、またある者は、理由もなく憲兵にめった打ちにされたと嘆く。不当な暴力に抗うと今度は逮捕されるか、命を奪わる。そんな状況を皆、呪う様に訴えていた。


 職を失った若者、息子を失った老婆。


 夢も希望も奪われたリザードマン達の胸の内をジンガ牧師はずっと耳を傾けて聞いていた。


 ジンガ牧師は彼らに説く。


「いいですか? 暴力に対して暴力でやり返してはいけません。彼らを一人殺せば、今度は我々の同胞が十人殺されます。そんな事では今の状況を打破する事は出来ません。私が精霊教会に帰依したのも、『人を傷付けてはならない』と言う教えに感銘を受けたからなのです。それは全くの真理なのです。今の社会は間違っています。どんな理由があれ、人が人を傷付けていい法などありません。奴隷制度撤廃以後、我らリザードマンは人としての地位を認められました。しかし、その法は形骸化し、今でも我らを苦しめる者達がいるのは悲しい現状です。だからと言って、嘆くばかりでは何も変わらないのも事実なのです。我々は戦わなければならない。暴力に! 不当な差別に!」


 力強く拳を握りながら牧師は力説する。 


「黙って嘆くだけの毎日とは別れを告げましょう。今こそ立ち上がる時なのです。そして訴え続けるのです。『リザードマン差別は違法である』と!『我々は意思を持った人々である』と! 取り戻すのです尊厳を! 何もしないのはもはや罪です。声をあげなければ、何も変わりはしません。誰がやるのか? 我々です。誰かではない。貴方と貴方と貴方と、そして私です。皆が主体となって動かなければいけません。勇気を振り絞って! 顔を上げて! 背筋を伸ばして! さあ、戦いましょう! 暴力ではなく、知性ある言葉で! 誇り高い意志の力で! そして、個人ではなく団結の力で!」


 彼の言葉を聞いたリザードマンは皆一様に大きく頷いていた。失われた力を取り戻す様に、その目を輝かせながら――。


 聴衆達は、すっかり鼓舞される。


 しかし、そんな最中、心無い近隣の密告だろうか、憲兵達が押し入って来た。


「リザードマン達の集会は禁止だ! 早く帰れ!」


 そんな事を喚きながら警棒を振りかざす憲兵。


 三、四名の憲兵達の登場により、集会は騒然となる。


 女性や子供の悲鳴。若者の怒声。


 しかし、ジンガ牧師は決して暴力による抵抗をしない様にと彼らに声を掛け続けた。


 それこそが憲兵達の狙いで、抵抗した者は即刻逮捕するのが彼らのやり口だったからだ。


 皆、無抵抗を示す様に両手を頭の後ろで組んで、非暴力を徹底させる。唇を噛み締めて、涙を堪えて――。


 そして、集会を解散させた帰り際の憲兵にアタシは見つかる。


「そこの子供、フードを取って顔を見せなさい! 今集会を覗いていたな? 貴様も仲間か?」


 震える手でフードを脱いだアタシの耳を見て、憲兵は目を丸くする。


「おい、このガキ、エルフだぞ! 魔女達の生き残りだ! リザードマンと協力して何かを企んでいるかも知れない」


「とりあえず連行しよう。他に仲間が居るかも知れない。ガキとは言え、妙な術を使う魔女達だ。油断ならない連中だぞ」


 憲兵に腕を掴まれたアタシに気付いた牧師は力強く言い放つ。


「お止めなさい! 何もしていない子供を捕らえる法など、この国には無い筈です。もしあるのなら、条文を言ってごらんなさい! 彼女を捕らえる法など何処にも無い筈ですよ!」


 毅然とした態度でジンガ牧師は言う。


 その言葉に憲兵達は顔を真っ赤にさせる。


「貴様、リザードマンの分際で生意気だぞ? 人間様にトカゲ野郎が説教するつもりか?」


 そんな侮辱的な発言もジンガ牧師には何の意味も持たなかった。


「我々の人権は王法によって守られている筈です。それを破るのは国王に楯突くのとお変わりない事に何故気付かないのです?」


「まだ言うか!」


「連れて行くのなら私を連れて行きなさい! しかし、その際には正当な理由を用意すべきです。そうでないのなら、そうですね、国王の元までお連れなさい。貴方達が如何に誤っているかを王に説いてみせましょう!」


 分が悪いと見たのか、地面に唾を吐き捨て、憲兵達は引き下がって行った。


 彼らが去った後、アタシはジンガ牧師に尋ねた。


「ねえ、牧師様。どうしてエルフのアタシなんかを助けたの? アタシはリザードマンじゃないのに……エルフの中にもリザードマンの事をよく思わない大人だっているのに……」


 大きなジンガ牧師はアタシの目線まで屈み込んで、優しい目で言う。



「私がそうしたかったから……。と言う理由じゃ駄目かね? いや、人が人を助けるのに、本来理由なんて要らないんだよ。そして、そこに種族なんて関係ないんだ」



 その日を境にアタシはジンガ牧師と共に集会に参加する様になった。


 それまでエルフ社会しか知らなかった無知なアタシはリザードマン達の歴史や、差別の現状を知る様になる。


 そして、それが如何に間違った社会であるかを学んだ。


 彼らの運動は実に地道なものだった。


 客馬車の乗車を拒否されたリザードマン、不当解雇されたリザードマンがいれば抗議する。決して暴力を用いずに一致団結となって店の前に座り込みを決める。


 その度に、憲兵達によって解散されたり、直接的な暴力によって傷付けられたが、彼らの目は、とりわけジンガ牧師の目は決して輝きを失う事は無かった。


 彼らの運動は話題となり、ヒューマンの中にも彼らを憐れむ声すら聞こえる様になる。とある新聞記者が取り上げたのも大きな要因の一つだった。


 そして、ジンガ牧師の運動に賛同した連中が、彼らの元に集まる様になる。


 グリフォン戦争時代、旧エクシード公国の都だった街――旧都アンバルア。奴隷兵士を使っていた南軍の旧都、リザードマンへの迫害が根強く残るその街で彼らは決起した。


 後に言われる『尊厳の行進』、リザードマンと差別撤廃に賛同する他種族達が集結し、当時の領主の城目指して、彼らは行進を開始した。


 アンバルアの領主は大変に憤慨し、憲兵達を大勢動員して妨害する。


 非道い暴力の前に、何人もの犠牲者が生まれる。


 しかし、それが逆に追い風となる。


 その様子を当時の心ある新聞記者が、あまりにも理不尽な横暴にペンを執る。それを見た、やはり心ある者が更に運動に参加する。


 最早、事態はリザードマンの問題ではなく、人の尊厳の問題になっていた。


 中には、ヒューマンの賛同者すら出る始末に、憲兵達は手出し出来なくなったのだ。


 その時のジンガ牧師はこう言った。


「どこまでいっても、人は心なのさ。正しい心、清廉な魂には誰も異を挟めなくなる。差別が誤りだと人々が気付くと言う事、私はそれを疑った事なんて一度も無かったよ」



 やがて王国中に波及したその運動に、当時の王家も重い腰を上げ、彼らを差別する事を禁じさせた。


 それが今の『全種族公民権法』の制定だ。所謂いゆる、種族差別禁止法。その影に一人の牧師が居たのは、リザードマン達にとってはあまりにも有名な英雄譚。


 そして、差別に勝利した彼の演説。


『種族に関係なく人々が手を取り合って暮らしていける国を実現させる』と言う夢を語った『ジンガ演説』は今でもアタシの耳に強く残っているよ。

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