娘が執務室から出て行ったのを音で察して、ジルドは肩の力を抜いた。

 普通に接していられただろうか。今までのようにではなく、親として普通に。



「今更、親面するのは烏滸がましい、か」



 自嘲気味に呟く。


 名前を言ったことではなく、覚えていたことに驚いていた娘に、苦いものがこみ上がってきた。



――覚えていないはずがない



 クロニカの名前は、自分が考えたのだから。


 クロニカの名前は、クロニカが生まれてくる前に、色々な名前を調べて、意味も調べて、導き出した結果なのだから。


 きっと、クロニカはミリアが考えたものだと思っていることだろう。



「ミリア……」



 妻の名前を口にすると、胸を突かれるような激しい痛みが襲った。


 ミリアは言った。いつか分かってくれる日が来ることを信じている、と。


 本当に分かるのだろうか。結局、お前の考えを理解しなかった自分に。


 机の上にあるボトルシップを見やる。兄からの最後の誕生日プレゼントであるこのボトルシップをここに置いたのは、自分を戒めるためだ。


 弱い自分を思い出し、向き合うために。兄と向き合うように。


 だから、いる時間が長いこの執務室に置くことにした。


 兄も鳥をよく見上げていた。ミリアも鳥を見上げていた。


 そういえば、兄とミリアの鳥を見る目は、全く同じだった。


 あの目は、結局なんだったのだろうか。憧れのような、切望のような。けれど、慈しみが滲んでいた瞳。



(もしかして、二人は同じ気持ちだったのだろうか)



 想いは違ったかもしれない。だが、おそらく根本的に同じだったのだろうか。


 どうして、飛んでいる鳥に強い想いを抱いていたのだろうか。それを知るときが、自分にあるだろうか。


 兄の気持ちが、ミリアの気持ちが、分かるのだろうか。


 分からないままで終わるかもしれない。分かり合えないまま終わったのだから。


 そんな自分が、ミリアの期待に応えられるだろうか。



『弱気にならないで』



 学生時代、ミリアに言われたことを思い出し、ジルドは苦笑する。



「そう、だな……」



 ここで諦めたら、それまでのことで何も進展しない。自分が弱気になってどうする。あの子は自分に対して受け身になりすぎている。自分から行かなければならない。


 距離の詰め方が分からないので、まずそこからだ。


 ふと、空を見上げる。


 ジュリウスが言っていた。季節ごとに空は違うのだと。本当に違うのか、あの日以来、毎日こうして空をじっくりと見ているのだ。


 今は秋空で、兄とよく似た色をしていた。落ち着いていて、どこか遠くて、移ろいを感じる空。



「たしかに、二人の色は違うな……」



 ふっと笑みを浮かべる。


 先程見たクロニカの瞳は、あの青年が言っていた通り、まさしく透き通った夏空の色だった。

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