兄と弟

 どうして、こうなってしまった。


 ジルドは、崖から落ちてしまった兄を、茫然と見下ろしていた。

 兄が倒れている。頭から、血が流して。

 どうすれば、いいのか。ジルドは、時が止まったように動けなくなっていた。






 あの日、一緒に森へ出掛けようとしたのは、切っ掛けが欲しかったからだった。


 兄ばかりの親に構ってもらえなかったが、当の兄は自分を出来るだけ構うよう、体調の良いときは自分のところに来てくれていた。


 だが、自分は兄が妬ましくて、邪険にして遠ざけた。兄は悲しそうな顔をしたが、それでもめげることなく、自分を構い倒そうとしていた。


 そんな兄の姿を見て、だんだんと絆されていったのだ。


 元々、早く死ねば良いのに、と口にしながらも、本当は心の底から憎みきれなかったのだ。拗れる前は、よく一緒に遊んでもらっていたから、兄のことは大好きだった。その想いが根付いていたからか、憎みきれず、余計に苛々していた。



「ジルド様。クリス様はお身体が弱いのです。きっと、長く生きられないでしょう」



 そう申しにくいことをはっきり言ったのは、庭師のダンだった。



「ジルド様は、クリス様のことを心からお嫌いになってはいないのでしょう。でしたら、クリス様がまだ生きておられるうちに、仲直りをなさったほうがよろしいですよ」



 遠い目をしながら、淡々と告げるダンを見て、珍しくよく喋っている、と思ったものだ。

 そして、最後にこう言ったのだ。



「このままだと、一生後悔なさいますよ。私もそうですから」



 ダンのことは、よく知らない。知っているのは、寡黙で優しいことと、子供はいるが、妻がいないということだけだ。

 だが、その台詞と表情がやけに印象に残り、頑なだった心が傾きだしたのだ。


 徐々に考えを改めていったのだが、急に素直になれるわけでもなく。


 悩みに悩んだ末、思い立ったのが一緒に出掛けることだった。共に過ごすことはあったが、一緒に出掛けることはなかった。


 兄の身体のことを考えると、街のほうはあまり空気が良くないらしい。それでも王都へ行くのは、貴族の義務があるからだ。王都の空気は街より悪く、兄はあちらに行くと体調を崩しやすくなる。だから、王都でも二人で出掛けたことがない。


 だから、二人で出掛けたら、昔のように喋れるではないか、と思ったのだ。今思えば、どうしてそう結びつけたのか、分からない。子供の思考とは、大人になると分からなくなるものだ。


 森なら空気が良いはずだから、大丈夫ではないかと思った。だから、兄の体調がとても良いときを見計らって、久しぶりに自分から兄に話しかけたのだ。


 自分から話しかけたことすら、兄は呆けた顔をしていたのに、一緒に森へ出掛けよう、と誘ったら、さらに呆けた顔をした。


 こんな兄の顔を見たのは、最初で最後だった。

 我に返った兄は、破顔して頷いた。



「うん、うん……! すぐ行くから、ちょっと待って!」



 と、弾んだ声色で返事をしてから、準備を始めた。

 その声色を聞いて、なんだか申し訳ない気持ちになった。


 奥に行かないのなら、護衛もいらない。と、兄は置き手紙だけを残して部屋から出て来たときはさすがに呆れた。



「お供はつけるべきですよ」

「気が滅入るから、嫌」

「嫌って……」

「いつ体調が悪くなってもいいように、一人は必ずついてくるんだ。けど、ジルドがついているから必要ないよ」

「けど」



 体調が悪くなったとき、何をすればいいか分からない。

 澱むジルドの頭を、クリスが撫でた。



「そのときは、そのときだよ」



 そんな無責任な。と、言いかけたが、既に兄は忍び足で先を歩いていた。

 ジルドは嘆息して、その後を追う。



「そのときは、全責任を兄上に押し付けますからね」



 兄は振り返って、笑った。



「もちろん」





 だから、二人で森へ出掛けたのだ。兄は領地にいる期間が長いが、ほとんど屋敷から自由に出してもらえない。だから、森が新鮮なのだろう。


 弟の自分が呆れるくらいに、はしゃいでいた。何度か我に返って、落ち着きたがるように見せたものの、森でしか見られない野花を見ると、顔を輝かせるのだ。


 だが兄は野花が好きだが、鳥のほうが思い入れがあるようだった。理由は今でも分からない。だが、鳥が飛んでいるのを眺める姿をよく見かけていて、鳥が見えなくなるまで眺めている。



「あ、鳥」



 枝に留まっている鳥を目敏く見つけ、兄が呟く。ジルドも見てみたが、自分の背が低いせいか姿が見えなかった。



「なんていう鳥ですか?」

「さぁ」

「知らないのですか?」



 てっきり、鳥の名前を知っているかと思っていた。それくらい、兄は鳥を見上げていたから。



「野花の名前は知っていても、鳥は知らないなぁ」



 どうやら、兄は鳥の種類にはそんなに興味がないようだった。



「兄上は、どうして野花が好きなんですか?」

「人の手で育てないと咲かない花よりも、自分で勝手に咲いている花のほうがキレイだからだよ」



 意味が分からなかった。野花が醜いとは言わないが、断然ダンが育てている花のほうが鮮やかで瑞々しくキレイだと、今でも思う。



「あ、クララだ。あの花の蜜、美味しいんだって」



 兄が白い筒のような花に指を差して言う。なんだかはぐらかせたみたいで、少し面白くなかった。


 ふと、余所見すると、黄色い花が咲いているのを見つけた。すぐ横にあったので、それを観察した。


 黄色いその花は小さい。だが、背丈は自分の胸の辺りまである。雌しべと雄しべがいくつも飛び出していて、花弁よりも長いように見えた。

 この花は何なのか聞くため、兄に振り返った。


 が、そこに兄の姿は見えなかった。



「兄上……?」



 不思議に思って、兄を呼ぶが返事がない。


 不思議が不安に変わる。いくら不仲とはいえ、兄が自分を置いてさっさと先に行くわけがない。辺りを見渡しながら、兄が歩いて行った方向へ歩き出す。


 すると、足下から石が崩れる音がして、慌てて足を引っ込めた。足下を見ると、そこは崖になっていて、そして。



「あ……」



 下で、兄が倒れていた。


 どうして、こうなってしまった。


 ジルドは、崖から落ちてしまった兄を、茫然と見下ろしていた。

 兄が倒れている。頭から、血が流して。

 どうすれば、いいのか。ジルドは、時が止まったように動けなくなっていた。


 兄が身じろぎしたことで、我に返った。

 兄がこちらを見上げる。空色の目が、じっと、ジルドを見上げている。


 感情が見えない、瞳。それなのに、澄んでいる瞳。声を発することもなく、ただ見上げる瞳が、怖かった。



「あ、あ……」



 その瞳に囚われて、息が止まる。兄上、と叫ぶこともできず、兄と見つめ合う。


 しばらく経ったのか、それとも数秒の間だけだったのか。分からない。だが、やけに時間が遅く感じていた。


 瞳からの呪縛が解けたのは、鳥の鳴き声だった。

 恐怖が全身に駆け上がり、衝動のまま、大きな悲鳴を上げた。



「う、うわあああああああああああああああああああ!!」



 その場から離れたくて、来た道を戻ろうとした。

 だが、道が分からず、闇雲に森の中を彷徨い続ける結果となった。

 帰る道も分からず、途中で歩けなくなって、蹲った。



「ごめ、なさい……っ」



 嗚咽を漏らしながら、謝罪する。ここにはいない、兄に対して。

 駆け寄ることも出来ず、恐れをなして逃げてしまった。



――兄を、見捨てしまった



 あの瞳を思い出して、身を竦める。あれは、自分を責めている目だったかもしれない。自分が誘わなければ、こうはならなかった。もっと護衛を付けるべきだ、と訴えていれば。


 だから、兄は怒っていたのだ。自分を責めていた。


 自責の念に蝕まれながら、ジルドは泣き続けた。

 助けを呼ぶことも出来ず、ただただ泣き続けた。


 そのまま泣き疲れ、目を覚めた頃には、兄は死んでいた。






 以来、空の色が怖くなってしまった。


 使用人達の噂も広がり、それがジルドの耳に入り、心が磨り減っていった。


 使用人達は信用できない。きっと、皆自分のせいだと思っているに違いない。本当は突き落としてなどいないのに。兄が足を滑らせて落ちただけなのに。


 けど、使用人達の噂は半分当たっていて。きっと、口では言わないものの、両親も自分を責めて疑っているに違いない。そう、思っていた。


 見捨てたのだから、結局は同じなのだと、耳を塞ぎ、自分を守っていた。とても、耐えられる重さではなかったから、見て見ぬ振りをし続けた。

 空の色を見ると、振りが出来なくなってしまい、心が乱れてしまう。



――本当に、恐ろしかったのだ。あの瞳が



 だから、あの子が生まれたとき、その瞳を見た瞬間、恐ろしくなったのだ。

 兄の、あの瞳を思い出して、平常ではいられなくなってしまう。


 両親が自分を愛さなかった分だけ、生まれてくる子に愛を与えよう。そう決めていたはずなのに、出来なかった。



――オレはクリス伯父上じゃない



 あの子の言葉が蘇る。

 分かっている。分かっているのだ。しかし、頭で理解していても、どうしても拒絶してしまうのだ。


 けど。


 兄からの誕生日プレゼントを眺める。大好きだった船の模型。死ぬ間際に託されたという暗号。

 兄が自分をどう思っていたのか、それがじんわりと伝わってくる。



(兄上は、私を……恨んでいなかった……)



 兄に責められていなかった。兄は、最期まで自分を想っていてくれた。



『ジルド』



 おそるおそるサラシアンを見る。



『ジルド、ほら、サラシアンがもう咲いているよ』



 そう言った後に、得意げにサラシアンの説明をする、兄の笑顔。そして、自分を呼ぶ声が、とても柔らかかったことを、久しぶりに思い出した。

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