息子と母

 三人に振り返ることもなく、クロニカが玄関扉の向こうへと消える。三人はその姿を見送ったあとも、動けずにいた。


 一番目に硬直が解けたのは、ジルドだった。ジルドは舌打ちして、玄関の方へ向かう。



「ジルド」



 引き留めたのは、母のアリーシェだった。ジルドは睥睨するが、アリーシェは怯まなかった。



「お願い。あの子の見合いは、今はやめて」



 真摯な瞳に、ジルドは目を見開く。


 先程まで頭が血に昇って、気が付かなかったが、いつの間にか両親の背を追い越していた。最後に会ったときは、まだ父の方が高く、母の背は追い越していたが、それでも今ほどでもなかった。


 老いて、背が縮んだのか。

 ジルドは今更ながら、あれから大分時が流れていたのだと、自覚した。



「……なにか、理由でも?」



 アリーシェが目を見開く。破顔して、大きく頷いた。



「ええ、ええ! 今ね、ジュリウス君がクロニカを口説いている最中なのよ」

「セピールの倅が?」



 セピール。苦い記憶が蘇り、眉間に皺を寄せる。


 ジュリウスの母であり、セピール夫人であるビアンカに殴られたうえに叱咤されたのだ。男、そして英雄としての自尊心が罅割れたあの日のことは、どれだけ蓋を閉じても、あの頬の痛みまで鮮明に残っている。


 ジュリウスと面識はあるが、会話はしたことがない。だが、あのビアンカの息子というだけで、どうも苦手意識がある。元々、学生の頃からビアンカが苦手だったのだ。



「きっと、クロニカを口説き落としてくれるから、その時まで待ってほしいのよ。相手の人には悪いけれど、お願いできるかしら?」



 ジルドはアリーシェをじっと見つめると、再び玄関のほうに視線を向けた。



「……もとより、あちらも乗り気ではなかったので、あちらとしても都合が良いでしょう」

「! そう! ありがとう、ジルド」



 アリーシェの声が弾むのを聞いてから、ジルドは歩き出した。玄関の扉に手を掛ける。が、一旦止めた。



「………………母上」

「なにかしら?」



 こちらに振り向かず話しかけてきたジルドに、アリーシェは首を傾げる。



「……母上は、思わないのですか」

「なにを?」

「私が、兄上を突き落とした、と」



 両親も自分が兄を突き落とした、と思っているに違いない。

 ジルドは、ずっとそう思っていた。だが、二人はジルドを憎ましいと思っていないように見えた。自分が望んでいるから、そう見えたかもしれない。



「思わないわ」



 迷いのない強い口調だった。



「なぜ?」

「あなたがそんなことをする子じゃないからよ」



 投げかけた問いの返答に、ジルドは嘆息する。



「馬鹿馬鹿しい……そんなあやふやな理由で信じるなど」

「あら。あやふやじゃないわ」



 ふふふ、とアリーシェが小さく笑声を上げる。



「たしかにクリスに対する風当たりが強かったけど、なんだかんだでクリスのこと、気遣ってあげていたじゃない。そんな子がクリスを突き飛ばすわけがないでしょう?」



 ジルドは目を見張った。そして、ぎゅっと目を瞑む。


 気付かれていたとは、思ってもみなかった。母も父も、兄のことばかりで、自分のことを全然見ていないと思っていた。


 だが、気付いてくれていた。信じてくれていた。なにかがこみ上がってきて、それを振り払うように、ジルドは屋敷から出た。






 玄関を出て、辺りを見渡すが既に娘の姿はなかった。あの時のように、また人気が全くない場所へ行っているのだろうか。

 溜め息をついて、歩き出そうとした、そのとき。



「公爵様!!」



 男の声がして、ジルドは振り返る。そこには、頭を下げている一人の青年がいた。格好からして、庭師だろうか。



「お前は?」

「お……私は、前の専属庭師であった、ダンの孫です」



 ダン。よく兄と探検ごっこをした庭を造った庭師が、確かそんな名前だったような気がする。


 探検ごっこの目玉で宝物を用意して、宝箱の場所を示した暗号を考えてくれて、楽しませてくれたものだ。滅多に笑わなかったことを、よく覚えている。



「前の……と、いうことは」

「はい。去年の秋に、病で」

「そうか……」



 寂しさが胸によぎる。



「あの、これ」



 頭を下げながら、孫が紙切れを差し出す。孫に近付き、その紙切れを眺める。随分と草臥れた紙切れだ。紙切れは手のひらよりも小さい。



「死ぬ間際、祖父がこれをジルド様に渡してくれ、と」

「これは?」

「俺には、なんなのか分かりません」



 おそるおそる、紙切れを受け取る。受け取ると、庭師が安堵の息を漏らしたのが聞こえた。


 緊張して、全身が強張っていたのか。使命を果たしたといわんばかりに、力を抜いているのが分かった。



「下がるといい」

「はっ」



 庭師は頭を下げながら、後退して、そのうち姿が見えなくなった。

 ジルドは、紙切れを見る。それには、見覚えのある字で。



『鷹の目、見つめる先の三つ叉道』



 と、書かれてあった。



「なんだ、これは……」



 思わず呟く。


 そういえば、探検ごっこは庭師からこんな紙切れを渡されてから開始されたことを、思い出す。


 しかし、庭師のダンが考えた暗号とは何だか違う気がする。記憶が曖昧なので確証はないが、ダンはもっと直接的な暗号を考えていたような気がする。


 しばし、その紙切れを見つめ、ジルドは庭へ続く裏道に視線を移す。


 ジルドは思案したのち、その裏道に向けて歩き出した。

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