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ダイニングに入った。
お母さんがキッチンにいるのが見えた。
「お母さん、おはよう」キッチンにいるお母さんに声をかけた。
「おはようございます」いつも通りの親しみやすい声が返ってきた。
「お父さんは?」
「コーラを買いにスーパーに行きましたよ」
「こんな朝から?」
こんな、という時間でもないか。最近は早くからやっているところもあるし。
「私もそう言ったんですけどね。ふふっ、子供みたいですね」
楽しそうに笑っている。昨日、元気がなさそうに見えたから少し心配してたけど、杞憂だったようだ。
お父さんの言い出したら聞かないところは、たしかに子供っぽいと言えるかもしれない。
「目玉焼きトースト、作りましょうか?」
「うん、ありがとう」
「半熟か固焼きか、どちらにします?」
「んー、じゃあ固焼きで」
「はーい」
人間、不思議なものだな。相手に思うことがあっても、普通に会話ができる。
キッチンに入っていく。
「ねえ、お母さん、聞いても良い?」
「料理しながらで良かったら」
「幸せって、なんだと思う?」
「やっぱり、何かありました?」
「なんで?」
「そんな顔で、幸せとは何かと尋ねられたからです」
「変な顔してる?」
「疲れた顔をしています。雰囲気も暗いようですし」
お母さんの勘が良いのか、態度に出てしまっているのか。
「気のせいだよ。いろいろと気になるお年頃なんだと思う。だから聞いてるだけ」
どっちにしてもこんなことを言われるようでは、本当にもう限界なのかもしれない。
「わかりました。難しい質問ですね」
「そんなに深く考えなくて良いよ? ちょっと気になっただけだから」
上手く演じられているだろうか? 普通を演じるのは意外に難しい。
「幸せだと感じた時が幸せだと思うんですけど、それでは答えになりませんよね?」
「もう少し具体的に」
「お日様の匂いに包まれている時とか、でしょうか」
「わかりづらい」
「すみません。幸せって、感覚的なものだと思うんですけど、違いますか?」
「お母さんがそう言うならそうかもしれないけど、もっと具体的な、これができるようになれば幸せ、とかないのかなって」
「これができれば、ですか?」
頭にハテナマークが出ていそうな顔をしている。意図が伝わっていないかもしれない。
「質問を変えて良い? 幸せって、どうやったらなれると思う?」
「なんでも楽しく感じることができれば、幸せではないですか?」
「それはそうかも知れないけど、現実的ではないよね?」
ストレスなしで生きていくのは不可能だろう。
「えーとですね、差し出がましいとは思いますけど、幸せは目指してなるものではないと思いますよ」
「うーん、どういうこと?」
いまいち何を言っているのかわからない。
「目指すのは夢で、幸せはおもうものだと思います。私の考えですけど」
夢は目指すものだと言うのはわかる。
「自分は幸せだと思い込めってこと?」
「そういうことではないですよ」
「じゃあ、どういうこと?」
「幸せって、いたるところに溢れていませんか? それをおもい、感じるんです」
いたるところにあったら、誰も探し求めないと思うけど。
「例えば何がある?」
「そうですね。ここ最近は暖かい日が多くて良いなとか、今回は固焼きうまくできそうとか、今年の夏は何が起こるのだろうとか、ですかね」
「そんなことが幸せなの?」
「はい。実は固焼きは苦手なんですよ」
「あっ、ごめん。固焼き頼んだのまずかった?」
「いえいえ。練習になりますから」
しまった。そこじゃない。
「そんな小さなことが幸せなの?」
「そうですよ。おかしいですか?」
キョトンとした顔をしている。おかしくはないけど、すっきりしない。
チン、と音がした。
「ごめん。お母さんがそう思うならそれで良いと思う」
決めるのは自分自身だから、おかしくはないけど。
「けど、幸せってそういうもの?」
「私はそう思っています。トーストもできましたし、食べた後にお父さんにも聞いてみたらどうですか?」
「うん、そうする。ありがとう」
お母さんが用意してくれた朝食一式を受け取って、ダイニングテーブルに移動した後、朝食をテーブルに置いて、イスに座った。
「いただきます」
牛乳を一口飲んだ。乾いた喉が潤っていく。
トーストを食べ始めた。
朝食を食べ終えた辺りで、玄関のドアが開く音が聞こえた。こっちに歩いてくる音が段々と近づいてきた。
「ただいま」
「おかえり。コーラだけじゃなかったの?」
「お父さん、おかえりなさい。お使いありがとうございます」
「うん。今は、スーパーでもいろんなものが揃ってるね。改めて思ったけど便利になった」
お父さんは、手に持っていた大きなビニール袋を掲げて見せてくれた。
明らかに無駄なものまで買ってそう。
「そうですね」お母さんも苦笑いしているようだ。
「お父さん、ちょっと聞いても良い?」
「どうしたの? そんな顔して」
そこまでひどい顔をしているんだろうか?
「幸せってなんだと思う?」
「中々難しいことを聞くね」
「お母さんに聞いてもよくわからなかったから、お父さんにも聞いたんだけど」
「最近の子は、そんなことをみんな考えてるの?」
「どうなんだろう? お父さんは考えなかった?」
「いや、同じくらいの時に考えてた。周りからは変人扱いされたけど」
お父さんが変人扱いされやすいのは、一を聞くと答えが十になって返ってくるような、唐突な語り癖のせいだからじゃないかな?
「お父さんは答え、出た?」
「とりあえず、座って良い? 立ち話は疲れる」
「どうぞ」
お父さんは、目の前の空いていた席に座った。
「話を戻そう。正解かはわからないけど、自分なりの答えは出せたよ」
「それを教えて」
「幸せの形は霧のようだ」
「ごめん。さっぱりわからない」
「逃げ水のようだと言っても良い。近づくと遠のいていく。願っているうちは、得るのが難しいもの」
「余計にわからない」
「日常の中にある、ちょっとした非日常。それが幸せだと思うよ。幸せは注視するものじゃなくて、ちょっとだけ見つめるものなんだ」
「見つめるもの?」
「思いがけない驚き。日常を彩るスパイス。自分以外のものの、生命の息吹をちょっとだけ見つめる。この時期だったら桜だったね。あっ、でも、葉桜が綺麗だったんだよね?」
「うん」
聞いてたんだ。ゲームしてて耳に入ってないと思ってた。
「だったら、今月は葉桜かな。それ以外にもたくさんあるだろうけど、なんでも良いんだ。空の変わりゆく様を見つめるだけでも良い。それだけで幸せになれる」
結局、お父さんもお母さんと、同じような結論に至っているように思う。人それぞれだとは思うけど、やっぱり納得がいかない。
そんな簡単なことで。
「……そうなの?」
「僕はそうだった。自分だけの楽しいを見つける。それが幸せを呼ぶ。そして、未来が出来上がる」
「それ、お父さんの言葉?」
「誰の言葉でもないよ」
未来が出来上がる、か。
「お父さんは、若い頃はやりたいこと、あった?」
一言一言をゆっくりというように意識した。
「あった。漠然とした夢だったけどね」
「夢、あったんだ」
お父さんにもそういう時期があったんだ。冷めてるようにしか見えないけど。
「そう。目標だけ具体的で、方法がわからなかったから迷い続けていた」
「どんな夢だったの?」
「あんまり言いたくないんだけど」
苦い顔をしている。
「あ、それなら言わなくて良い」
デリケートな話題かも知れないし、無理に聞いてもね。
「格好良い大人になること」あっさりと答えが返ってきた。
普通に言ってくれるなら、なんで渋ったんだろう?
「ありがとう。失礼なことを言うけど、具体的?」
あまり具体的な目標には思えない。
「まあ、そうなるよね。ちょっと、耳を貸してくれる?」
お父さんは、左手で左耳たぶをつまんでいた。
「どういうこと?」
「あまり人に聞かれたくないんだ」
「まあ、良いけど」
お父さんは席を立つと、こっちに近づいてきて、顔を近づけてくる。
なんていうか、空気に妙な振動と湿り気があって、心臓が高鳴っていく。
「罪を憎んで人を憎まず。立場や境遇、外見に左右されずに、言葉を使える大人になりたかった」
耳がこそばゆい。
「ありがとう、ごめん」お父さんが離れていった。
「大丈夫。聞いたのはこっちだから。でもなんで隠すの?」
もっと現実的なことを言うと思っていたから、拍子抜け。
「こういう話は、あまり他人に聞かれたくないんだ」
「なんで?」
「気恥ずかしい」
照れていた。お母さんと似たようなこと言ってる。
「やっぱり夫婦で似るのかな?」
「なんのこと?」
「ごめん、こっちの話」
「それなら良いけど……」
若干引っかかりのあるような言い方だった。こういう時のお父さんは、わかりやすい気がする。
「夢や理想は、ひっそりとしまっておくことに意味があるんだ」
「しまっておいたら、意味がなくない?」
「大切な宝物なんだよ。みだりに口に出すものじゃない。道に迷った時や自暴自棄になりそうになった時にだけ、口に出すんだ。思い出のアルバムを見るようにね。自分の原点がなんだったのかを思い出すために」
自分の原点。原点なんて考えたこともなかった。
お父さんの顔を直視できない。
盗み見るようにお父さんを凝視すると、どこか遠いところを見て微笑んでいるように見えた。なんとも言えない笑顔で、少し羨ましく感じた。
「お母さんには随分前に話したから、小声で言う必要はなかったんだけどね」
「えっ、じゃあ、なんであんなことしたの?」
「伝統かな」
変に緊張して損した。
「伝統で片付けられると困る」
「んー、お約束ということで、ここは一つ収めてくれない?」こう軽い調子で言われると、こっちが勝手に意気込んで空回りしたみたいじゃないか。実際そうなのかもしれないけど。
なんか、気が抜けた。
「わかった」
変に気にしたこっちが馬鹿みたいだ。
「ありがとう」
「でも、そんな大事なことを言って良かったの?」
「必要だと思ったから開けただけだよ」
いつもの冷静なお父さんに戻ったようだ。
「よくわからないけど、ありがとう」
イスから立ち上がると、お皿とコップを持って、キッチンに向かった。
キッチンに入ると、お母さんと目が合った。クスリと笑われた。
「なんで笑うの?」
「いえ、すみません。二人の会話が面白かったので」
「どんなところが?」
「どんなところと言われると難しいです」
まあ、いいか。
お皿とコップを洗って乾燥機に入れると、キッチンを後にしようとした。
「お昼はどうします?」
「菓子パンとお茶、持っていって良い?」
「良いですけど、出かけるんですか?」
「うん」
「わかりました。お茶は水筒に入れて置いておきます。菓子パンは、そこにありますから」
お母さんが、キッチンのパンコーナーを指し示していた。
「ありがとう」
キッチンを後にした。
とりあえず歯を磨くとして、普通に準備しても、隠れ桜に行くには早すぎると思うんだけど、どうしようかな?
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