第59話 適応

「OKOGEは少し前から海外セレブ達の間で噂にはなっていたのですが、なかなか手に入らない幻の美薬と言われていました。それが最近少しずつ流通量を増やしてきて、ついに日本にも入り始めました。本来これは日本の田神製薬が製造している薬なのですが、日本の薬事法が厳しいため、逆輸入されることとなったわけです。ただしそれは、法にのっとった正規の輸入ではありませんので、法外な価格がつけられているようです。ですがその効果は絶大で、一回注射をするだけで後は何もしなくても時間とともに全身が若返ってゆく、そんな夢のような究極のアンチエイジングができると言われているため、引く手あまたの状態です。番組では独自のルートを使い――」


 どうなっているんだ、いったい。


 会社はあれから何も動いていないのか?

 たずねようにも、今日と明日は休みだから、どうしようもない。


 玲奈に聞いてみようか。

 いやでも、個人的には話さなくていいと、言ってしまったし。


 みつきさんなら何か知っているだろうか?

 どちらにせよ今日はこの後、みつきさんと出掛けることになっている。

 少し早いけど、今から行って、話を聞いてみよう。


 僕は急いで服を着替え部屋をあとにした。


 階段を下りてマンションを出た。

 すると、停まっていた車から一人の男が降りてきて、いきなりマイクを向けられた。


「御影さん! あなたの作った薬が再び脚光を浴びることになりました、今のご気分は如何ですか?」


 今のご気分って……。


「いえ、私も今テレビで知ったところなので、何と言っていいものか」


「抗癌剤としてだけではなく、若返りの薬として使用できるようにして欲しいという声があがっていますが、どう思われますか?」


「そんなこと……、絶対にあってはならないことです」


「でもね御影さん、これは――」


 僕はこの状況に耐えられなくなって、全力で走りだした。


 レポーターはマイクを持っているせいか、追い付いてこられず、いったん車に戻って追いかけて来た。


 僕は住宅街の路地に入り、車が通れない遊歩道を駆け上がり、なんとか追跡から逃れることができた。



 遊歩道の上は小高い丘で、小さな公園になっていた。


 このまますぐにみつきさんのところに向かって、もし尾行でもされていたら迷惑をかけてしまう。


 ここで少し時間を潰し、様子を見てから行った方がよさそうだ。


 置かれていたベンチに腰をかけ、その旨をみつきさんにメールで送った。


 一息ついて街を眺めた。


 見渡す限りの地表が全て、数えられない数の住宅に覆われていて、久しぶりに走ったせいもあってなのか、気持ち悪くなってしまった。




 みつきさんも、この件に関しては何も知らされていなかった。


 もう一度、佐々木次長に掛け合ってみたのだが、次長は何かに圧し潰されるような顔をして黙り込んでしまった。


 下からと上からの板挟みというやつなのだろう。


 このままでは埒が明かない。


 僕はみつきさんに相談し、伏見副社長と会うことにした。




 重厚な黒の皮に包まれたソファに身を沈め、左側には相手をにらみつけている玲奈がいて、正面にはあからさまな笑顔を湛えた伏見副社長、そしてその斜め後ろには、表情を硬くしたみつきさんが立っている。


「まったく凄い男だな君は。一介の研究者だった君が、世界を揺るがす薬を作ってしまった。しかもこんなに短期間で。天才とは御影君、君のような人のことを言うのだな」


「天才なんて……。みんなが一生懸命頑張ってくれたからで。そんなことより副社長、OKOGE Type Squadがどうしてこんなにも世の中に流出してしまったのですか? この薬剤の適応は他に治療法がない末期癌の患者さん限定で、しかも60歳以上にしか投与できない薬なのに」


「御影君、その適応とはどういう意味か知っているか? 」


「患者さんの病状を改善するために効果があって……、その薬を使用することが妥当で正当なこと、ですか……」


「うむ。おおむね正しいように思えるが。では、医療用医薬品の添付文章に載っている適応とは?」


「それは、厚生労働省が認可した条件です。だからこの新薬は――」


「そう、その条件とは健康保険が適応できるかどうか、だけなのだ」


「……」


「その適応以外の患者に使ってはいけないという法律はどこにもない」


「でも医師はその適応に従って使用しているはずじゃ……」


「じゃあ、君が医師だとして、目の前に59歳の末期癌患者が居て、この薬を使わなければ死んでしまう。適応外だから使えません、そう説明をして見殺しにできるのか?」


「……、できません……」


「では、58歳なら? 56歳なら?」


「やめてよ! そんな追い詰めるような質問を繰り返すのは」


「うむ……、悪かった。言いたかったのは、実際に医療の現場に立てば、適応を完全に遵守することなどできないということだ」


「それはそうかもしれませんが、長期的な目で見ると、やはり感染源となりえる若い人には絶対に使用すべきじゃない」


「だからそれは実際の現場では通用しないと言っているだろう。特にアメリカでは、日本のような全ての国民が平等に治療を受けられる健康保険制度はないのだから、適応などというものには意味がない、効果的な治療を、お金を出せば受ける権利がある、という考え方だ。そしてそれは治療だけではなく、皆が切望している若返りのためであっても同じだ」


「じゃあ、田神製薬としては、それを容認するということですか?」


「仕方ないだろう。求められているものを提供するのがビジネスなのだから。もちろん建前上は適応を遵守するように呼びかけはするが、発注を受ければ出荷せざるをえない」


「そんな無責任な……」


「いいじゃないか。これだけ多くの人が使用しても、いまだひどい副作用の報告は一例もないのだから。それに、このまま安全性が確認されれば、この薬の適応が無限といっていい程広がる可能性もある。そうなれば我が田神製薬は世界一の製薬会社になるだろう。そして君はペニシリンを発見したイギリスの細菌学者フレミングを遥かに超える研究者として世界の歴史に名を遺すのだ」


社会で成功する人は、やはり凄い。


 説得をするのに、その相手を打ち負かすのではなく、相手を称え同意させるなんて。

 だが、今の話は論点をずらしている。


 ずらしているのはわかっているのだが、今の僕には副社長を説得するすべを見付けることができない……。


「じゃあパパ……、副社長は、会社として何も対処はしないということ?」


「そうだ。だって対処のしようがないだろう?」


「……、例えば法律を作るとかすれば……」


「なぁ玲奈、うちは製薬会社だぞ。法律を守ることはできるが、作ることはできない」


「……」


 みつきさんが全く音を出さずに、副社長の後ろでとても大きな、まるで深呼吸のような、ため息をつくのが見えた。




 玲奈と二人、研究室に戻り頭を抱えた。


「もしかすると、僕達は、この薬をまだ世の中に出すべきではなかったのかもしれない……」


「そんなことないよ。お母様も助けることができたんだし」


「そうなんだ。だから少しでも早く少しでも多くの人の命を助けたくて、長期成績がわからないまま発売してしまった……」


「いや、だから、使用に制限を付けたんでしょ?」


「うん。でも僕は、適応という言葉を、世の中の仕組みを理解していなかった……」


「そんなの、仕方ないよ……。私たちは研究者なんだから……。でもさ、まだ何か重大な問題が起こってしまったわけじゃない。今からでもきっと間に合う。考えてみようよ、薬の使用をちゃんと制限する方法を、一緒にさ」


「うん。そうだな。そうしよう」

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