アンコール!

日奈が女子であることの証明

 ミックスダブルス銀メダル。

 その快挙よりも萱場と日奈の人格をすべて出し切ったような戦いに日本中、いや、世界中が胸を打たれた。


 特に萱場の、命を賭した初速500km/hのジャンピング・スマッシュ。


 スポーツ最高速、どころか、火薬を使わない骨格と筋肉だけで繰り出される、弾丸バレットに見立てたそのシャトルは、人類史におけるあらゆる投擲武器、弾発武器といったものの中での最高速度だっただろう。


 萱場をケープタウンに置いて1人日本に帰国した日奈は空港に降り立った瞬間から自分の意思で行動することが完全にできなくなった。


「佐倉選手、銀メダル見せてください!」

「笑って笑って!」

「きゃー、日奈ちゃーん、こっち向いてー!」

「日奈ちゃんよ、ようやったねー」

「日奈ちゃーん、結婚してー!」


 報道陣、学校関係者、老若男女、所構わず時を選ばず、空港のトイレの前ですら人が待ち構えている状態だった。


『わーっ! どっか行って〜!』


 日奈は心の中の本音を言える訳もなく、とにかく明るく朗らかに人々みんなに応対した。日奈自身、大人になったなー、自分で自分を褒めている。

 ただ、ほとほと疲れ果てているのも事実だ。


 決勝戦は、『死闘』などという字面だけでひとくくりにできるものでは決してなかった。萱場の人生最後のプレーとなったであろう初速500km/hのスマッシュを叩き込んだ瞬間、萱場は文字通り死の淵に立たされたし、萱場の施術が成功してようやく安堵を得た途端に日奈はばったりと病院の床に崩れ落ち、そのまままる24時間眠り続けた。


 眠い。


 疲れた。


 日奈にしては珍しいこのキーワードにくるまれているのに、周囲の人々はそれに浸ることを許してはくれない。


 はー、とため息をついて日奈が諦めかけていた時、遠慮のない力で腕をぐい、と引っ張られた。


美咲みさき先輩!」


 東城トランスポートで日奈をしごきにしごいてくれた女子バドミントン部のキャプテンだ。


「みなさん、今日はこれでお引き取りください。一晩寝てしゃっきりさせてから明日、東城トランスポートの女子バド部として正式会見を行いますので」

「美咲さーん、そりゃないよー」


 美咲はオリンピックには届かななったものの、日本選手権女子シングルスを三連覇したこともある実力者だ。それから、ストイックなプレースタイルと凛々しい容姿からスポーツ記者の間でも一目置かれる存在で有名人だ。

 美咲はスパッ、と言い放った。


「日奈は我が社の宝です。どうか大切に扱ってやってください」


 バドミントン界の宝なんて言われるよりも、そう言われる方が嬉しかった。


 だって東城トランスポートは萱場の職場なのだから。


 ・・・・・・・・・・・・・


「日奈、何やりたい?」


 美咲が自慢の軽四ワゴンで空港を抜け出し、助手席に座る日奈に訊いた。


「そうですねえ・・・」

「寝たい? 遊びたい? お茶でも飲みたい?」

「食べたい!」

「何がいい」

「うなぎ!」


 2人は都内までドライブし、神田の雑居ビルの地下にある鰻屋に入った。


 はふはふはふ・・・

 日奈は美咲が注文してくれたうな重の特上をカタカタと箸を鳴らしながら掻き込んだ。


「日奈。安くないんだからもうちょっと味わって食べなよ」

「美咲先輩、これが一番美味しいんですよ」


 お新香をカリッ、と齧り、そのまま肝吸いを、ずっ、と飲んだ。


「あー、生き返るー!」

「ケープタウンにも日本食レストランあったでしょ?」

「もちろん。お寿司も天ぷらも相当レベル高い味が。でも、うなぎのこのおいしさはなんだか細胞レベルでわたしの体に訴えかけてきたんですよー」

「とにかくまあお疲れさん。すごかったよ、決勝戦。涙が出ちゃった」

「タイスケさん、ほんっとにカッコよかったですよ」

「いいよね、萱場さん。ほんとに男の中の男だよね」

「あー。えとえと。まあでも妙子さんのモノですからねー」

「まあそうだね。ねえ、日奈」

「はいっ」

「あなた萱場さんのことほんとに好きだったんじゃないの?」

「好きか嫌いかで言えばそりゃあ好きですよね」

「いいの?」

「何がですか?」

「萱場さん、東城トランスポート、辞めちゃうわよ」

「え」


 翌日。

 萱場泰助の引退が発表された。


 そして、東城トランスポートを退社することも併せて。


 日奈は萱場のLINEに何度も何度も送信した。

 手術が成功したとはいえ、まだ眠り続けていることだろう。そんなことは分かりきっていても、それでも送信せずにはいられなかった。

 妙子にLINEする気にはなれなかった。


「日奈。記者会見始めるよ」

「はい」


 東城トランスポートの会議室にテレビ局、新聞社の人間を30人ほど集めて記者会見を開いた。


 左手に女子バドミントン部キャプテンの美咲、右手に監督、真ん中に日奈が座る。


 監督の口からオリンピック銀メダル獲得の報告と応援してくださった方々への謝辞が述べられる。

 そして、萱場の引退の報告と、東城トランスポートを退社することも報告された。


「監督。萱場さんは死闘の末大きな負傷により選手生命が絶たれたことは残念ながら事実です。しかしながらいわば東城トランスポートへの貢献度がこの上ないわけですよね。会社を辞めさせるというのは余りにも酷ではないですか?」


 記者の質問に監督は、静けさをたたえた眼で記者を見つめながら答えた。


「これは萱場たっての希望なのです。本当は彼にわたしの後の次期監督を託すつもりでした。いえ、それどころか彼は男女どちらの全日本の監督すら担いうる器であると今でも感じています」

「なら、どうして」

「萱場はバドミントンの実業団選手であると同時に、タンクローリーのドライバーという現業の職業人であることにこだわっていました。誇りを持っていたんです。『自分の体は今、そのどちらもまっとうすることができなくなりました。どうぞ身を引くことを許してください』そう私に言いました。皆さんも彼のストイックな姿勢はご存知でしょう。限りなく残念であり部にとって、いいえ、社にとっての大損失ですが、彼の決断は彼自身のものです」


 会見場が静まり返った。


 おそるおそる、という感じで女性記者が日奈に質問する。


「佐倉さん、萱場さんの引退は残念ですが、佐倉さんの今後のご活躍には国民の期待がかかるところです。今後の抱負は?」

「すみません。わたしはタイスケさんと一緒にバドミントンすることしか考えてなかったんです。仮に選手として一緒にできなくても指導者としてタイスケさんに『文武両道』目指してシゴキまくって欲しかったんです」


 日奈の言葉はキャプテンである美咲や監督にとっては厳しい言葉ではあるが、2人とも日奈が独白する間、静かな表情で彼女の意思を尊重していた。


 スポーツ報道では重鎮の記者が日奈に真摯な質問をする。


「日奈さん、萱場さんは確かに素晴らしい選手でした。バドミントンという種目だけでなく、あらゆる競技選手を見渡しても彼ほどストイックで真摯で知性溢れる選手をわたしの長いスポーツ報道歴でも見たことがない」

「ありがとうございます」

「だからこそそのストイックな姿勢を間近で見ていた日奈さんにこそ、日本のバドミントンを牽引していく役割を担ってもらえたらと。私は職務を超えてそう思うんですよ」

「本当に心からのお言葉をありがとうございます。でも、まだ足りないと思います。タイスケさんはスポーツ選手としてというよりも、一個の人格として本当に尊敬できる方でした。競技者というよりも、『武士』だと思っています。それはバドミントンのプレーにも、会社での仕事にも、父親としての姿にも、すべてにおいて反映されていました」


 日奈は一瞬奇妙な感覚に捉われた。

 萱場を評する言葉がすべて過去形かこけいになってしまっているのだ。東城トランスポートを退社するという一点で、自分とは無縁の世界の人となってしまうような寂しい感覚を無意識の内に持ってしまっているんだと日奈は自覚した。


「日奈さん、本当にあなたは萱場さんを尊敬していたんですね。素晴らしい師弟コンビだと思います」

「・・・ほんとは師弟じゃ不満でした」


 日奈はそうひとこと言うと、言うべきかどうしようかと逡巡していた告白を一気に始めた。


「わたしはタイスケさんが好きです」


 報道陣は微動だにせずに日奈の独演を聞こうという腹を決めているようだ。


「わたしはタイスケさんを愛しています。師匠でもなくダブルスのパートナーとしてでもなく、1人の男性として。でも、彼には妙子さんっていう素晴らしい奥さんがいます。ゆかりちゃんっていうかわいらしい娘さんもいます。でも、できることならそういう制約条件すら反故にしたいと思います。不倫をして幸せな家庭を破壊してでもタイスケさんをわたしのものにしたい、っていう思いすらあります」


 誰もシャッターを切らない。


「でも、わたしは勝てないんです。妙子さんに。この夫にしてこの妻あり。わたしは2人の関係に嫉妬します。わたしのできることは、タイスケさん以上の男性を探し出すか、わたし自身で育て上げるかしか、この敗北感を消し去る方法が見当たりません」

「ズバリ、結婚願望ですか!?」


 女性記者が短くまとめようとした。日奈はその意図に抗う。


「甘っちょろいです、『結婚願望』だなんて。わたしが望むのは人生を戦う伴侶、同志。バドミントンでも仕事でも、家庭にあっては妻として母親として。タイスケさんが『侍』ならわたしは『おんな侍』『おんな武士』になりたい。わたしをそういう『おんな』にしてくれる男の人、それ以外は興味ありません!」

「見た目も?」

「どうせ年取ってヨボヨボになるわたしたちなのに、容姿にどれほどの意味がありますかっ!?」


 日奈はケープタウンという暴力と隣り合わせの街で、強盗から妙子・日奈・ゆかりという女3人を守るために恥辱を呑み込んで行動した萱場の姿を思い出していた。

 そして、あれほどの男がこの世にいるものか! という確信を持って言葉を紡いでいる自分自身に酔っていた。






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