私は振りかえる、それは小さな嘘をついた時のこと


 人は人、我はわれなり、とにかくに我行く道を、我は行くなり。

 横尾くんは教えてくれた。ここ哲学の道の名前の由来が、京都大学の哲学者西田幾太郎らがこの辺りをよくお散歩していたことから来ていると。

 人は人、から始まる西田幾太郎のうたが書かれた石碑なんかも建てられているらしい。



「……どうだい? 京都は楽しめているのかな?」


 

 どこか私の機嫌を窺うように、横尾くんは声をかけてくる。

 隣りの席にいた頃は、あんなに自然に会話をすることができたので、どうしてか今はすぐには言葉が出てこなかった。


 ……横尾くんの班も、銀閣寺に行くの?


 あたりさわりのない問い掛け。

 私は少しだけ自分に失望しながらも、伏し目がちに横尾くんの顔を覗く。


「いや、僕たちはもう銀閣寺には行ってきたよ。これから伏見稲荷の方に行く予定だ。自由行動としては、伏見が最後になるかな。あそこは時間がかかるから」


 そうなんだ。私たちはもう伏見は行ってきちゃった。

 どうやら横尾くんたちとはすれ違いになってしまうようだ。

 むしろ今ここで会えたのが、それなりに偶然なのかもしれない。


「もう行ってきた? どうだった? 頂上の景色は?」


 頂上? 私たち一番上までは登ってないよ。十分くらい歩いて、そこで帰ってきた。

 伏見稲荷は普通に山って感じで、登ろうと思えばかなり上の方までいける。

 でもなんだか正直、鳥居がひたすら並んでるのは面白いけれど、だいたい同じ景色なので早めに切り上げてきたのだった。


「なんだ。頂上までは行ってないのか。たしかに片道四十分くらいかかるらしいからね。やはり登頂は難しいかな」


 片道四十分? そんなにかかるの?

 私は素直に驚く。私たちの班に伏見稲荷本気勢がいなくて本当によかった。


「でもこうして君と会えてよかった」


 そしてまた、横尾くんは何の気なしにそんな台詞を口にする。

 いったいどういうつもりで言っているのだろう。

 すっと頬に伏見稲荷の鳥居みたいな朱色がさすのを自覚しながら、私は拗ねた目つきで彼を睨む。


 昨日の朝、目合ったのに、横尾くん私のこと無視したよね?


 こんなこと、言いたかったわけじゃないのに。

 言ったそばから後悔しながらも、私はそこで口を噤む。


「そ、そうだったっけ? ……ごめん。あの時は、ちょっとお腹の調子が悪くて、それに……」


 ……それに?

 私は横尾くんに言葉の続きを促す。

 べつに意地悪をしているわけじゃない。

 単純に言葉の続きが気になったのだ。



「あの時、というよりここ最近、君がやけに遠くに感じてしまってね。僕は君とそれなりに仲が良かったつもりだけど、そう思ってるのは僕だけなんじゃないかなとか、話しかけたら迷惑かな、とか、色々考えてしまったんだ」



 珍しく、横尾くんが真面目な口調で言葉を紡ぐ。

 そこにはからかいも、無邪気さもない。

 真摯で、悩みが滲む、真っ直ぐな想いの連なりだった。


 ……考え過ぎ、だよ。私ちゃんと、横尾くんとは友達だと思ってるよ。だからさ、今度からは無視とかしないでよね。


 だから私は、ほんの少しだけ嘘をつく。

 友達だと思ってる、この言葉には僅かに嘘が混じっていた。

 でも、今の私にはまだ、横尾くんほど真っ直ぐになる勇気がなかったのだ。


「ありがとう。やっぱり君は優しい人だね」


 優しい人、きっとそれはちょっと間違っている。


 私は優しいんじゃなくて、臆病なだけ。

 

 今だって結局、歩み寄ってくれたのは、話しかけてくれたのは、横尾くんの方。

 私はただぼうっと突っ立って、抹茶のアイスを受け取っただけじゃない。



「あ、横尾。……本田さん、そろそろ行かないと」



 背中に若干強張った声がかかる。

 見てみれば、そこには他の班員と青山くんがいた。

 私が横尾くんとお喋りしている間に、他の皆はお手洗いを済ませていたようだ。


 後ろ髪を引かれながらも、私は青山くん達の方に振りかえる。


 まだ蚕沙色のアイスクリームは残っていた。

 でも私はもう、行かないと。



「それじゃあ、またね。楽しんで」



 そしてもう一度、私が振りかえった時にはもう、横尾くんは背中を見せていた。

 いつもより、小さく見える背中。

 距離をまた元に戻せたのに、私たちの間には薄い、けれどしっかりとした壁ができてしまったかのよう。

 

 呼び止めることは、できない。

 

 やっぱり私は優しいんじゃなくて、臆病なだけだった。


 

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