3-2 再会は忘れた後にやってくる 後編

 その言葉で私は私に倒れ込んできた翼くんのことを思い出す。

 この《固有世界》に来たせいで翼くんがああなっていたのであれば、私も同じようになってるということだ。

「それって、かなりまずくない?」

 言ってる間に《私》の増殖は続いていた。まばらだった《私》が今では辺りを埋め尽くし始めていた。日曜の原宿みたいな光景だ。ただし全部、私だけど。

「実にまずいな」

 もう移動することすらままならない。それが私にもわかった。

「どうにかならないの?」

「元の世界に戻るには元の場所にいかないといけないんだよ」

 つばさくんが苦々しくつぶやく。言ってる間にさらに《私》は増えているみたいだった。この中に飛び込んで公園まで行くのは難しそうだ。

「非常事態だしリスクを恐れてる場合じゃないな」

 翼くんのことをどうするかと見ていたら、彼の手にいつのまにかアタッシェケースがあった。突然、現れた。そうとしか思えない不自然さだった。

 翼くんは腰を下ろすとアタッシェケースを地面に置いた。

「コイツ、映画派か」

 翼くんがアタッシェケースを開くと、中には金属の部品が詰め込まれていた。そこに彼が手を突っ込むとカシャッと音がして何かが固定された音がする。それを確認して翼くんは腕ごとアタッシェケースを肩の高さまで持ち上げる。するとアタッシェケースだったそれは彼の胸を覆い、そこから伸びるように部品が伸びて全身を包む。

 気付くと翼くんは赤と銀色で出来た金属の鎧をまとっていた。

「映画って?」

 何が起こってるのか説明して欲しい。そう思ったけど翼くんはまた私を抱きかかえる。

「掴まってろッ!」

 手を引っ張られた時の比じゃ無かった。私は空に投げ飛ばされたようにすら感じた。

「て! ちょっと飛んでるんだけど!」

 階段を下りた時のように飛ぶようにじゃなく、本当に飛んでいた。

 視界の向こうで学校が小さくなり、無数の《私》たちもそれが人とわからないくらいの小ささへと変わっていく。

 明らかに非現実的なことが起こっていた。

 翼くんは飛んでいて、私も抱えられて空を高速で移動していた。

「だからなんなの、これ!?」

「詳しい説明は省くが《固有世界》だけで使える裏技だとでも思ってくれ」

 よくわからないけど、とりあえず納得しておけということらしい。

「というか飛んでどこ行くの?」

「さっきも言っただろ。この世界から出るには来た場所に戻る必要があるんだよ」

「だからって!」

 それで思い出したけど、私が来た場所っていうのは教室じゃなかっただろうか。

「ちょっと戻って!」

「どこへ!」

「私、来たの教室だった。だったら教室から戻れるんじゃ無いの?」

「……かもな」

 猛スピードで飛んでいた翼くんは旋回してまた学校へと戻る進路を取る。

「目を瞑ってろ! 破片が飛ぶかもしれない!」

「へ!」

 私の反応を待たず、迫る校舎に向かって翼くんは左手を伸ばしたかと光弾を撃ち込んだ。それで教室の壁に大きな穴が空く。

「ちょ! 校舎壊した!」

「あいつの世界の校舎だ。問題ない」

 そして空いた穴を潜り、ふわっと教室内へと着地する。

「ここ私の教室?」

 何人か爆風で吹き飛ばされて倒れていた。それが《私》だと気付くとなんとも言えないイヤな気分になった。

「来た場所に戻る必要があるって言ったろ」

 しかし翼くんは気にもとめてない。きっとそれが無意味な感傷だと知っているからだ。

 翼くんがこめかみの辺りを押さえると、カシャッと音がして顔を覆っていたパーツが無くなった。それから彼は辺りを見渡す。

「ここか」

 翼くんが手を伸ばすとそこに扉が現れた。ロダンの彫刻でこんなのあったななんて思ったりするようなヤツが。

「戻ったらどういう状況になってるかわからないけど……アイツからは距離を置くようにしろよ」

 どういう理屈かはわからないけど、ここから私は元の世界へ戻れるらしい。

「うん」

 目を見て私は彼が心配しているというのを感じ、なるべく自信ありげにそううなずいてみせた

「俺もすぐ追いつく」

 翼くんはまたこめかみの辺りを押さえて顔を隠すと外に向かって駆け出し、そのまま飛んでいった。

「俺もすぐ追いつく――か」

 そんな彼が小さくなっていくのを見送りながら、私はその言葉を繰り返した。

 気付けば彼のことを私はヒーローだと感じていた。


   ○


 失敗した。

 お嬢ちゃんにはトラブルが起きた時のためについてきてもらったが、アイツの狙いがお嬢ちゃんそのものだったとは。

 後悔をしても何も解決はしないが、そう思わずにはいられない。

「……この辺は静かなもんだな」

 公園に降りたところで俺はその不自然さに気付いた。学校や町中は《お嬢ちゃん》で埋め尽くされていたのに、ここには誰もいない。

 いや、一人だけいた。《俺》だ。

 間抜けにも意識を失ったまま倒れている。新しく怪我をしてないところを見ると、見つけはしたがどうとも思わなかったということか。

「問題は俺じゃなく、お嬢ちゃんがいないって方か」

 俺は《俺》が倒れているところの側にある《扉》に触れる。それは触れるまでは実体のない、本来の世界へと続く扉だ。

 それを押して開くと中から光がどっと押し寄せて、俺はそれに呑み込まれて上下の感覚を失う。何度やっても慣れない。気持ちの悪い感覚。

「ふぅ」

 それが収まると俺はさっきの同じ場所に立っていた。しかしそこには《俺》はいない。つまり戻ってきたということだ。

「……遅かったか」

 お嬢ちゃんの姿はそこにはなかった。葉桜翔の姿もだ。見つかったのはお嬢ちゃんのものらしきスマホが一台。位置情報で追われることを警戒して捨てて行ったのだ。

「すぐ追いつくって言ったけど、こいつは……まずいな」

 どこか俺の知らないところに連れて行かれてしまった――それ以外の想定はあいにく浮かばなかった。

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