第三章 2
いつも以上に尾行に気を付けながら帰ったラブマジシャン。珠代は険しい顔で所長室に入っていった。その顔を見た所長が思わず立ち上がるほどだった。
「どうした、たまちゃん? そんな怖い顔して」
「……ボズ、あいつ、人間ですか?」
「えっ、どういう意味だ?」
「正直怖いです、あいつが」
その言葉は震えていた。
「おい、どうしたんだ、君がそこまで怯えるなんて。鉾本に手こずっていた時でも君は戦意を失っていなかったじゃないか。何があったんだ、話してくれ」
珠代は先程の出来事を所長に説明した。見る見る彼の顔も険しくなっていった。
「うーん、そんなことがあり得るのか? そもそもラブデュエルがこうして社会の信頼を得てきたのは瞬間的に自分の感情、脳波を偽るなどありえないという前提があったからだ。だからこそデュエル記録は裁判でも証拠能力が認められるようになった。だが、もし、そいつが本当に自分の感情を自由自在にコロコロ変えられるとしたらこれまでの常識から外れている。絶対に勝ち目はないぞ?」
「私もそう思います。だから思い切ってこの前と同じような方法を取った方がいいかと」
「鉾本の時のようなパターンか。片岡を直接落とすのではなく明日香さんの方に別れを促した方が確かに良いかもしれんな」
「彼女は若いし片岡に騙されているだけだと思うんです。あんな得体の知れない男とは別れるように説得してみます」
「わかった。くれぐれも彼女を傷付け過ぎないように気を付けてくれ。こんなこと言いたくはないが、ピカのような例だって稀にあるんだからな」
「はい。……あの、それでピカは?」
「事務職への転向を受け入れたよ。仕事で組むことになった時は助けてやってくれ」
「わかりました。きっと私が一流のオペレーターにしますよ」
「頼もしいな。よろしく頼むよ。じゃあ、これが明日香さんの住所だ。片岡の行動に気を付けながら彼女に接触してくれ」
「はい。あんな奴とは絶対別れさせます」
自然と言葉に力が籠った。珠代はプロとしてではなく女として片岡を許せなかった。
次の日、珠代はいかにも高そうなマンションの前にいた。明日香の住んでいるのは上の方らしい。首が痛くなるほど見上げて珠代は思った。
娘の心配するならこんなマンションに一人で住まわせなきゃいいのに。
大学に通っている娘のために長次郎が高い家賃を払っているらしい。自分には一生縁が無さそうな所だと思いながら珠代はマンションの入口に付いているインターフォンで明日香の部屋番号を押した。
画面に髪の長い女が映った。少しつり気味の眼をした気の強そうな顔立ち。間違いなく写真で確認した顔だ。彼女は珠代の顔を確認すると怪訝な表情を浮かべた。
「どなた?」
「突然すいません。私は『ラブマジシャン』という調査会社の者です。片岡照之さんのことで明日香さんにお伝えしたいことがありまして。少しお話できませんか?」
「照之の話? ……そうね、まあ、いいわ、話くらいなら。どうぞ」
オートロックが外された玄関から珠代は中に入った。エレベーターで上に向かう。降りた所から一番離れた角部屋が明日香の部屋だった。チャイムを押すとドアが少しだけ開き、隙間からじろりと睨むような眼が覗いた。
「初めまして、私、ラブマジシャンという会社の鈴村という者です」
「ふーん。まあ、入って」
チェーンが外され、ドアが大きく開いた。珠代は「失礼します」と言いながら中に入り、ソファに座るまでの間、さりげなく部屋の中をチェックした。
まず気になったのは置いてある家具のほとんどが有名なブランドのものだということだった。珠代はかつてターゲットだったある会社の御曹司のために家具ブランドの勉強をしたことがあった。そのために大体の値段まで見るだけでわかるようになっていた。それらは普通の学生の部屋には絶対無いような高級品だった。
改めて町村家の財力を感じた。彼女を傷付けたらただでは済まないかもしれない。
出された紅茶を飲みながら意を決した珠代は話を始めた。
「とても素敵なお部屋ですね」
「ありがとう。それでお話って何? 照之がまた何かやらかしたの?」
「えっ、また、って、前にも何か?」
「あっちこっちに女がいるのよ。トラブルは常に絶えないわ」
「はっ? 知っていらっしゃったんですか!」
珠代は驚いて聞き返した。
「彼はそういうこと全然隠さないもの」
なんて奴だ。珠代は改めて呆れた。
「それなのに別れないんですか?」
「好きなんだから仕方ないわ」
「し、仕方ない?」
「そう思わなくちゃやってられないわよ」
お嬢様と聞いていたがどうもイメージと違う。少し作戦を変えようか。珠代はそう思った。
「心がお広いんですね、明日香さん」
少し皮肉を込めてそう言ってみたが彼女の表情は全く変化しなかった。
「そうでもないわよ。私だって最初に彼の浮気を知った時は泣いたり怒ったりひどかった。絶対別れるつもりでいた。でも別れ話をするために彼と会ってみたらラブデュエルがラブソングを奏で出してしまうのよ。それから何度も別れようと思ったことがあるけど、その度に自分の気持ちに気が付かされてしまうのよ。幸か不幸か、私の運命の人なんだわ、彼って」
「で、でも、そんな浮気性の人間が本当にあなたを愛しているんですか?」
言ってから「しまった」と珠代は思った。案の定、明日香が笑い出した。
「アハハッ、あなた、調査会社のプロプレイヤーなんでしょ? ラブデュエルの達人だって噂を聞いたことがあるわ。だったら彼が私を愛しているかどうかラブデュエルが教えてくれることも知っているでしょ? 確かに彼は浮気性なところがあるけどそれでもずっと私を愛してくれている。それは間違いないことよ」
確かに普通の人間ならそうだろう。しかし昨日のことがある。もし彼が自分の感情を客観的にコントロールできる特殊な人間だとしたら明日香さんは騙されているだけだ。
「もういいの。戻って来てくれるなら待っているのも楽しいものよ」
珠代はハッとした。今のセリフ、聞いたことがある。
そう、鉾本が同じようなことを言っていた。
だが鉾本と明日香では同じ言葉を使っていてもその奥にあるものが決定的に違っていた。
「……今のセリフ、『諦め』のように聞こえるんですけど」
「そうかもね。でも、いいの。私は彼を愛しているし、彼も私を愛している。それ以外のごちゃごちゃしたことはもうどうでもいいことなのよ。考えたってわからない」
「……それって『愛』なんでしょうか?」
「愛よ。ラブデュエルが証明してくれているもの」
珠代はわからなくなった。
愛しているからラブデュエルが反応するのか。
ラブデュエルが反応した感情を愛と呼ぶべきなのか。
そもそも「愛」とはなんだ?
これ以上ここにいるとパニックになりそうだった。明日香がこの調子ならこれ以上説得しようとしても無駄だろう。珠代は一時引くことに決めた。
「そうですか。わかりました。片岡さんのことをご存知だったのなら私どもが何を言っても余計なお世話にしかなりませんよね? それではこれで失礼します」
そう言って珠代は鞄を持って立ち上がった。
「どうもわざわざありがとう」
そう言って明日香もにこやかに立ち上がった。見送ってくれるつもりらしい。二人で玄関まで行くと珠代は明日香に背を向けたまま靴を履いた。
「でも、もし何かお困りのことがあった時は……」
靴を履き終わった珠代がそう言って明日香の方へ振り返ろうとした時だった。
バチバチバチッ!
背中に刺されたような激痛が走る。それと共に力が抜けた。
為すすべ無く倒れ込んだ珠代を明日香が死んだ魚のような眼で見下ろしていた。
「ごめんね。照之のお願いだからさ」
彼女は隠し持っていたもの、スタンガンを下駄箱の上に置くと、代わりにスマホを取り出し、それに向かって無表情に呼び掛けた。
「あ、私。もういいよ、入ってきても」
すぐにガチャッとドアが開き、あのニヤニヤ狐が姿を現した。珠代は必死に起き上がろうとしたがまだ力がうまく入らなかった。
「やっぱりまた会ったね、たまちゃん。ああ、無理しないほうがいいよ。数分は脱力感が続くはずだから。別に何もしないから、そのままお話しよう」
「こ、こんなことしてただで済むと……」
珠代は絞るように声を出したが、まだ大声で助けを呼ぶことは出来そうになかった。
「ねえ、照之、紅茶飲む?」
はっ? この女、こんな時に何を言って……。
「ああ、頂くよ。いつもありがとう」
キス。床に倒れた人間を二人は全く無視していた。それを見た珠代は思った。
こいつら、慣れ過ぎている。こんなことするの、きっと初めてじゃないんだ。
狂ってるわ。
「あ、明日香さん、なんでこんな奴の言うとおりにするの? あなた、おかしいわよ」
「不思議? あら、だって……」
明日香がうっとりと片岡を見つめた。
「照之、私のこと、愛しているでしょ?」
「うん、もちろんだよ」
片岡がそう答えると明日香の持っていたスマホから流行りのラブソングが聞こえてきた。ラブデュエルが反応したのだ。それでも珠代は信じられなかった。
「違う! こいつ、あなたを愛してなんかいないのよ。それは何かのトリックで……」
「ありえないわ。さっきも言ったけどラブデュエルの判定は絶対的なものだもの。科学的に検証がされていて法的にも認められているものよ。昔みたいに心を偽ることなんか出来ないんだから。私、彼が望むことなら何でもしてあげたいの。それで彼が私のこと愛してくれるのなら、それだけでいいの」
ここまで壊れているなんて……。
珠代は絶望的な気持ちになった。どう説得すればいいのか、わからない。懸命に言葉を探した。
「……そんなのは愛じゃない」
やっとのことで珠代はそれだけ呟いた。それを聞いた片岡が笑った。
「ふうん、『愛じゃない』ねえ。ラブデュエルのお墨付きなのに信用できないって言うのか? たまちゃんは強情だなあ。でも、そういう女が俺は好きなんだ」
「私は大嫌いよ」
「言葉ではそう言ってもラブデュエルは真実の心を暴き出す。君も知っているだろう?」
「本当に嫌いなの! あんたみたいな下衆野郎なんか……」
ざしゅっ!
……えっ?
何かの聞き間違いかと珠代は自分の目の前に落ちていた鞄を見つめた。それを片岡が拾い上げた。彼は勝手に中を探り珠代のスマホを取り出した。彼はにやっと笑い、その画面を珠代の目の前に突き出した。そこに表示された文字を呆然と彼女は見つめた。
(プレイヤーは片岡照之の強引さに惹かれ十一ポイントのダメージを受けました)
……ありえない。
こんな男に自分が好意など覚えるわけがない。そう思ってもこれまで共に戦ってきた相棒は裏切るような表示を珠代に叩きつけていた。
「ち、違う! そう、これは、きっと壊れて……」
いったい誰に言い訳しているのか、自分でもわからなかった。
「みんな、最初はそう言うんだよ。そしてだんだん気付いていくんだ。愛にも色んな形があるってな。嫌っていた奴ほど俺に惚れていく。意外と多いんだぜ、そういう奴が。そしてそんな女はもう俺とは一生別れられなくなるのさ」
嫌だ。そんなのは嫌だ。珠代は泣き出しそうになった。
「実を言うと俺は裏であんたみたいな奴らを狩る仕事をしてるんだ。一度も負けたことがない。あんたはすぐに俺に跪くさ。真の愛に気付くんだ」
狩る? ま、まさか、こいつが本当に伝説の対プロのラブデュエルプレイヤー?
「まあ、今日はこれくらいにしといてやるか。ほらほら、なぜ逃げないんだい? たまちゃん。時間的にはもうとっくに体は動くようになっているはずだぜ」
その言葉にハッとして珠代は体に力を入れてみた。まだ背中に痛みはあったが確かに起き上がれそうだ。鞄を掴み何とか立ち上がると彼女は後ろも振り替えらず玄関に向かって駈け出した。
「待ってるよ。君は必ずまた俺に会いたくなる。ラブデュエルは嘘を付かない。それは君が一番良く知っている。そうだろ?」
片岡の嘲笑を背中越しに聞きながら逃げるように外に飛び出す。
マンションの廊下を走り、エレベーターに乗り込み、扉が閉まった瞬間、珠代は力なく座り込んで泣き始めた。
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