今川side

第150話 商店街1

 文房具屋さんを出たところで、聞き覚えのある声が耳に流れ込んできた。


 スマホをポケットから取り出そうとして手を止め、声に顔を向ける。


 商店街のアーケードの中だ。


 夕方というにはまだ早く、お昼と呼ぶには遅い。なんとなく中途半端な時間だからなのか、人通りはそこまで多くない。観光っぽいカップルとか、バギーを押した親子連れが数人、駅とは反対の、お城に向かう方向に向かって歩いているぐらいだ。


 その中で。

 ワイシャツと学生ズボンのその学生さんたちは、結構異質な存在だった。


 休日感もなく、のんびりした様子でもない。

 楽しそうでは全くなく、どこか疲れていて。

 おまけになんかこう、目つきも悪い。


 言い方が悪いけど、野良犬が集まっているように見えた。


 制服はきっちりと規定通りに着こなしているから、「柄が悪い」というのでもなく、かといって「チャラ男」でもない。

 ただただ、不穏な空気を漂わせる「野犬の集団」に見えるのだ。


 その四人の学生たちの中で。

 見覚えのある横顔を見つける。


「あ」

 にゃんだ、という声はかろうじて飲み込んだ。


 というのも、駅に向かって歩いているのは、にゃんだけではなかったからだ。


 思わず、駆け寄りかけて足を止めた。

 剣道部じゃない。そう思ったのは、側にいたのが石田君と伊達君じゃなかったから。


 代わりに、にゃんの隣にいるのは、もっさりブロッコリーヘアの男子。あれ、蒲生君だ。


――― 蒲生君がいる、ってことは……


 化学同好会なんだろうか、と警戒した時だ。

 どん、と背後から誰かにぶつかった。拍子に、手に持っていた包みが地面に落ちる。おまけに、転びそうになって、慌ててうずくまった。


「す、すいません」

 亀のように首をすくめて、謝罪を口にする。大通りで、いきなり立ち止まったりしたから、歩いている人とぶつかったんだろう。怖い人だったらどうしよう。そう思って、見上げると。


 大学生ぐらいの、若い男の人だった。


 ちら、っとこちらを見て、また視線を手元のスマホに戻す。

 そのまま、無言で歩き去られて……。

 怒られなかった、とほっとしたものの、「歩きスマホはだめでしょっ」と、言いたくなる。


 ……まぁ、ぼーっと立ってたこっちも悪いんだけど……。

 なんだかむかむかと不快な気持ちで、地面に落としたままの包装紙に手を伸ばす。


「……あ」

 思わず声が漏れた。


 私より一瞬先に、長くて器用そうな指が包みに触れる。手首に巻かれた腕時計には見覚えがあった。ぐっと太くしなやかに張る筋肉に思わず見ほれそうになる。


「大丈夫か?」

 低い声が頭の上に、ふわふわと降ってきた。ちらりと目を上げる。


 にゃんだ。


 心配そうに眼を細め、中腰になって私を見ている。

 心から漏れ出たのは、「久しぶりだなぁ」という自分自身の正直な声。


 週に一回程度は電話をしたり、なんならlineはしょっちゅうしているけど。

 実際にこうやって顔を合わせるのは、何か月ぶりだろう。


 にゃんも三年になってすごく忙しくなってるし、塾にも通い始めたらしい。私も毎週のように模試が入ってきている。親もその結果に一喜一憂するし、三者面談も頻繁だ。


 ホワイトデーの時も結局会えなかったし、今はもう、六月。

 年明けに、「お付き合いしましょう」となったものの。

 気づけば、随分会ってない。


「……大丈夫」

 私は応じた。

 結構間近で目が合ってしまって、心臓が跳ね上げた音に合わせ、顔を背ける。


「謝りもなしかよ、ひでぇな」

 そらした視線の先で、にゃんの隣にいる男の子が、顔をしかめて歩き去った大学生らしい人をにらみつけていた。見覚えがあるなぁ、と記憶をたどり、思い出す。

 文化祭で会った、着物男子だ。確か、茶道部君。


「歩きスマホ、危ないよね」

 蒲生君もむっつりとそういうから、私はちょっと焦る。ぼうっとしていた私も悪いのだ。


「違うの。私も、道で立ってたから」

「だけど、ひとことぐらいほしいよな」

 にゃんが言い、ついでに、手首をつかまれてぐい、と引き上げられる。「ありがと」と声をかけると、そのまま手を引いて、通りの端っこに連れていかれた。ちょうどお店とお店の間ぐらいで、人のほぼ来ないところ。そこで、落とした紙包みをぼすり、と手に握らされる。


「割れものか?」

 尋ねられて、私は首を横に振った。蛍光ペンと付箋をいくつか買っただけだ。

 今度は落とさないように、と手早く背中のリュックに放り込んだ。


「あの制服、県立大? 誰?」

 小声に気づき、そっと視線だけ動かすと、体格が横に大きな男子が、茶道部君に耳打ちしている。


「織田の従姉妹だよな」

 にやにやと人の悪い笑みを浮かべて茶道部君は言い、蒲生君がけらけら笑った。


「今は、織田のカノジョだよ」

 あ、私のことか、と思ったとたん、「カノジョ」という言葉に反応して、頬が熱い。うろうろ瞳をさまよわせた末ににゃんの方に向けると、こっちはむっつりと茶道部君と蒲生君をにらんでいた。


「……はじめ、まして」

 一応大柄な男の子に頭を下げてみた。「はじめまして」。大柄男子は、人好きのする笑みを浮かべてそう言った後、ぐるりと首を動かし、にゃんを見る。


「んだよ、お前。本当にカノジョ持ちだったのかよ。くそ。あれか。文化祭に連れてきてた、とかなんとかいう子か。ぼく、ずっとステージ発表だったからなぁ。来館者に声をかける暇もなかったよ。なんだよ。いつ、他校の子と知り合うんだよ。なんで、ぼくのライブにはこんなかわいい子が来ないんだ」

 その後も、延々なんかにゃんに言っていたが、にゃんはそっぽを向いてガン無視だ。


「塾か?」

 不意に私にそんなことを言う。


「うん。模試会場がこのあたりだったの」

 私が会場のビル名を告げると、みんなが、「ああ」と顔をしかめた。なんだろう、と目を瞬かせる。


「いや、先週、そこ行って講習受けたんだよ」

 きょとんとした顔に気づいたらしい蒲生君が手をぺらぺら揺らせて言う。なんか近所のおばちゃんみたい。


「有機溶剤と酸欠な」

 にゃんも顔をしかめた。


「ぐろかったな……」「大人も貧血起こしたもんな」

 口々に言うから、ぎょっとする。ぐろいとか、貧血とか、なにそれ。


「なんの講習会なの?」

「有機溶剤作業主任者技能講習会と、酸素欠乏危険作業主任者講習会を受けたんだけどな」

 な、長い名前……。それで、『有機溶剤』と『酸欠』ね。


「講師がいろんなまぁ、講義をしたり、実技をしたりするんだけど、『酸欠』の時の、産業医がさ、参加者が眠くなりそうだな、と思ったら、スライド出すんだよ」


「スライド?」

 にゃんは更に顔をしかめた。他の三人も渋い顔をしている。


「実際にいろんなガスを吸い込んだ人の写真だったり、現場写真だったりするんだけどさ」


「……ちょっとしたホラーだったな」

「皮膚って、あんな色になるんだ、って思った……」

 茶道部君と蒲生君が口々に言い合い、大柄男子はひたすら歯を食いしばっていた。ひえ……。ガスって、怖いんだ……。


「かたや、模試。かたやグロ映像講習会。えらい違いだ」

 蒲生君がそんなことを言い、にゃんが、「そんな講習会名じゃない」とまじめに言っているから思わず吹き出す。


「みんなは? 学校だったの?」

 私は隣のにゃんを見上げた。


 半年ぶりに会うにゃんは、全然変わっていない。あんまり動かない表情に、すっと切れ長の瞳。無駄吠えしない大型犬のようなたたずまい。


「……………課題研究でな」

 ぼそり、とにゃんは言う。同時に、他の三人の男子もがっくりと肩を落とすからびっくりした。え。なに。どうしたの。


「課題研究? あ。なんか言ってたっけ。三年になったらテーマを決めてするんでしょう?」

 私はあわてて言葉を継ぐ。なんか私、不用意に言ったのかな。


「あれだっけ。樟脳しょうのう。樟脳から、セルロイド作ってるんでしょう?」


「…………作れたらいいな、セルロイド」

 大通りを眺めたにゃんが、感情のこもらない声でそんな風に言う。


「もう、藻にしようかな。僕。稚貝が全滅してもいいや」

 蒲生君までわけのわからないことをつぶやき始め、他の二人も、「クスノキが」「クスノキが」と繰り返す。


 その様子を眺めて、なんとなく気づく。


――― ああ、その研究課題の件で、休日も学校に行ってるのか……


 大変だなぁ、と思ったとき、隣でにゃんが腕を組んでため息を吐いた。


「とにかく、もっとクスノキの葉を集めないことには、どうにもこうにも」

 言いながらにゃんが身じろぎをしたときだ。


 ふ、と鼻先を匂いがかすめた。


 ずいぶんと、すーっとする匂い。

 ハッカとは違うし、ミントとも違う。もっと、シャープと言うか、尖った香り。


「また山に行くのか? もう、おれはかんべんな」

「僕だってやだ! 死にかけたのにっ」

 茶道部君と蒲生君が何か言い、それに対してにゃんが言い返そうと体の向きを変える。


 やっぱり。

 清涼感のある香りがする。


 にゃんから。


「にゃん。これ、なんの匂い?」

 にゃんのシャツを両手でつかみ、鼻を近づけた。


 やっぱり、ふわりと嗅いだことのないにおいがする。すうすうする匂い、というか。でも、ハーブっぽくないのはこれ、なんだろう。


「なんか、」

 消臭剤とかつけてるの、と言いかけて、絶句した。


 シャツに顔をおしつけるようにして。

 ほぼ、距離ゼロ状態で見上げたにゃんの顔が。


 真っ赤だったからだ。


 不思議なもので。

 にゃんの、初めて見るそんな顔に、自分自身正気に戻る。


「……え、と……」

 思わず意味のない声が口から洩れた。同時にふと、自分の体勢を改めて想像してみる。


 にゃんのシャツをつかんで、顔を押し付けていた自分の姿を。

 ほぼ、にゃんにしがみついて、そのシャツに顔をうずめていた自分の姿を。

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